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月のおまじない。(5)

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きっかけはささいなことだった。普段なら、けんかになりそうなとき、のぞみか貴理子のどちらかが、何とはなしにあやまって、許して、またいつものふたりに戻るのに。今回はそうはいかなかった。ふたりが険悪なムードになってから、もう四日も経っている。発端は、のぞみが友だちの持っているキャラクターグッズを、自分もほしくなったことにあった。これまでのぞみは、流行りものにはあまり興味をもっていなかった。ほんとうに興味がなかったのかどうか、自分でもよくわからない。意識して興味をもたないようにしていた部分もあった。なぜならキャラクターグッズは高いのだ。同じような商品でも、可愛いイラストがついているだけで、値段がはね上がる。

「必要なものは買ってもいいよ」
が、貴理子の口ぐせだ。それはつまり必要ではない、無駄なものは、なるべく買わないようにといわれているようなものだ。毎月のお小遣いで買えるものなら、のぞみだってそうしただろう。でも今ほしいと思っているものは、三ヶ月分のお小遣いが必要なのだ。そのあいだ、自分が買いたいおやつも何にも買えないことになってしまう。

「いいなあ、さっちゃんとこは」
ついぐちってしまったのぞみに、
「うちだって、最初から買ってもいいっていわれたわけじゃないよ。粘りがちしたの」
とさとこはいった。
「お母さんにお願いするだけじゃOKでないから。そんなとき、ちょっとだけお父さんにもフォローしてもらうんだよ」
「それがうらやましい。うちはフォローしてくれる人がいないんだもん」
のぞみの口調は、どんどんひがみっぽくなっていく。
「じゃあ、ひとり二役でお母さんとたたかうしかないよ」
さとこがガッツポーズをする。
「これ持ってるだけで、気分が上がるよ」
さとこは、ほこほこした顔で、手元にある真新しいポーチをやさしくなでた。

小学生が持っているキャラクター付きのポーチの中身なんて、大したことはない。ハンカチとティッシュ、それに小さなメモとマスク。でも中身より外見なのだ。かわいいポーチを友だちと見せ合いっこするのが、最近流行っているのだ。ほしい、今度ばかりは友だちがもっているようなポーチ、わたしもほしい。
「がんばってみるよ」
のぞみはそういって家にかえったのに、結果として、事は上手くは運ばなかったのだ。

大森家では、おねだりすることに不慣れなのぞみが何かを買ってほしいというと、いつもけんかになる。貴理子の顔つきが険しくなっていくことに、のぞみは敏感になりすぎて、何が何でも自分の意見を主張しなくちゃと、あせってしまうのだ。
「お願い、どうしてもほしいの」
「だから、そんなにほしいんだったら、今度の誕生日のプレゼントに買ってあげてもいいよ」
「誕生日まで、まだ一ヶ月もあるじゃない。それにわたしの誕生日は、夏休み中だもん。友だちに見せ合いっこできない」
「いいじゃない、二学期になってから見せればいいんだから」

貴理子がいうことは、いつも正論だ。でも、のぞみが望んでいるのは、そういうことじゃない。それ以上言葉が見つからなくて、口をへの字にしてうつむいたのぞみが、自分のこぶしをにらんでいると、貴理子がいったのだ。
「そんなに怒らなくてもいいじゃない。買わないなんて、母さん言ってないでしょ。どうしても買ってほしいのなら、もうちょっと上手に甘えなさいよ」

(もうちょっと上手に甘えなさいよ、って)
ささいな言葉だった。貴理子にはなんの悪意もなかったと思う。でものぞみには、ぐっと突き刺さるような言葉だった。

今になって思うに、そのとき、ちょうどテレビで『ちびまる子ちゃん』をやっていたから、まるちゃんみたいに、相手を笑わせるくらいのゆるい調子で、たのみごとをすればいいじゃないと言いたかったのだろう。ふたりともまるちゃんの大ファンなのだから。でも、のぞみの心はブレーキが効かなかった。
「母さんが甘えさせてくれなかったから、甘えられない子になってしまったんだよ!」
思わず口から飛びだした言葉と、その口調が、あまりに強くするどかったことに、のぞみ自身もおどろいた。そのままリビングにいるのがたえられなくて、のぞみは自分の部屋ににげこんだ。

「わたし、失敗した」
翌日、さとこに報告すると、
「どんまい、また次の機会をねらえばいいよ」
さとこは明るくはげましてくれたけど、のぞみにはもう、二度とそんな機会はないような気がした。

(わたし、母さんとけんかするのを必死にさけてきたんだ)
貴理子とぶつかることを自分がこわがっていたのだと、今ならよく分かる。なぜだろう?だって「ふたりかぞく」だから。けんかしてお互いがひとりずつになってしまったら、ひとりずつをくっつけてくれる人が、のぞみたちにはいない。ひとりはさみしい、ひとりはつらい。だから、「ふたりかぞく」でいることが、何より大事なのだと思いこんでいたのだ。
(自分のほんとの気持ちに気づくのって、つらいものなんだな)

当たり前だと思っていた感情が、それほど当たり前ではないことも見えてくる。父さん。わたしの父さん。まだ会ったこともないお父さん。わたしは、お父さんがほしかったわけじゃないかもしれない。もっと気楽にだれかに甘えたかったかのしれないな。もっと肩の力をぬいて、のんびりと子どもとして自分の時間を過ごしたかったのかもしれない。

甘えるって、どういうことかな。ワガママをいうこと?誰かにベタベタ甘えること?そんなわけないな、とのぞみは思う。でも自分がふつうに甘えられていないという自覚はある。どうすれば、ふつうに甘えられるのか、その方法が分かっていないという自覚もある。
(小さなのぞみちゃん、今頃、何してるのかな)
過去の自分のことを、まるで近所の知り合いの女の子みたいに、のぞみは思い出していた。今も向こうの世界で、毎日夕方の暗がりの中で、貴理子の帰りもひとりで待っているのだろうか。せつない。

(今度向こうに行ったら、小さなのぞみちゃんにパパからの手紙を渡してあげよう)

あの子が望んでいることは、パパに会うことだ。今のわたしが、もう半分あきらめかけていることを、あの子はまだあきらめていない。せっかく向こうの世界に行けるようになったんだもの。何か願いを叶えてやっても、バチは当たらないよね。パパに会えなくても、手紙が本当に届いたら、それだけできっと、元気もわいてくるよね。そこまで考えると、のぞみは少しだけ、気持ちが明るくなってきた。小さな女の子を喜ばせることができたら、自分もなにかが変われるような気がしてくる。のぞみは、部屋のカレンダーに目をやった。あと二日で、また満月の晩がやってくる。

20〇〇年、7月21日
目を開けると、いつものリビングに立っていた。ただ、今日はやけにバタバタとさわがしい。なんの音だろう。のぞみは耳をすませてみた。二階だ。一年生ののぞみちゃんが、子ども部屋で行ったり来たりしているようだ。

(どうしたんだろう、何かあったのかな?)
階段を上がっていくと、ちょうど部屋から出てきたのぞみちゃんと、はち合わせした。目がキラキラして、うれしくてたまらないといった表情だ。
「あ、ゆうれいさん、こんにちは」
ぺこりとあいさつをして、
「今日はちょっと、御用があるの」
すました言い方だ。肩からクマのポシェットまでかけている。
「お出かけするの?」
外はほんのり暗くなりかけている。もうすぐ日が沈む頃だろう。
「あのね…」
女の子は、くくくっと肩をふるわせて、ふくみわらいをした。
「パパから手紙が来たの」
「え?ほんとに?」
手紙を見せてもらうと「こばやしゆうじ」と大きな字で書かれている。たしかに、大人が書いたように見える。きれいな字がならんでいた。のぞみはポケットの中に入っている、自分が持ってきたにせものの手紙をたしかめた。
(これじゃない、ほんものの手紙がきたんだ)

「これから会うの」
のぞみちゃんは、今まさに出かけようとしているところらしかった。
(もしかしたら、人さらい?だってわたしには、昔、お父さんに会った記憶なんてないもの)
「ちょっと待って!」
「だめ、今日は待てない!」
のぞみちゃんはスカートをひらひらさせて、おどるように玄関を飛びだしていった。仕方ない、あとを追いかけよう。のぞみもあわてて、玄関を出ようとしたとき、パタンととびらがあいて、ばあちゃんが入ってきた。
「ばあちゃん!」
「のぞみ、あの子を行かせておあげ」
どうやらばあちゃんにも、のぞみの姿が見えるらしい。
「どうして、なんで?」

(つづく)




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