見出し画像

【エッセイ】 「老いる」という事

そこそこの年齢になったのだが、会話も普通にできるし、「年寄り扱いしないでっ!」と、口にするくらい元気そうな母。(最近の高齢者は本当に元気だね・・・・・・)と常々思っていたのだが、ある日、某所に提出する書類を作成している時の話。

「この数字の〇桁目~〇桁目を、別の欄に記入する」

が、母は全く理解できなかったようで、何度も僕に「どういう事?」と聞いてくる。

「この数字のね、〇番目から〇番目の数字を抜き出して・・・・・・」

と、穏やかに二、三回説明したのだが、それでも理解できず、「え?こんな事も理解できないのか」という驚きと怒りで、何年かぶりにブチ切れ。ほぼ瞬間湯沸かし器。。。

「だからぁー!、この数字のぉー!」
「左から〇番目から〇番目の数字をね!」

と、思わず声を張り上げてしまったので、母もへそを曲げてしまった。

特に認知症とかではなく、どこか母の頭の中で思考回路が変な風に繋がっていたようで、結局すぐに

「あー分かったよ、分かった分かった」

と理解したのだが、僕は怒りが収まらず、直後の食事も喉を通らない。


その後、すぐに気持ちが落ち着くと、「人が老いる」という事、「年老いた人間が周りの情報を理解できなくなっていく怖さ」というものを感じたような気がしてきた。母だけではない、自分もそう。母は身をもって息子の僕に「老いる」という事を教えてくれている。こういう小さな事の積み重ねで、人はおじいちゃん、おばあちゃんになって、あの世に行く。。。


ちなみに怒った事は特に反省していない。血の繋がってない人間に、母を叱ったり、注意したり、喧嘩したりする事は出来ないと思うから・・・・・・


いや、ほんのちょっと反省してるかも・・・・・・。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?