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少しの間 宇宙服を貸してよ 君の代わりに逃避行なんだから

朝からえんえんと、ジェニーハイの「ランデブーに逃避行」が頭のなかに流れている。タイトルに遣わせてもらった部分がとくにエンドレス。ここ数日、ジェニーハイのアルバムとゲスの極み乙女。のアルバムがほしくてしょうがない。ストリーミングじゃなく、できればCDで。

しかし、うららかな午後だ。近くの喫茶店でコーヒーをのみながら、きのう買った本を2冊、交互に読む。太宰の『斜陽』と谷川俊太郎の『ひとり暮らし』。

複数の本を交互に読むのは、飽きないための工夫だ。「年間365冊本を読みたい!」と息巻いていた高校生のときに編み出したやりかたで、単にその本に飽きてきたときにべつの本を読むようにするだけなのだが、これだと比較的長い時間読書ができる。

太宰の『斜陽』は、高校か大学のときにいいかげんに読んだだけだったので、読みはじめてすぐ、すごく懐かしい感じがした。そうか、かず子って、29歳だったのか。わたしとほぼいっしょやん。戦後まもない時代に29歳の女性が、「恋と革命のため」に生きようとするなんて、それはもう現代とは比にならないくらいの困難さだったはずだ。すごい。ぶっとんでる。

わたしは大学で日本文学を専攻していたが、これまでと変わらず好きな小説ばかりを読み散らかしてきたので、いわゆる文豪と呼ばれる作家が書いた作品にあまりにも疎い。たとえば漱石など、『こころ』と『草枕』しかまともに読んだことがなく、前期三部作(『三四郎』『それから』『門』)はすべて未読、後期三部作(『彼岸過迄』『行人』『こころ』)も『こころ』以外未読、『坊っちゃん』も『吾輩は猫である』も通読したことがない。漱石だけ挙げてもこの体たらくなので、谷崎太宰三島あたりも推して知るべし、といった感じだ(芥川だけは、大学で講義を取ったのでひと通り読んだ)。

本好きを公言しておきながら(そして小説を書いていながら)、この無知っぷりはいただけない。反省し、遅ればせながら買い集めて読んでいる。『斜陽』もそのうちの1冊。
わたしの愛する作家のひとりである山田詠美さんは、基本を知らなければ崩すことはできない、と複数のエッセイや対談内でくりかえしおっしゃっている。いわゆる文豪と呼ばれる作家の作品は、基本だ。必修科目。知っていて当然。そこがスタートになる。
お洋服と一緒だよなあ、と思う。正解がわかっているから、自分なりに着崩せる。正解を知らなかったら、ただの妙ちきりんな恰好になるだけだ。それを個性と勘違いしてはならない。

さいきん、自分がいまやるべきことがすごくよくわかる。いまの自分にとってなにがいちばん大事なのかがわかって、安心したのだろう。小説を毎日書き続けることと、本を読むこと。そのふたつが必須事項で、あとはおまけ。食事も睡眠も、入浴も勉強も、ゲームするのもYouTube観るのも、どこかに出かけるのも、いまはしてないけど労働も、ぜんぶ、おまけ。

(今日のBGM)
ジェニーハイ「ランデブーに逃避行」


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