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26歳最後の日は”自然であること”を教えてもらって、そして27歳は。

今日、僕は27歳になりました。
26歳最後の日は、淡路島で過ごし、最後の夜は学生時代からお世話になっているお寿司屋さんで過ごしました。
大将や板さん、友人、妻に囲まれて”特別な日”を迎えたわけですが、
今日は、そんな”特別な日に感じたこと”と”一年の抱負”を書いてみようと思います。

人間を見向きもせずに、変わらずただそこにある「自然」

27歳の抱負。

人間を見向きもせずに、変わらずただそこにある「自然」

26歳最後の日、僕は妻と共に兵庫県の淡路島に行きました。
目的は、『静かに、ゆっくりしたい』
もちろん、例のウイルスに端を発した自粛ムードも少しは考えましたが、
それよりも寧ろ、世間がガチャガチャしてる時だからこそ、いつも通りに過ごそうときめました。

26歳最後の日は見事な晴天でした。
予定通り僕たちはカーシェアを使い淡路島まで走り出しました。

淡路島でおそらく一番の賑わいがあるはずの"道の駅"は、駐車場も売店もレストランもガラガラ。
昼食を取るために入った食堂は、席が選び放題…どころか、空席の方が多いくらいでした。

昼食後、明石海峡大橋をバックに写真を撮ったのち、"ある場所"に行きました。

それが、

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ここ【あわじ花さじき】です。
まるで黄色い絨毯みたいに山の斜面一面に花が咲いています。

風が吹くたびに大きな生き物みたいに"ザワ〜"っと動きます。
風が止めば、ゆっくり"ノソノソ"と動きます。

花の写真を撮ることにしました。

花なんて、以前は全く興味はありませんでした。
何色をしてようが、どんな動きをしようが、僕の心は1ミリも動きませんでした。

多分、妻と花を見に行くようになってから、花が好きになってきた気がします。

なぜ興味を持つようになったのか、26歳最後の日まで分かりませんでした。

花さじきを眺めているうちに、これまでの気持ちが、言葉に出来なかった気持ちが、少しずつ滲んでくるようでした。

今、日本は、世界は、例のウイルスによって惑わされています。
データや結果を見ることなく、我先にとマスクを買い求め、大して調べもせずトイレットペーパーや紙おむつを買い漁る始末。
"早くどうにかしろ!"と意思決定を迫りながら、いざ意思決定されれば"あれがダメだ、これがダメだ!何もわかってない!"と批判祭り。
全くもって人間は愚かです。
人間は人間でありながら、人間には興味もなく、ただ"自分"という絶対軸のみを信じて疑いません。
仲間でも意思決定権者でも"世間"でもなく、自分の愚かな心のみを信じます。
環境問題だのSDGsなどと言いながら、結局は自分しか大切ではありません。
家族のため子供ためと言いながら、いささか行動は"自分へのリフレクソロジー"にしか見えない滑稽な光景です。

世界は、小さな小さなウイルスと、大きくなった心、によって混沌としています。

そんな世界を、そんな人間たちを他所に、僕の目の前で揺れている花は、まるで世界に一ミリの変化も無いかのように、ゆらゆらと揺れています。

世界は、僕たちが目で見ているものだけではありません。
人間の目で見えるものなんて、世界のほんの一片だけなのです。

あたかも、目で見えていることが世界の全てであるかのように思い込んでしまいます。

この花だって、その世界の一片であるし、不規則に吹く風も世界の一片です。

そして、今手の中にある、スマホの世界も、その一片です。

僕たちは、振り回されています。

情報に、大きな声に、自分の心に。

人間たちが振り回されていても、世界はありのまま、花はありのまま。
ただそこに"ある"ことを実践しています。

妻と花を見に行くようになった時のことを思い出しました。

忙しなく、いつもどこか焦っている僕の生活は、妻と一緒に花を見ている時だけ、時間が止まります。
仕事で辛いことがあっても、苦しい時があっても、翌日に大事な予定を控えていても。
いつも時間が止まります。

26歳最後の日に、もしかすると、僕にとって大きな大きな気づきになったのかもしれません。

**いつも通り迎え入れてくれた大将たち **

26歳最後の日、締めくくりは学生時代からお世話になっているお寿司屋さんへ。

大学を卒業しても、東京へ行っても、結婚しても、変わらずに迎えてくれます。
話が合いそうな他のお客さんとも、天才的に自然な運びで繋げてくれます。

いつものカウンターで、大将を相手に4時間も話し込んでしまいました。

話の内容は、たぶん学生時代のそれとは全く違っているはずです。
やってることも、責任も、ほんの数年前とは全く違います。

自分では、変化している、成長していると思っていても、カウンターに座り大将と対峙すると、まるで時間が止まっているかのように話が進んでいきます。

東京に住んでいる僕は多分、変化しているのかもしれません。

でも、ここにいる僕はそのまま、ありのままで”ある”ことができます。

何に踊らされなくてもいい。
”ある”ことが何よりも尊いです。

【27歳の1年間】

この一年をどう過ごそうか考えてみました。
”自然”に”ある”ことを頭の片隅に置きながら、自分の細胞と対話しました。

①30歳まであと3年。

30歳の自分を想像するとワクワクします。
あと3年、20代のうちに何かを成し遂げていたいです。
それが介護なのか高齢者に関わる何かなのか、学習支援なのかYouTubeなのか、それとも、今の時点では想像も出来ない何かなのか。
必ず成し遂げます。
自分自身の生きる軸を一つか二つくらいは見つけていたいです。

②5年間を試す一年。

27歳を前に、先月僕は個人事業主を開業しました。
5年間積み上げてきた
・組織づくり
・採用
の分野で力試しをしてみます。
どれだけ通用するか楽しみです!

③新しい挑戦と「全責任を取る」

既に年末から始動していますが、地域を土台とした学習支援事業を始めます。
僕が代表となり、人集めからお金集め、全て自分の責任で行います。
仲間や協力してくださる方が沢山いらっしゃることがとてもありがたく、地域を上げての事業にはなりますが、
何かあれば責任は全て僕が取らなければなりません。
これまではどんな時でも最終的には"会社・法人"という傘の下にいて、守ってもらっていましたが、今回はそういう訳にはいきません。
しかし、悲観はしていません。
新しい挑戦にはいつだって責任がつきものです。
その度に、己の肉体と精神と煩悩に向き合い、全員で成長していきます!

④自分なりの”サラリーマン”

会社の外での活動ばかりを書いてきましたが、"サラリーマン"もこれまで通り続けます。
二足のわらじっぽくなりますが、大きく言えばこれまでとやってきたことは変わりません。
自分のやりたいこと、やるべきことを全力で取り組んでいきたいと思います。
一人では決してできない、最高の景色を夢見て。最高の仲間とともに走り抜けます!

⑤「やりたい」と「流れ」

やりたいことが沢山あります。
あり過ぎてヘトヘトになることもあります。
これまで、僕はやりたいことを自分の力でもって、半ば無理やりにやってきました。
そのおかげで、介護現場をはじめとする周りの仲間を困らせてしまったことも多々あります。
これからの1年は、淡路島で見た風景を思い出しながら、"ありのまま・そのまま・自然に"をテーマにいたいと思います。
そのために必要なことは、自分の力でなんとかすることではなく、運命の"流れ"を見極めて、大きな心で受け止め続けることだと感じています。
流れのままに、でも、ハンドルは自分が握ったままで、進んでみようと思います。

淡路島で見た、大将から感じた、自然でいることの尊さを、一年かけて感じてみようと思います。



<終わり>


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