2019年総まとめ(1月〜6月)
2019年(平成31年、令和元年)がまもなく終わります。
今年も社会、政治、経済、テクノロジー、スポーツ、芸能・・・様々なことがありましたね。
皆さん個人個人も多くのことが起きた一年だったのではないでしょうか。
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ミヤケです。
僕にとって2019年は、「note」という大きな出会いがありました。
沢山の方々に背中を押してもらい、2019年2月1日に始めたnote。
年末、12月31日で「334日連続更新」になります。
note以外にも自分なりに一生懸命できたこと、できなかったことの多い一年でした。
”一年をどうやって振り返ろうか?”
これまで社内のSNSやFacebookなどで振り返ってきましたが、やはり今年を振り返るなら、「note」しかない!と思いました。
僕を変えてくれたnoteに感謝しながら、
そして、支えてくれた多くの人に感謝しながら書きたいと思います。
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1月
地獄でした笑
介護施設の採用見込みが立たず、経営におけるボトルネックをなかなか抜け出せずにいました。
売上云々ではなく、これ以上何年も運営を続けることは現実的ではないかもしれない、と具体的な話が出るところまでいきました。
夜はまともに寝ることがほとんど出来ず、夜中に突然泣き出してしまい、妻に背中をさすってもらいながら眠りにつくことも。
それでも、採用チームとともに、『出来ることをしっかり絞り、戦略を立てて、死ぬ気でやりきろう!』と決め、背水の陣のごとく走り出しました。
2月
採用の見込みが立たないまま2月に入り、経営会議でも、いよいよ…となるところまできていました。
『もう、これ以上出来ることはないのかな?』
日中の時間はひたすら応募候補者にDMを送ったり、SNSを使ったりしていましたが、
夜になると、どうにかしたいのにどうすることもできない無力さに苛まれました。
そんな時、
noteとの出会いをもらいました。
その出会いをくれたのは、
さとうさんとゆいちゃん。
さとうさんは、note界隈でも有名で、おすすめ入りやコンテストでも注目を集める敏腕noterです。
↑さとうさんのnoteの中でも、特に僕が好きな記事を勝手に選んでみました。
”エモい”文章を得意とするさとうさん。
ミヤケの心はいつも”ブルブル”しています。(ブルブルってエモいと違うか?w)
ゆいちゃんは、社内でいくつものプロジェクトに顔を出しながら、弊チームの採用プロジェクトにも参加してくれていました。
採用専用にオウンドメディアの運営をやってくれたり、チラシを作ってくれたり、大車輪の活躍です。
きっかけは、1月の終わり。
現場の仕事を終え、本社に行き、採用について考えていました。
どうせ考えても結果が出るわけではないことを分かっていながらも、不安な気持ちを和らげるために・・・だったのだと思います。
会社の中をウロウロしたり、パソコンを立ち上げたり閉じたりしていました。
そんな時声をかけてくれたのが、さとうさんでした。
「ミヤケ、お疲れ〜!現場はどう?」
目が合うといつも変わらず声をかけてくれます。
さとうさんにとっては当たり前のことかもしれませんが、僕にとっては気持ちを和らげてくれる大きなきっかけになっていました。
”いやあ〜今いるメンバーは素晴らしいし、安全に業務が出来ているんですけどね・・・採用がね・・・全然で・・・。お一人、メンバーのご友人のママさんが入社してくれて、首の皮一枚繋がったんですけど、まだ目標には到達してなくて・・・”
僕の話を聞き終わるや否や、さとうさんは、
「ミヤケさ、noteやってみたら?」
忙しい作業を止め、こちらに身体を向けながら言ってくれました。
”うーん、noteですか〜”
??「いいじゃん!やってみたら?誰か見てくれて、応募が来るかもよ?」
僕とさとうさんが話している横から、ゆいちゃんも加わり、後押ししてくれました。
正直、あまり自信はありませんでした。
その一年と少し前、妻に買ってもらったmacでブログをはじめました。
しかし三日と続かず、自信を失っていました。
こんな自分にできるんだろうか。
それでも、僕の背中を押してくれたのは、
いつも頑張っている既存のチームメンバーと、
さとうさんとゆいちゃんの応援でした。
もう手段を選んでいる場合じゃない!
やるしかない!
やろう!
2019年2月1日。
僕の挑戦が始まりました。
↑初投稿。
今見てもひどい。。。
読まなくても大丈夫です笑
3月
採用はいよいよ佳境に入り、「今月中になんとかしなければ・・・!!」というところまで追い込まれていました。
採用チームと管理者キヅカさんで手分けして採用専用の媒体を通じてDMを送りまくっていました。
noteの更新も続け、Facebookのページも作り、できること全てをやっていました。
もう1つ。
もう1つだけ光が見えている糸口がありました。
ある20代女性の採用でした。
僕の妻の古くからの友人で、昨年末から本格的に転職活動を始めたとのことでした。
実は何年も前から「うちに来て欲しい」と話はしていたのですが、なかなか前職を辞めるタイミングは無く、この時まで来ていました。
年末から、定期的に会っては、会社の話やチームの話をしたり、チームの忘年会に参加してもらったりしていました。
それでも、なかなか踏ん切りがつかず、うち以外の会社も微妙・・・となっていました。
3月の昼下がり。
会社近くのカレー屋さんで面談をしていました。
「ウチに人生を預けてくれませんか?」
最後の口説き文句でした。
後日、彼女から「よろしくお願いします」との返事を頂き、前職の残有給がなくなる6月頭から勤務スタートという運びになりました。
淡々と書いてしまいましたが、10回以上も面談を重ね、やっと仲間になってくれました。
年末、社長も参加する経営会議で「必ず口説きます」と約束して3ヶ月。
やっと、やっと実りました。
なぜ、10回以上も面談をしたのか、については、過去のnoteに書いています。
そうしてまでも仲間になって欲しかったんです。
チームが一段、もう一段成長するための「最強の仲間」になってくれるはずだと確信していました。
すると、
別案件で動いていた応募者の方からも内定承諾を頂き、晴れてフルメンバーになることができました。
4月
この頃から、チームマネジメントに一層の安心感が高まりました。
社長からも、「どうした?急に!なんか元気だなあ」と言われました。
「noteもフェイスブックも結果に直結していないかもしれないけど、夢中でやり続けることで、熱狂してきました!」
僕の正直な気持ちでした。
毎日noteを継続するには、チームのことを強烈に考え続けなければなりません。
寝ても冷めてもチームのことを考え、アクションを起こします。
4月頭、ついに内定承諾してくれたメンバーが加わりました。
大枠の形が見えてきたことで、この頃からミヤケ自身の活動の幅も広がりました。
・シニア向けスマホ教室
を軸に、地域にどんどん入りこみ、次の種を探していました。
5月
新メンバー入社を1ヶ月後に控え、今後のチーム編成について考えていました。
その矢先、まさかミヤケ自身に困難が訪れました。
チームの中でも比較的主要メンバーとして働いてくれているあるメンバーとの確執が浮き彫りになりました。
おそらくこの時から、働く上での自分自身の”見せ方”にこだわるようになりました。
自分が良しとしていた行動も、周囲から見れば過度にプレッシャーだったりしたみたいです。
言い訳をすると、昨年末から採用面でかなり追い詰められており、それ以外になかなか意識が向いていませんでした。
採用を頑張ることこそが皆んなのためになる・・・でもそれは一部僕のエゴも含まれているものでした。
そして、5月はもう1つ記念すべき出来事もありました。
「note初サポート!」を頂きました!
そして、このサポートをきっかけにして、超大手の企業様から”アドバイザー”として相談を受けることにも繋がりました。
noteの生み出す共感の凄さを実体験できました!
6月
新メンバーを迎え、さらに勢いが増したチーム!
それに並走するかのように、ミヤケ自身の活動も幅が広がりました。
これまでの「シニア向けスマホ教室」を本格的にリスタートさせ、有料化もスタートしました(実際は五月から)。
また、知覧で見た戦争や当時の生活の様子から、より深く多世代について知ることができ、スマホ教室を始めとした「高齢者」に関わる活動も幅が広がりました。
<後編へ続く>
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