私は筆を折った
オラ、アミーゴ・アミーガ!
三屋城です。
皆さんには、夢ってありますか?
あ、愚問ですよね、ここ(小説家になろう)にいる人は持ってらっしゃる方が多そう。
noteにも、そういった方は多そうなイメージです☆
何せ夢も追いかけられる場所、ですからね!
今回は、私のちょっとした、昔ヘタレ話を語りたいと思います。
昔々、私は、夏休みに児童向け小説を一度に三〜四十冊借りては読んでを繰り返し、創作世界へと羽ばたくのがとっても好きな子でした。
そして御多分に洩れず漫画も好きになり、「漫画家になりたい!」との大志を抱いたわけです。
が、堅実な道をと願う両親とは当たり前ですがガチンコバトル。
切った張ったの大立ち回り(大ボラ)をし、これまた結論が出ないので進路がなかなか決まらないなんていう修羅の道を歩むことになりました。
そこのところはまぁ折衷案で、何とか専門学校へと滑り込み入学したのですが。
え、端折るな?
聞いても殺伐だし面白くないところはガスガス削ります!
そうして無事進学したところ。
何ということでしょう、同好の士が集う場所の何とまぁ居心地のいいこと!
とはならずに、漫画家志望の中でも勝手なカーストが出来上がり、そこでも水面下でのバトル。
刺激的な学生時代でありました。
さてそんな中で気の合う友人も出来、途中で志しがぬるま湯にズブズブ浸かる半端者になっていた日のこと。
クラスメイトの作品を読む機会がありまして。
それはもう衝撃を受けました。
ショートショートだったのですが、オチが何とまぁ秀逸なのです。
すげぇの一言しか、出ない。
才能が、そこに存在しました。
人を楽しませるんだ、という心を、見た気がしました。
私は何のために描くのか。
その作品を見て振り返ってみると。
同じ境遇の人に、少しでも物語で教えてもらった希望を、自分も伝えてみたい。
そんな気持ちもあったけれど。
私は自身のその奥底にある深淵を、覗いてしまったのです。
何のため?
それは――
愛されているのか唯の労働人員か頭数か、わからぬ不安定者は、きっと死ねば何も残せないだろう。
だから、何か残したい。
そう。
動機は「残したい」でした。
ただひたすらに動植物が子孫を渇望するのと、恐らく一緒なのでしょう。
自分は最期のその時まで何も残せない。
自分は何者にもまた何事にも、干渉することはない。
「ある」か「ない」かで言えば、ない。
宮大工に憧れていたのも、そういえばそんな動機でした。
作ったものが千年も残る。
自身が宮大工になるか、なれなくても「宮大工さんにお家を作ってもらえるくらいお金があったらいいなぁ」と、夢想する子供でした。
趣味ならば良かったのでしょう、けれど職業に憧れていた……残したいなら、やはり商業にのせるのが確実だから。
商業として創作を成立させる、ということの意味も、授業で習っていました。
就職率百パーセントに近い学校でしたので、そういった方面も手厚かったのです。
私は現実を見ました。
自分の今手についている実力。
世間にくい込み食べていくために必要なスキル。
天秤にかけました。
家族を手に入れることも、時には人として必要な事も最低限まで落として、全部投げ打って時間を捻出して打ち込む。
きっとそれをしても、ようやっと棒の端っこに引っ掛かるくらい。
さて。
やるかやらないか。
私は結局寂しがりやでした。
孤独にただひたすら、座れるか座れないかわからない、しかも座っても自分のしがない実力のせいで齷齪しなければならず孤独かも知れない……そういう椅子。
取りに行くぞと思うより、まだこんな私でも家族と一緒にいるかも知れない未来に、賭けたくなりました。
ギャンブルです。
多分どっちに決めても、ギャンブル。
付き物が落ちたかのように、その後描かなくなりました。
親からはいまだに「東京に行かない時点で本気じゃなかった」と言われます。
自分を客観視したのだ、と説明しても、わかってはもらえません。
それでいいのだと思います。
私は私を見た。
知っているのは、私だけです。
みなさんにもお裾分けはさせていただきましたが、あの頃の淵は、あの頃にしかもう残っていません。
それで良かった。
今はそう思っています。
※小説家になろうからの転載です