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20年前に聞いた、きっと一生忘れない4文字の言葉のこと

阿部広太郎さんの『コピーライターじゃなくても知っておきたい 心をつかむ超言葉術』を読みました。
いやー、すごい。なにがすごいって、本を読む前に阿部さんのお名前をツイートするとき、たくさんの変換候補の中から「どの漢字だったっけ?」とプロフィールを見返しにいったけれど、今は迷わずに選択できる。その理由は読んだらわかるので、ぜひこの本を読んでみてほしいです。

さて、この本を読み進めるうちに、もしかしたら世界でわたししか記憶していないかもしれない4文字の言葉が心に浮かび、そのことについて書きたい気持ちがふつふつと湧いてきたので書いてみることにしました。

最初に少しだけ昔ばなし

わたしは小さいころ7人家族で、祖父母も一緒に暮らしていました。幼少期たくさんの時間を一緒に過ごしたことで、わたしはすくすくとおじいちゃん・おばあちゃん子に育っていったのですが、今日書くのは祖父にまつわる話です。

祖父の名前は、譲(ゆずる)。左官屋を生業にしていました。

左官(さかん)とは、建物の壁や床、土塀などを、こてを使って塗り仕上げる仕事、またそれを専門とする職種のこと。「しゃかん」ともいうこともある。
      (出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

そんな祖父のことを、ちょうど先日ツイートしたばかりでした。

わたし自身背が低くて、152cmしかないのだけれど、祖父はわたしよりも背が低かったのです。身長が理由で戦争に行けない。この事実は、当時青年期であった祖父にとっては、大きな心の傷となり、身長は祖父のコンプレックスとなったようでした。

だけど、わたしはそんな小さな身体なのに、力強く大量のセメントをまぜあわせ、大きなトラックでたくさんの重い道具を運んで、屋根の上にもひょいっとのぼって簡単に仕事をこなしてしまう、そんな祖父を子供ながらにかっこいいと思い、その仕事っぷりをわくわくしながら見ていました。

そして舞台は20年前へ

今から20年前の、2000年。祖父が鬼籍に入りました。
当時わたしは高校生でした。身近な人が亡くなる経験がはじめてで、しかも大好きなおじいちゃん。そりゃ病気をし入院をしていたこともありどこか覚悟はしていたけれど、それでも実際にその日がくると、やっぱり寂しくてわんわん泣きました。

その後、お通夜を自宅で行うことが決まり、亡くなった翌日から葬儀社の方たちや親戚や隣組のみなさんが家に出たり入ったりで「これはどうする」「あれはどうする」とバタバタしているのを見て、準備を手伝いながら「家族が亡くなったときにこうやってやらなきゃいけないことがあるのは気が紛れていいんだな」なんてぼんやり考えたりしていたような気がします。

それでも、ふと手をとめた瞬間に涙があふれてくるのでした。

きっと一生忘れない4文字

はじめての葬儀。見様見真似でお焼香をし、お経を読みました。本当に悲しくて寂しくて、だけど、大勢集まっているこの場では大声で泣かないようにしようとこらえていました。

あれはたしかお通夜だったのでしょうか、決まった一連の流れが終わり、最後にご住職が法話をしてくださいました。(実際は話しぶりは覚えていないので、こんな口調ではなかったかもしれないのだけれど、こういう話をしてくださったことは覚えています。)

譲さんには、大鏝讓道(だいまんじょうどう)という戒名をつけさせていただきました。この「鏝(まん)」という字は、「こて」と読みます。左官屋さんの使う、あのこてです。
譲さんはあの小さなお身体で、鏝(こて)を使って、たくさんの大きな仕事をされてきた。それが譲さんの生きてこられた道・人生でした。

この法話を聞くと、祖父の少年のように二カッと笑う笑顔や、小さな身体で一生懸命仕事をする姿や、一生懸命に仕事をするあまり屋根から落ちて大きな怪我をしてしまったときのことや、お見舞いに行ったら照れ臭そうに迎えてくれたことや、とにかくたくさんの祖父にまつわる思い出が瞬時にわたしの頭と心を駆け巡り、こらえていた声を我慢することなど到底できなくなり大泣きしてしまいました。

心をつかむ言葉

こうして「大鏝讓道」の4文字は、わたしにとってきっとその後一生忘れないであろう言葉になりました。

いきなりネーミングを考えはじめてはいけない。
「そもそも」から考える。それは名付けも一緒だ。
言うなれば、そこにある「意志」を確かめたい。
(中略)
そこにある「意志」こそが、名付けの土台になる。

冒頭で紹介した『コピーライターじゃなくても知っておきたい 心をつかむ超言葉術』の一節です。「大鏝讓道」はまさに祖父の意志を、そして、その生き様を表現してくれた言葉でした。

もちろん、祖父と普段から接し、そのひととなりや働きぶりを知っていたからこそわたしは感動したわけで、この本に書かれている言葉やコピーを伝える話、心をつかむ話とは少しずれているかもしれません。

だけど、この本を読みながら、あのときご住職にお話いただいた4文字の言葉と法話がなんども思い出されました。

「伝わる」とは「思い出せる」

ご住職の選んでくださった4文字、そしてそこに込めてくださったであろう想いは、間違いなくわたしに伝わりました。そして、それはただ単に祖父のことを思い出すだけではなく、そのひととなりや働きぶりまでをも一緒に思い出させてくれる、本当に大切な言葉となりました。

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この話を書くことにして「戒名」について調べたところ色々なサイトに「戒名は2字」と書いてありました。

「あれ、じゃあ「大鏝讓道」は戒名とは言わないの?だったらあれはなんだったの...」

基本的に戒名は2字で表現される。身分の上下や熱心さ、貢献度に関係なく、仏の世界が平等であることを表している。
  例1 「OO院△△XX居士」
  例2 「○○院ΔΔ××大姉」
上記の例の場合、「OO」・「○○」が院号、「△△」・「ΔΔ」が道号、「XX」・「××」が戒名、「居士」・「大姉」が位号である。
ただし、位牌・墓誌・過去帳・法名軸などには、戒名の前後に院号・道号・位号等の号を付すことから、その全てを「戒名」としてみる場合が多い。
     (出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

なるほど。ひとつ勉強になりました。
このnoteを書こうとしなかったら、今後身内の不幸でもない限り、調べなかっただろうなと思います。

書くためには書く対象について深く知る必要があるし、書くためには自分がなにを考えている(考えていた)のか、なにを感じている(感じていた)のか整理する必要があります。さらには自分の選ぶ言葉と向き合い、その意味を正しく知り、深く考えていく必要があります。

書くことは、知ること。そして自分と向き合うこと。だから書くたびに新しい発見がある。きちんと文章を書いてみるのって楽しいなあと改めて感じました。

おわりに

この4文字の言葉は、それはそれはもうわたしの心に響いて、その後20年間毎日思い出していたとは言わないけれど、いつも心にあった言葉でした。いつか、どこかでだれかにこの話を伝えられたらいいなと思って大事にしていた言葉です。

『コピーライターじゃなくても知っておきたい 心をつかむ超言葉術』を読みながら「あ、この話伝えるの、今な気がする」と思って、今回noteを書いてみることにしました。

「もっとうまく書ければいいのにー!そうしたら、わたしがあのとき感じた感謝や感動や寂しさやいろんなごちゃまぜな感情をもっとうまく表現できたかもしれないのにーー!」

書き終わった今、そう思う気持ちがなくはないです。でもとりあえず、まず書いてみることが大事だと思って、書いてみました。

「超言葉術」を目指して。

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(なお、トップの写真は祖父母とよく遊んだ実家の縁側でかき氷のアイスをほおばるわたし(推定4歳)です。本文とはまったく関係がありません。笑)

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