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DQとFFの違いは世界の科学リテラシーにあるかもしれないと思った日


言わずと知れた日本を代表するRPG、ドラゴンクエスト(DQ)シリーズとファイナルファンタジー(FF)シリーズ。ザ・二大巨頭。
近ごろは互いの作品の間でオマージュなどもみられて、越えられない垣根もなくなってきているように見えるし、DQのビジュアルが3D化してからは、特に詳しくない人には両タイトルは同じようなゲームに見えているかもしれない。

合併によりエニックス=DQ、スクエア=FF と 一括りにするのが難しくなっている中、回復魔法がホイミなのかケアルなのかとか、主人公に台詞が割り当てられているかどうかとか、システムとしての違いが両者を区別するルールなのだと考えていたが、もっと深く世界観に根付くレベルでの差を発見した気がしたので、メモ。


たどりついた結論:FFの世界には科学者が存在している。


FFの世界には、たとえストーリー中に現れずとも、自然科学者、研究者の存在が明確に感じられる。
さらに、作品ごとに多少異なる形をしているものの、その科学は一般人まで広く根付いているように思える。
他方DQの世界では、人々の生活の向上のため、応用しうる技術のタネはあるのに、それが究明されている様子が見られない。


FFの世界観

FFシリーズでは、魔法はただ火をおこしたり人を癒したりするものではなく、人の生活を豊かにするために利用されている。
魔法だけに限らず、作品ごとに登場する、魔石、マテリア、スフィアといった、不思議な力を持っているものは、各所で応用されている描写が必ずある。その世界の誰かにより原理が明らかにされた、ということである。
しかもその利用方法や仕組みを、そこらにいる一般人が理解した上で扱っているという事も驚きである。
辺鄙な集落に暮らしていて、物語の一番はじめに出会うような村人Aが、この世界の仕組みや本質に触れる法則まで事細かに説いてくる。そのサイエンスリテラシーの高さに感心する。


DQの世界観

DQはというと、人々は実に原始的な生活をしているようである。
一般の兵士は剣や槍を手に魔王を討伐しに行っているし、村では薪をくべて湯を沸かすような生活が営まれている。
一部の人間は魔法を唱えてモンスターを消滅させたり、空を飛んで移動したり、火を起こしたり、雷を自由に落としたりできるのにも関わらず。

DQの世界に科学リテラシーや、探求心が広く根付いていれば、勇者や賢者、魔法使いなどといった一部の特殊な人間に宿った力は第一に研究対象とされ、その裏に存在する原理原則が明らかにされると思う。人類に害をなす魔物の駆逐と、生活の質の向上のために役立てられそうなものである。(科学の力で、人類共通の敵である魔王を討伐したのちの世界に待ち受けているのが平和な世界になるのかについては疑問が残る)
過去にそういったことが行われ、技術を独占している一部の人間や組織が存在しているような描写も特にみられることはないと思う。
どうなってるんだ。


補足

というようなことを今日は考えていました。

誤解を防ぐために補足。
FFもDQも等しく大好きです。
母親から「ボス戦はいかに低いレベルで攻略するか」「初見で攻略本は見ない」「村人はとりあえず全員話しかける」など、RPGのイロハを教え込まれながら育ち、始めて自分でプレイしたRPGはDQ6。今も、とあるゲーム実況者のゲーム配信を熱心に追いかけていて、昨年の外出しづらい状況では、彼の放送を作業用BGMがわりに過ごし、計1,000時間以上はDQを眺めていたのではなかろうか。というくらい好き。

特定の作品をディスったり優劣を述べたりしたいわけではなく、FFとDQの開発方針の違いとして、こういう部分にコンセプトとして差があるのだろうか、と想像してみた話。
間違えてるかもしれないけど、考えている今日一日楽しかったからOK。

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