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つぎ、同じことが起これば、なにか、役に立つ

第163回芥川賞受賞作『首里の馬』を読んだ。

沖縄の古びた郷土資料館に眠る数多の記録。中学生の頃から資料の整理を手伝っている未名子は、世界の果ての遠く隔たった場所にいるひとたちにオンライン通話でクイズを出題するオペレーターの仕事をしていた。ある台風の夜、幻の宮古馬が庭に迷いこんできて……。世界が変貌し続ける今、しずかな祈りが切実に胸にせまる感動作。(新潮社サイトより)


とても不思議な世界観の小説だった。
主人公は沖縄の港川というところに住む未名子。順さんという研究者が作った資料館で資料の整理を手伝っている。資料の整理をし、それらをスマートフォンのカメラで撮影し、インデックスカードを作成し保存する。これは無償のボランティアのようなもの。
お給料が発生する仕事は、オンライン通話でクイズを出す仕事。クイズの相手は世界中の日本語を使える人々、一対一で行う。彼らが何者なのかは未名子も知らない。ただ彼らの周りに他の人の姿は無い。
なんだかあやしい仕事だが、ちょっと興味を惹かれる。
未名子は10代の頃に不登校で、資料館が居場所だった。それは大人になった今も変わらない。
そして台風の次の朝、自宅の庭にうずくまっていた馬と出会う。その馬は沖縄で“幻の”と言われている宮古馬だった。多分、この“幻の”馬との出会いと、資料館の閉鎖が重なり、未名子の中にこの土地の記憶や情報を出来る限り保存し守りたいという気持ちが生まれたように思う。


例えばかつて華やかに開催されていた行事が時代を経てなくなってしまうことについて、


ささやかな悲劇が起こるための原因はいくつも重なっていて、そこには深刻化するためのたくさんのファクターがある。それらの要因はでも、当時は細かく範囲もひろかったことで、紐づけて考えられてはいなかっただろう。事実として記録し続けていけば、やがてどこかで補助線が引かれ、関係ない要素同士であっても思いがけぬふうにつながっていくのかもしれない。
だから守らなくちゃいけない。命と引き換えにして引き継ぐ、のではなく、長生きして守る。記録された情報はいつか命を守るかもしれないから。

沖縄という風土も未名子の気持ちに拍車をかけたのかもしれない。かつての大戦で、建物や植物どころか地形が変わるほどの爆撃を受けた地。

みんなが元どおりにしたくても元の状態がまったくわからなくなったときに、この情報がみんなの指針になるかもしれない。まったくすべてがなくなってしまったとき、この資料がだれかの困難を救うかもしれない。

もしかしたらそれらの資料は「つぎ、同じことが起これば、なにか役に立つ」し、もしかしたらそれらはずっと役に立つ日がくることなく消えてしまうかもしれない。そして、それは、そのほうがきっと良いことなんだ、と。
帯にある“静かな祈り”とはそういう意味だと思った。

元々私設の資料館に対して理解を示さない人たちがいた。そこで一体何をやっているのか。何を研究しているのか。老朽化を理由に取り壊されることになって、そこにある大量の資料を別の場所で保管しなくては、と思う人は未名子以外にはいなかった。だから未名子は、大量のデータを分散して隠そうとする。“幻の宮古馬”は未名子以外誰も興味を示さない資料と同じで、自分が飼うしかない。資料も自分が保存するしかない。

この島の、できる限りすべての情報が、いつか全世界の真実と接続するように。自分の手元にあるものは全世界の知のほんの一部かもしれないけれど、消すことなく残すのが自分の使命だと。

著者の高山羽根子さんのことを私は知らなかったので検索してみると、“小説家、SF作家”と出てくる。意外な気もしたが、案外この作品もSFっぽかったなと読後に思った。

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