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感動して撮った「花火の写真」が、意外と共感されづらい編集的理由。

■花火の「意味」を引き出すには。

夏の風物詩のひとつといえば、やっぱり花火大会。つぎつぎと夜空をいろどる赤や青の大きな花はまさに幻想的で、思わず日常を忘れてしまいます。

せっかくのこの感動を写真に残しておきたい。だれかに伝えたい──。

そう思って、スマートフォンやデジタルカメラを手にする人は少なくないでしょう。

けれど、そうやって撮った「花火の写真」を、SNSにアップしたり、あとで人に見せたりしても、意外と“わかってもらえなかったり”します。あるいは、友だちから楽しそうに花火の写真を見せられたものの、ピンとこなかったり……そんな話をときどき耳にします(ぼくのまわりだけだったらすみませんw)。

でも、どうして「共感しづらい」のでしょうか。
じつは、そこには「編集的な事情」がからんでいることが少なくないようです。

※ここでいう「編集」はつぎの記事にあるような考えかたをしています。
 松永光弘(編集者)@「編集のつかいかた」
『教養として知っておきたい「編集」の基本。』

たとえば、こういう写真。

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打ち上げられた花火が、まさに花開いたところをアップで見事におさえた1枚。撮った本人にしてみれば、タイミングをはかりにはかって、感動の一瞬を切り取った出来ばえでしょう。これを見せられたら、「きれいに撮れている」「うまい」などとは思うかもしれません。

でも、写真を撮った人がその場で感じたものはあまり伝わってきません。共感ということにはなりづらい。「編集」的な視点からいえば、その原因のひとつは「花火の価値や意味」が引き出されていないことにあると考えられます

そもそもぼくらは、ただ単に「花火だけ」を見て、はしゃいだり、感動したりしているわけではありません。隅田川にかかる橋の上で見たとか、恋人とふたりで見たとか、夏の終わりだったとか、冷たいビールを片手にしていたとか、あるシチュエーションのなかで見たからこそ、その花火を「特別なもの」と受けとめます。「花火だけ」を写真におさおめると、そういう関係性が切り捨てられてしまうのです。

じゃあ、どうすれば、意味や価値がもっと伝わるようになるのか。
ここに「編集」の余地があります。

編集とは、組み合わせによって価値や意味を引き出すこと」ですから、じぶんがその場で感じた意味や価値が引き出されるようななにかを、写真のなかに同居させておく。

たとえば、先ほどの写真なら、こういうことです。

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こうなると、花火から「地方で過ごした夜のできごと」という意味が引き出されてきます。

ほかにも、「浴衣の女性」のように夏を感じさせるものと組み合わせられていれば「夏の思い出」「夏の楽しみ」といった意味が引き出されますし、「大文字の送り火」と組み合わせられていれば、花火には「京都の夏」という意味が引き出されてくるでしょう。

そうすれば、写真を見る人も、その価値や意味を手がかりに想像をふくらませることができますから、「花火だけ」のときよりはずっと共感しやすくなるわけです。

■深い解釈をする人は「編集」的に考えている。

じつはこの「意外とピンとこない花火の写真」の一件には、編集という営みを成り立たせている、ある前提の存在が見てとれます。

それは「そもそもモノやコトの価値や意味は、組み合わせがなければ発現しない」ということ。

なにかを組み合わせるのは、モノやコトの「価値や意味を変えるため」ではなく、「そうしなければ、モノやコトの価値や意味がそもそも発現しないから」。編集という営みのベースには、そういう考えかたがあります。

これはなにを意味するのか。
いろんな受けとめかたができますが、注目したいのは、組み合わせるものの数が増えれば、それに応じて引き出される価値や意味の数も増えるところ、です。

たとえば、「ぼく(松永光弘)」は「編集者」ですが、これは「編集」という仕事と「ぼく(松永光弘)」を組み合わせたときに引き出される価値・意味です。同じ「ぼく(松永光弘)」でも、組み合わせるものを変えれば、ほかにもさまざまな価値や意味を引き出すことができます。

・「奥さん」との組み合わせでは「夫」
・「子ども」との組み合わせでは「父親」
・「(ぼくの)老いた父親」との組み合わせでは「子ども」
・「かかわっている企業」との組み合わせでは「アドバイザー」
・「仕事のチーム」との組み合わせでは「ディレクター」
・「横浜市」との組み合わせでは「住民」
・「行きつけのバー」との組み合わせでは「常連客」

など、その数はほぼ無限にあるといってもいいでしょう。

これらはすべて「ぼく(松永光弘)」の価値や意味。
別のいいかたをすれば、ぼくという人間の解釈です。

さまざまなものと組み合わせて考えることは、その対象への理解を深めていくことにつながります。深い解釈や柔軟な発想は「編集」目線からはじまるのです。


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