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メンタル地獄日記 -鬱病-

どうも順序立てて書くのが下手というか、まとまりがないというか。
「自由に書け」と言われるとあっちこっち飛んでしまって、読んでくれる人にうまく伝わらないなと改めて思いました。
今回は人間関係について書こうと思ったけれど、やはり自分の病気と何がしんどいのか改めて、導入の改訂版を書こうと思います。
今までの文章は見切り発車ということで堪忍してください。
なんせ文章を書くのは素人なもので。

①鬱病
②発達障害
③いわゆる毒親(PTSD)
④悪夢をよく見る
⑤人間関係がうまく構築できない
⑥社会(世界、人)が怖い
⑦死ねないので生きている

僕の場合は大きく分けてこの7つだと思う。
この7つが絡み合った闇鍋状態です。
いかんせん基本的に頭の中がごちゃごちゃしているので、後日修正するかもしれません。

今回は鬱病について自分がどう思っているのか、書きたいと思います。
僕が鬱病について思っていること、、、

・何億何兆円払ってでも治りたい病。
・1回しかない人生がこれなのか!ふざけるな!
・一刻も早く手放したい。

一生借金を返す日々でも構わない、それによって絶対に再発しないならば。
鬱病で損したことはあれど、得したことはない。
朝、夕に抗うつ剤を飲んでも人並み以下の感覚。
すぐ疲れるし、基本的に毎日毎秒焦燥感に駆られている。
寝る前はもう眠剤がないと眠れない身体になってしまった。
また眠っても、基本的には悪夢で脳が休んでいる感覚がない

よく『明けない夜はない』という。
だが僕は鬱病歴24年で一回も明けたことがない。
というのは嘘で、実は1日だけ明けた日がある。

その状況を書きます。
当時僕は大学卒業後、デザイン系の専門学校に通っていた。
だけれども1年くらいで徐々に鬱がひどくなり通えず休みが続き、限界の限界になった。
「行かなきゃ行かなきゃ」と思いつつ、授業が始まる時間になり、今までなら休んでいたけれど、限界を超えて遅れて行ってみたら、その時の授業の先生(担任ではない)が「大丈夫か?」と言ってくれた。
外見は強面の先生だったので「めっちゃ怒られる」と思っていたのでそれが意外すぎてボロボロ泣いた。
多分これだと思う。

本気で自分のことを心から心配してくれる人がいたと本能的に感じた。


という事だろうが、残念ながら今はその感覚はまた失われている。
たった1日だったのは、心の捉え方が治ったという感覚はあれど、身体のほうも同様にもうボロボロで物理的に何もできなかったから。
治ったと言っても急に何でもかんでも復活できるわけではない。
やはりリハビリは必須だと思う。
結局当時の担任にボロクソ言われてまた落ちた。

その時の感覚を難しいけれど、語らせて頂きたい。

①初めて急に世界が色づいて見えた
実はそれまで見えない灰色のサングラスを通してしか世界が見えていなかった、そんな感覚。
赤が、緑が、黄色が、青がちゃんとその通りに見える感覚。
例えるなら『進撃の巨人』のジークの最期。
あれに似ている。
清々しい、許せる、ちゃんと世界を直視する、そんな感覚。
進撃の巨人をご存知ない方はすみません。
だから僕は、20代であんなものを描ける諫山創先生は凄いと思うし、めっちゃファンである。
…話がそれました。

②全てに感謝できるようになった
鬱病なのにプライドだけは高かった。
傲慢で高慢だった。
でも、明るい空、草花、風、人、その他全てに感謝出来る感覚が確かにあった。

③特別でなくても生きていて構わない
この社会で生き残るための武器を作るために、デザインの専門学校に通ったし、それ以上に愛される為に、特別な能力や外見を手に入れなくてはいけないと思っていた。
けれど、『僕は何か特別なものやスキル、かっこいい外見がなくても生きていてもいいのだ』と思えた気がする。

コレだけなのだけれど、どうでしょう?
鬱病治っている方はこんな感じでしょうか?


とりあえず今日はここまで。
次回は発達障害について書こうと思います。
ここまで読んでくれてありがとうございます。

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