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短編小説

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僕の短編小説集です。
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#ショートショート

ワンダフル・トゥナイト

 僕は10年ぶりにその街を訪れた。  行きつけだったバーのカウンター席に座る。  バーの片隅には小さなステージがあり、そこでは若いロック・バンドが演奏をしていた。  僕はバーボン・ウイスキーをロックで頼み、一口舐めるように味わう。そしてよく冷えたチェイサーを口に含む。  バンドのヴォーカルと目があった。  レッド・ツェッペリンのアルバムのジャケットのように酒を飲む僕の姿を、その男は気に留めているようだった。  まるでタイムスリップしたかのようなオールドスタイルの男が珍しい

君と花火

「夏の恋って花火みたい。どきどきして、わくわくして、たのしくて。だけどたのしいのはそのいっときだけで、さいごにどかんと胸の高鳴りがくると、突然に終わってしまうの。いつもそう。はげしく燃え上るけど、あっけなく、簡単に終わってしまうの」  と彼女は言った。 「恋多き女の宿命だね。楽しければそれでいいんじゃない?」  僕は彼女に感想を述べた。 「うん。だけどね、こんどの恋はどかんと来る前に終わってしまったの。肩透かしなの。がっかりなの。失敗の恋なの」 「失敗の恋?」 「そう。夏の

魔法の鏡

「魔法の鏡を持ってたら、私の暮らし、映してみたい?」  と小百合は僕に尋ねた。 「何? ユーミン?」  と僕が聞き返すと、小百合は嬉しそうに、「あるのよ」と言ってほほ笑んだ。  彼女は僕の部屋の壁に、15インチサイズのモニターを設置した。 「これが魔法の鏡よ」  と言って、またほほ笑む。  これはアマゾンの音声操作デバイスだよね、と僕は思う。  電源を入れると、インカメラでそれを覗き込む僕らの姿が映し出された。 「ね、普通の鏡みたいでしょう? だけどね、これは魔法の鏡なの

秋の来ない恋

 彼女の恋は夏に始まって夏に終わる。  決まってそうだ。  夏の暑さのなかで情熱的に燃え上がり、夏の終わりとともにそれは終わりを遂げる。  秋の来ない恋。  彼女の恋は、そんな恋だ。  彼女の恋に、秋は来ない。  僕と彼女の恋は、花火大会で始まった。  それは夏の終わりのイベントだった。  本当だったら彼女の恋が終わるとき、僕らの恋はスタートした。  それは、予期せぬ出来事だった。  ビートルズの「抱きしめたい」は、「I wanna hold your hand」という

君の歌声は素敵だ

「君の歌声は素敵だ」  と僕は彼女に言った。  僕は駅前のコーヒーショップでオーダーをするために並んでいるときに、ふと目の前に並んでいる女性が、僕の友達の彼女の友達であることに気がついた。  以前に街中で偶然その友達に会い、そのときに一緒にいたのが彼女だ。  僕は「直子さんのお友だちですよね?」と言って声をかけた。彼女は振り向いて僕の顔を見ると、あのときのことを思い出した様子で、笑顔で「こんにちは」と言った。  僕は「こんにちは」と答えたあとに「一人ですか?」と尋ねた。  

恋する花蓮

 竜崎真彦は一目惚れだった。  彼女は竜崎にとってドストライクだった。  彼女の名は森山花蓮。  映像制作会社に務める女性だ。  竜崎はロックバンドでギターとヴォーカルをしていた。  色々と事情があって、バンドは解散し、今は事務所で飲んだくれている。  だけども花蓮は荒野に咲いた花のように竜崎の目の前に現れた。  花蓮は可憐だった。  胸がときめいた。  心が踊った。  胸キュンだった。  イエロー・マジック・オーケストラの「君に胸キュン」が歌いたくなった。  竜崎はカ

お好み居酒屋

 僕は会社の先輩に連れられて、お好み居酒屋に来た。  お好み居酒屋とは何か?  お好み焼き専門の居酒屋なのか?  いや、それだったら単なるお好み焼き屋だ。  僕はともかくわけも分からずにここに来た。  お好み居酒屋の見た目は普通の居酒屋だった。  いわゆる普通の、古風な感じがするお店であった。  先輩はガラガラとお店の扉を横に開いた。  中に入ると浴衣を着た若い女性が僕らを向かい入れた。 「会員のお客様でしょうか?」  と女性は僕らに尋ねた。  先輩が「はい」と答えると、

胃袋を掴め!

「男の人はね、胃袋を掴むのが一番なの。でもあなたには無理ね」  と親友のさゆりは亜希子に言った。  そうだ、亜希子に料理は無理だ。  絶対に無理だ。  それは断言できる。  だったら他の方法を考える。  アウトソースだ。  ウスターソースだ。  いや、それは違う。  誰かに頼めばいいのだ。  誰に?  亜希子は考える。  そして思い浮かぶ。  弟の健介だ。  健介は料理が得意で、最近小さなレストランをオープンしたのだ。  亜希子に作戦が思い浮かぶ。 「うん、これならいける

マネタイズ

「起業して1年になるけれど、どうしてもマネタイズができない。  無料でサービスをやってきて、ある程度のユーザーは獲得できた。  だけどもそこからのマネタイズがどうしてもできない」  と僕はつぶやいた。  心の中で思っていただけのつもりだったが、ついつい口に出していた。  そんな僕を、秘書の晃子が見ていた。  彼女は美しい。美しいから雇った。  彼女がそばにいるだけで、僕は心が安らぐのだ。  彼女がいることで、僕はなんとかやってこれた。  ともかく会社の収益を上げて、社員を

予告編で泣く男

「ねえ、今度映画観に行かない?」  僕は総務課の瑛子に唐突に誘われた。  瑛子とは今までほとんど話をしたことが無かったが、誘われた理由はなんとなくわかる。  僕が「予告編で泣く男」だからだ。  僕は映画の予告編を観て泣く。  僕は映画が大好きで、よく一人で映画を観にゆく。そして予告編で泣くのだ。  僕はたくさんの映画を観るし、小説を書いたりする。そのせいで、物語の一部分を観ただけで、物語の展開、登場人物の心情、結末、などが想像できてしまうのだ。もちろん実際の映画は僕の想像

水曜日、ストリートにて

 水野貴美は、街頭でストリート・ライブをすることに決めた。  人前で歌いたかった。  歌うことで、自分を表現したかった。  歌うことで、自分を解放したかった。  誰も聴かなくてもいい。  ただ自分のためだけに、歌いたかった。  フォーク・ギターをハードケースから取り出して、ストラップをつけて、肩にかけた。  ハードケースは開いたままにして、目の前に置いておく。  もしかしたら誰かが投げ銭をしてくれるかもしれない。  人前に立つのは恥ずかしい。  だけども自分自身に集中

アパートの部屋の灯り

 僕のアパートの隣の部屋に、明かりが灯った。  僕のアパートは新築で、まだ住んでいたのは僕一人だったので、「誰かが引っ越してきたんだあ」と僕は思った。  残業で遅くなった会社の帰り、暗いアパートの部屋に明かりが灯っているのを眺めて、僕の心は少しばかり安らいだ。  アパートの部屋のドアを開けて、明かりをつける。明かりが灯っていたのは僕の部屋ではない。暗い僕の部屋が、明るくなった。  着替えをして少しすると、僕の部屋のドアがノックされた。  僕がドアを開けると、そこには可愛ら

透明人間

「私、透明人間なの」  と奈央子は僕に言った。 「え? 何」  と僕は問い返す。 「これを見てよ」  と奈央子はスマホの画面を僕に見せた。  それは、インスタグラムの写真だった。 「これが何?」  と僕は奈央子を見る。 「これは、翔子のインスタなんだけど、ここに私がいたのに写っていないのよ」 「何、何? ドラキュラとか妖怪とか、そういう感じ? 肉眼では見えるけど写真に写らないとか?」 「そうじゃないのよ。グーグルのスマホを使うとね、写真の中の要らない人を指でタッチするだけで

うさこちゃん

「あ、うさこちゃん好きなの?」  と僕は彼女に尋ねた。  彼女が持っていたバッグに、うさぎの絵が描いてあったからだ。 「ミッフィーちゃんなんですけど」  と彼女は怪訝な表情をして答えた。 「ああ、うさこちゃんね」  と僕は言い直した。 「だから、ミッフィーちゃんですけど。うさこちゃんって何よ?」 「だからこれ、うさこちゃんだよね。僕は絵本を持っているから見せてあげるよ」  僕は本棚の奥から、子供のころに読んでいた絵本を取り出した。 「ほんとだ。うさこちゃんって書いてある