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アパートの部屋の灯り

 僕のアパートの隣の部屋に、明かりがともった。
 僕のアパートは新築で、まだ住んでいたのは僕一人だったので、「誰かが引っ越してきたんだあ」と僕は思った。

 残業で遅くなった会社の帰り、暗いアパートの部屋に明かりが灯っているのを眺めて、僕の心は少しばかり安らいだ。
 アパートの部屋のドアを開けて、明かりをつける。明かりが灯っていたのは僕の部屋ではない。暗い僕の部屋が、明るくなった。

 着替えをして少しすると、僕の部屋のドアがノックされた。
 僕がドアを開けると、そこには可愛らしい女性が立っていた。
「あの、今日隣に引っ越してきた安田と言います。これ、ご挨拶です」
 と言ってお菓子を差し出した。
 軽井沢のお土産?

「実家が軽井沢なんです。観光地ですけど、人が住んでいるんですよ」
 と言って彼女は笑った。

 それから毎日、僕はアパートに帰るのが楽しみになった。
 僕の帰宅を、隣の部屋の明かりが出迎えてくれる。
 僕はその明かりに向かって「ただいま」という。

 月日が経つと、アパートの入居者が増え、明かりが増えた。その明かりは、毎日僕を待っていてくれる。
 「帰ってきたときに部屋が明るいのっていいものだなあ」と僕は思う。
 僕の部屋じゃあないけど。

 ある日の日曜日、コンビニで買い物をした帰りに、僕のアパートの前にトラックが止まっているのが見えた。
「引っ越し?」
 と僕は疑問に思う。アパートはもう満室なのに、と思っていると、隣の部屋の女性が出てきて目があった。

「急に結婚することになったんです。それで引っ越すんです」
 と彼女は笑った。
「随分急ですね」
 と僕は言う。入居して1年もせずに引っ越すだなんて。
「作戦、作戦。彼氏に結婚を決心させるために、一人暮らしするって強引に家を出たんです。「隣にイケメンが住んでて私に気があるみたい」って言ったら、「直ぐに結婚しよう」って、、。ふふふ」
 ええ?
 「ふふふ」じゃないし。

「ありがとう」
 と言って、彼女は引っ越していった。

 「ありがとう」じゃなくて、「ごめんね」じゃないのか?

 でもまあ、心なしか、彼女の背中に明かりが灯っているように見えた。

おわり。

(889文字)


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