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29年目の命日に――力ではなく対話を

今日は2020年4月27日。1991年4月27日に自死した弟、水谷哲史の29年目の命日を迎えた。

例年なら、弟の誕生日の3月30日から命日まで、どこか調子が悪く重い気持ちで過ごし、27日を過ぎると急にふわっと心と身体が軽くなって、ああ、やはり命日の影響を受けていたと思うのだけれど、今年はやはりずいぶんと感じが違う。

木蓮や桜が咲き、散り、新緑が芽生え、季節が春から初夏へと移り変わっていくのは、いつものこの時期と変わらない一方、日々、入ってくるニュースはコロナウイルス一色になり、私自身の生活も大きく変わった。そんななか、これまでと違う生活に適応し、ふだん以上に過敏になった神経が、恐れや不安から怒りや失望までさまざまに揺れ動くのに対処するのに精一杯で、命日が近づいてくるのを感じながらも、そのことをどこか気持ちの外に置いていた。

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弟は、24歳の誕生日から自死までの約1か月のうち、3分の2を精神科病院で過ごした。陽射しが日々、眩しさを増すこの季節、人生最後の3週間を重い向精神薬の作用のもと、心と身体の自由を奪われて送ったのだ。

外泊のため実家に戻ってきていた弟と近所を散歩し、降り注ぐ光に新緑がきらめく一角に二人同時に足を止め、「きれいだね」と言葉を交わし合ったことは忘れられない。初夏の予感に満ちた、明るく澄んだグリーンを目にするたびに、いまだに胸がきゅっと痛むのは、きっとこの思い出のためだと思う。

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昨年、機会をいただいて、『臨床心理学』という雑誌のオープンダイアローグ特集に、弟が入院した時のことを初めて書いた。編集の方に許可をいただいたので、命日を機に、それをここに転載したい。

1ページのコラムで字数が限られていたため、書きたかったことをかなり削らなければならなかったが、弟の入院当日の経緯は、実は、ここに書いた以上のことをほとんど知らない。彼に何が起こったのかを知らないということ。そのこと自体が悲しく、胸に突き刺さる。

文章内に出てくるオープンダイアローグについては、このnoteの末尾にいくつかリンクを貼るので、「オープンダイアローグっていったい何?」という方はそちらを参照して欲しい。

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力(パワー)ではなく対話(ダイアローグ)を
――不幸な出会いをこれ以上、繰り返さないために


もし、27年前のあの春、弟が最初に精神科を受診したときに、そこで出会ったのがオープンダイアローグだったとしたら……?

そんな問いがふと浮かんでゾッとしたのは、昨年末、精神科医のくるみざわしん氏の書いた芝居『精神病院つばき荘』を見た直後のことだった。それは決して考えないようにしてきた恐ろしい「もしも」で、私は全力で打ち消そうとしたが、いったん浮かんでしまった考えはもう消せなかった。

『精神病院つばき荘』には、患者が不当に保護室に入れられる場面が出てくる。私はその場面を見ながら、弟のことを考えずにはいられなかった。

弟は、1991年4月初めに、就職先の新人研修で暴れ、実家に戻ってきた。両親は嫌がる弟を連れ、近くの精神科病院を受診したが、彼はそこでも暴れ、強い鎮静剤を打たれて、そのまま保護室入院となった。診断は「軽い精神分裂病の初期」だった。

この診断が果たして妥当だったのか、今でも私にはわからない。すぐに外泊を許されるようになった弟と私は何度か会ったが、妄想めいたことを口にすることも、幻聴を訴えることもなかった。むしろ、強い向精神薬の作用によって、ほとんど起きていられないほどぐったり疲れ、三日三晩、昏睡しつづけた挙句、「目覚めたら格子のついた部屋にいた」ことに深く傷つき、絶望していた。そして、初診から3週間経たない4月27日、実家の最寄り駅から飛び立ち、二度と還らぬ人となった。

弟の初診がどのようなものだったのか、私は詳しくは知らない。だが、暴れて、抑えつけられて、注射を打たれて、意識を失った、という一連の経緯が示すものはいったい何なのかと問うことはできるだろう。弟は、なぜ暴れたのだろうか? いや、この問いは適切ではない。暴れた理由そして責任は、弟の側だけにあったわけではないだろう。むしろ、こう問うべきだ。弟は、なぜ、暴れるような事態に追い込まれたのだろうか? 周囲で起こっている状況に対して、暴れるという仕方でしか、抵抗できなかったのではないか? ほかに自分を伝える手段がなかったのではないか? そもそも、弟の声は、思いは、聞かれていたのだろうか?

弟がもしオープンダイアローグによって迎え入れられていたら、どうだっただろう? 彼の声は辛抱強く聞かれ、彼の恐怖や絶望はポリフォニーのなかにあたたかく包み込まれて、暴れることも保護室に放り込まれることもなく、違った未来に歩み出すことができたかもしれない。そう思うと、彼が格子のついた部屋で目覚めて深く絶望したことは、不適切な医療によって引き起こされた不幸な事態であり、言わば人災に見えてくる。

私自身の精神科初診は、ありがたいことにそれほど不幸なものではなかった。カルテから目も上げず、一通り話を聞いただけで、何の説明もせずに抗うつ薬を処方した医師は、仕事にも患者にも無関心なだけだった。おかげで私は2回でその医師のもとを逃げ出すことができたが、それも私にいくばくかのエネルギーが残っていたからである。

初診は、当事者にとってもっとも無防備なときと言える。精神科医療に助けを求めなければいけない事態に陥っているのに、そこでどんな医療が行なわれるのか知識もなく、妥当な医療とそうでない医療の見分けもつかずに、医療によって傷つけられやすい状態にある。そのときにやはり医療の側が、乱暴ではない仕方で当事者を迎え入れてほしい。たとえ本人がひどく混乱していたとしても、力で制したり、決めつけたりせずに、あたたかな関心をもって、注意深くその声に耳を傾けてほしい。オープンダイアローグにはその方法論があると期待している。

※初出:『臨床心理学』第19巻第5号(特集:オープンダイアローグ)、金剛出版、2019年9月、581頁

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オープンダイアローグについて知りたいという方は、下記の記事や書籍などをどうぞ。



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