鈴木光影

俳句と、その外側と、そのあいだ。 鯛焼の少し笑つてゐるらしく

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俳句と、その外側と、そのあいだ。 鯛焼の少し笑つてゐるらしく

最近の記事

瀬戸正洋句集『似非老人と珈琲―薄志弱行―』一句鑑賞と十句選

あまりよいにんげんではない暖冬 自虐の句に見える。 しかし、「わたしは正しい、あんたは間違っている(なぜなら、わたしはよいにんげんで、あんたはわるいにんげんだから)」と、意見の異なる他者を攻撃する人より、はるかに謙虚で誠実な態度だと思う。 思えば、人は皆、「あまりよいにんげんではない」のかもしれない。 「薄志弱行」でも、時に自虐的でも、己自身や「暖冬」の現実をそのまま受け入れて生きてゆく。 そもそも「にんげん」って何だ、という哲学的な問いがこの句には潜んでいるかもしれ

    • 「ダブルスタンダード」が拓く俳句の道―現代俳句協会青年部勉強会〈「新興俳句」の現在と未来〉と筑紫磐井著『戦後俳句史』

      「俳壇無風」時代の「新興俳句」論争 昨年十二月十七日、現代俳句協会青年部勉強会〈「新興俳句」の現在と未来〉の司会を務める機会を頂いた。事前に公表された勉強会の概要は次のようであった。 なお、勉強会の企画立案と運営には青年部部長の黒岩徳将と、同じく委員の加藤右馬が関わった。 発端となった『新興俳句アンソロジー』(ふらんす堂)の序で、当時の現代俳句協会青年部部長の神野紗希氏は「……このアンソロジーでは、新興俳句運動に何らかのかたちで関わり、影響を受けた俳人を、より広く取り上

      • 柿本多映句集『ひめむかし』より1句鑑賞と15句選

        狐火を使ひ古して狐です  柿本多映 狐火の由来は、一説には狐が口から吐く火からだそうだ。 掲句は発想を逆転させ、あたかも、あなたが普段見ている狐はそのように成立しているんですよ…、と言われているようだ。 黄泉路の案内人が教えてくれる豆知識のような口調。 そもそも狐火は「使」うものなのだろうか? 私はいつのまにか多映ワールドに引き込まれている。 模糊とした虚をどこまでも使い古していくと、玉のような実が生れる。 そこには、現を超えたそこはかとない可笑しみが満ちている

        • 逢うことと書くこと―池田澄子句集『月と書く』を読む

          新型コロナウイルスのパンデミックの始まりからもうすぐ丸四年が経とうとしている。自粛されていた人と人との対面も解かれ、それ以前の日常が戻りつつあるように見える。しかし、その間に起きたロシアのウクライナ侵攻、さらにイスラエル・ガザ戦争も進行中で、地球上に暗い霧がかかっているような時代の空気は今も続いているように思われる。 二〇二三年六月の奥付で刊行された池田澄子氏の第八句集『月と書く』(朔出版)は、このコロナ禍中での俳句を纏められた。後記には次のような心情が吐露されている。

        瀬戸正洋句集『似非老人と珈琲―薄志弱行―』一句鑑賞と十句選

        • 「ダブルスタンダード」が拓く俳句の道―現代俳句協会青年部勉強会〈「新興俳句」の現在と未来〉と筑紫磐井著『戦後俳句史』

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          〝野ざらし〟の芭蕉精神と孵(す)でる〝地球俳句〟―野ざらし延男評論集『俳句の地平を拓く―沖縄から俳句文学の自立を問う』解説

          1 はじめに野ざらし延男氏は、戦後沖縄における「俳句革新」の実践家であり、伝統と前衛の枠を超えた戦後沖縄俳句の「生き証人」である。「俳句革新」の内実については後で詳述するが、野ざらし氏は長年沖縄の地で、前衛的な俳句実作・俳句評論・俳句教育の分野の第一線で活動してこられた。これまで、四冊の個人句集や複数のアンソロジー句集の出版に加え、沖縄俳句史にとって貴重な資料である『沖縄俳句総集』(1981)の編纂のほか、未来志向の俳句教育の実践集『俳句の弦を鳴らす―俳句教育実践録』(202

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          虚子と藤村と坂のまち ―第15回こもろ日盛俳句祭

          「第15回こもろ日盛俳句祭」が、今年の七月二十八日から三十日、三日間にかけて長野県小諸市で開催された。私は二日目の午後から三日目にかけて初めて参加してきた。この俳句祭は、二〇〇九年、俳人の本井英氏(「夏潮」主宰)らが中心となり立ち上げ、小諸市の主催により続いている。新型コロナの影響で、対面での開催は四年ぶりという。 名称の「日盛」の由来は、第二次大戦末期の一九四四年に鎌倉から小諸に疎開していた高浜虚子(一八七四~一九五九年)が開いていた「日盛会」。日盛会は虚子が真夏の一か月

          虚子と藤村と坂のまち ―第15回こもろ日盛俳句祭

          髙田正子『日々季語日和』書評 ―愛おしき「季語の現場」の日々

          帯に記されている「日本経済新聞と毎日新聞連載のエッセイ集」と聞けば多少おカタい印象も与えようが、そんなことはない。すべて見開き二ページで完結、気軽に開いた頁から読み始められる。どのエッセイにもかならず一つ以上の俳句と季語が引かれる。季語といっても、分厚い歳時記の中で眠っている言葉ではない。近隣の散歩や庭の手入れ、家族との屈託のない会話など、髙田さんの日常生活の中で生きた言葉として綴られる。 髙田さんの故郷は岐阜。子育てをしながら数年過ごした大阪、在住の神奈川。それら土地土地

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          俳句とエコロジー ―令和五年度牡丹俳句大会講演録

          日時 二〇二三年五月十三日(日)10時15分~11時30分 場所 福島県須賀川市民交流センター(tette)たいまつホール 皆さんこんにちは、鈴木光影です。昨日昼頃に須賀川に着きまして、永瀬十悟さんに牡丹園をご案内いただきました(地球温暖化の影響もあってか年々開花時期が早くなっているようです)。その後「桔槹」有志の皆さんと街中吟行をして市役所の展望台からウルトラマン(*須賀川は特撮映画監督の円谷英二の出身地で、市役所展望台がウルトラの父の身長と同じ高さに設計されている)と同

          俳句とエコロジー ―令和五年度牡丹俳句大会講演録

          齋藤愼爾氏を悼む

          俳人・深夜叢書社社主の齋藤愼爾氏が、3月28日に亡くなった。 齋藤氏は今年初頭、第23回現代俳句大賞を受賞されていた。 俳句実作、俳句批評、俳句関連書の企画編集など、長年にわたる俳句界への多面的な貢献が高く評価されての授賞だった。 3月18日に開かれた現代俳句協会年度総会内で行われた授賞式にご本人が出席できるか否か、齋藤氏と周りの方々は最後まで検討されていた。しかし体調が整わずに当日は欠席され、「受賞の言葉」を代読という形になった。 その場に出席していた私は、齋藤氏を

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          「異彩」「超現実的幻想」の同郷俳人―石井露月と安井浩司

          石井露月の「365日」 今年二〇二三年は、秋田県の俳人・石井露月(1873~1928)生誕一五〇年の節目の年である。文学を志し秋田から上京した露月は明治二十七(一八九四)年に正岡子規を訪ね、新聞「小日本」の編集に加わる。のちに高浜虚子、河東碧梧桐、佐藤紅緑と並んで「子規門下の四天王」と呼ばれるようになる。子規には「碧、虚の外にありて、昨年の俳壇に異彩を放ちたる者を露月とす」とまで賞された。元々患っていた脚気の再発もあり、故郷秋田・女米木に戻ったのち、嶋田五空らと「俳星」を創

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          平敷武蕉句集『島中の修羅』を語る

          2022年10月29日 沖縄10名の合同出版記念の集い 那覇市八汐荘にて 鈴木光影です。私はこの平敷武蕉さんの句集『島中の修羅』の巻末解説も書かせていただきましたが、今日はその中から五句を選んでお話しをさせていただきます。 太陽からイデオロギーが消えていく この句は、全世界的な脱イデオロギー状態が描かれています。私は今三十六歳なのですが、同世代を眺めても、少しでも政治的な事象にはタッチしたくない、という人が大半です。また本土で沖縄の基地問題についても自分ごととして考えて

          平敷武蕉句集『島中の修羅』を語る

          「コウインシデンス」と「みたりごころ」―井口時男句集『その前夜』を読む

          ( )の俳句 雪の降りしきる夜。戸外はしんと静まり返り、凍てつく寒さに身を硬くしたような家屋。雪国の冬の暮らしが匂う。何日も降り続ける雪のように繰り返す日常に、亀裂を走らせる何ものかが潜む。「その」と指し示されるからには、夜が明けた明日には、何か特別な(破滅的な?)出来事が起る……起ったのだ。 掲句は、作者が句を詠んでいる現在から、ある特定の過去の「その前夜」を回想している。その回想の最中に、突如挿入される( )。過去を回想中の現在に、未来から現在を覗きこまれ、予言的に囁か

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          龍子の二つの絵と「俳句的ニヒリズム」 ―画家・川端龍子と俳句

          本稿を執筆している二〇二二年の夏、東京では連日三〇度を超える猛暑が続いている。灼熱の太陽光を吸い込んだコンクリートの地面やビル群。少しでも涼を求めて、先日都内で開催中のある展覧会に赴いた。大田区立龍子記念館の「涼風を語る 龍子の描いた風景画を中心に」(会期 二〇二二年七月十六日~十月十日)である。 この龍子記念館、日本初の作家の手による個人美術館という。川端龍子という画家の、絵を観せることへのはっきりとした意識が窺える。また、建築物としても見どころが深く、上空から見ると、海

          龍子の二つの絵と「俳句的ニヒリズム」 ―画家・川端龍子と俳句

          病と俳句の系譜―芭蕉、一茶、子規 『闘病・介護・看取り・再生詩歌集』への参加を呼び掛ける

          アンソロジー詩歌集『闘病・介護・看取り・再生詩歌集―パンデミック時代の記憶を伝える』の作品を公募中だ。 俳句の歴史において、「闘病」中の床から詠まれた俳句については、老いや死のテーマとも絡み合いながら、多くの例があるだろう。そのような病人の世話をする看病や生活補助をする「介護」はいつの時代も当然あったことであろうが、俳句のテーマとしてより前景化してくるとしたら、現代の高齢化社会で「介護」が一般化された以後であろう。その担い手(歴史的には多くが女性)が俳句を詠める時間的余裕があ

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          初めて読む句集が『青水草』な人へ

          (1)俳句は分からなくてもいいまず、俳句は、作者と読者という2人の間の「共通感覚」を土台にして成り立っています。 この土台が地続きになっていると「分かる」、繋がっていないと「分からない」、になります。 ちなみに「季語」は土台の1つです。 この土台のことが省略されて、隠されているから、俳句は「分かりにくい」と印象されがちなのです。 なお1句1句によって、土台が変わります。 だから、1冊の句集の中でも、そっちの句は分からないけど、こっちの句は分かる、ということが起こりま

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          現代俳句・短歌の「代理人」と「われ」  ―堀田季何、木下龍也の著作から

          寺山の言葉から約六〇年を経た二〇二二年。SNS全盛、誰もが(それを望めば)自分の言葉を直接インターネット上に書き込み、世界中に発信できる時代である。しかしSNS特有の類型的な文体、それによる類型的思考や、匿名による憎悪・中傷・揚げ足取りの言葉も溢れ、個人の内面の「直接の伝達」表現ができる場ではないことは明らかであろう。 さて多くの俳句作者にとって、俳句は「われ」を詠むもので、一句の主体は作者自身であるという俳句観は一般的である。またその句が纏められた句集は、基本的に「われ」

          現代俳句・短歌の「代理人」と「われ」  ―堀田季何、木下龍也の著作から