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遠望10

戦争を拒否してアメリカへ帰らず、山の中で暮らしてきた家に案内される。

 三宅が先に階段を上がり、次に姫野が上がる時にはいつの間にかロバートが姫野に手を添えていた。
「ありがとうございます」という姫野に、

「美貴と同じくらい美人さんだね。僕の奥さんも若い頃はとっても美人さんだったよ」

「お爺ちゃん!」美貴は呆れた顔を見せながらも笑っていた。
 三宅が扉を開ける。後ろから姫野が覗く。ゆっくりと中へ入るとそこは不思議なほど明るい空間だった。建物の窓が見えないほどに緑が覆っているのにいくつもある大きな窓から光が差し込んでいる。その光は葉っぱの揺らめきを部屋の壁や床に映し込んでいてまるで部屋そのものに意思があるかのように動いているよう感じられた。そして壁には数えられないほどの鉢が飾られて部屋の中も花が満開だった。これだけの鉢に水やりをするだけでもかなりの時間がかかるだろう。二歩、三歩と中に進んでさらに二人は驚いた。とても広いのだ。三十畳ほどはあるかも知れない。すぐに目に入ったのが部屋の中ほど左の壁沿いにある暖炉だ。ここの山の冬は厳しいことだろう。その前には二人暮らしには持て余すのではないだろうかと思うほど大きなテーブルがあり、椅子は七脚置かれている。越谷家全員の数だ。暖炉の隣にキッチンがあり、目を見開いて驚いている三宅と姫野に、お茶を入れてくれた由季子お婆さんがお茶目に火のついた小さな棒切れを振ってみせている。薪で炊事をしていると教えてくれたのだ。
 ロバートが「もっと中へ」と、三宅と姫野の背中を押した。
 キッチンの近くへ行くとその先に部屋があった。リビングキッチンが真っすぐの部屋でその奥が左側にL字形になっていて手前と奥に二つの寝室があった。天井を見上げるとそれぞれの寝室を仕切る壁が天井まで届いていなくて五十センチほどの空間がある。暖炉で温められた空気を各部屋へ送る構造なのだろう。大筒は撮影チームの後ろに立ち息を呑んでいた。

「さあさあ皆さん、お茶を飲みましょう。座って下さい。ちょうど皆さんと同じ七席ありますよ。え?カメラマンさん達は座らないの?そうですか。じゃあ、私と由季子さんが座りましょう」

 美貴がパウラと一緒に入ってきたのを見て三宅が立ち上がり、

「あの、お土産があります。たいした物ではありませんし、半分はパウラに担いできてもらったのであまりお土産という感じがしないのですが、お米と豚肉と茄子の漬け物と、少しのワインがあります。どうかお受け取り下さい」

 三宅たち三人が背負っていたリュックからワインを取り出したが大筒のリュックからはワインとパック詰めの饅頭が出てきた。三宅と姫野が強い眼差しで大筒を見ると、
「いや、あの、あのさ、もしかしたらロバートさんは好きかもと思ったので。あの、ロバートさんは甘い物はお嫌いですか?」

「ありがとう〜。ありがとう〜。僕は大好き〜。由季子さんは嫌いだけどホントは僕、大好きなんだよ〜」

 ホッとした顔の後、腰に手を置き「どうだ?」と三宅と姫野にドヤ顔を見せた。姫野はわざとそれを無視して立ち上がり、

「私が普段お休みの日に飲んでいるワインですからお爺さまのお口に合うかどうかとても不安だったのですが、少しだけ甘口と少しだけ辛口のワインを選びました。気に入っていただけましたら嬉しいのですが」

 ロバートよりも由季子が大きく手を叩いて喜んだ。

「ありがとう〜。ロバートも好きですが実は私もワイン大好きなのよ〜。私がガブガブ飲むと美貴ちゃんの教育に良くないと思って、美貴ちゃんがいる時は少し遠慮してたのよ。でも二十歳になったんだし、もう遠慮しなくても良いわよね。こ〜んなに沢山、ありがとう〜。これほど嬉しいことはないわ〜」

 ロバートが姫野にウインクしてみせたが、群馬放送のスタッフ全員が目を丸くしていた。
 大筒は、廻りの全ての景色が消え、ワインを持って頬づりしている由季子お婆さんしか目に入っていない自分の脳を冷静に分析して、目が点になるとはこういう事をいうのかと理解した。

「お婆ちゃん、そんなにワイン好きだったの?なぁ〜んだ。じゃあ私が好きになったのは遺伝よね、遺伝。これで納得だわ。姫野さん、私の場合は隔世遺伝でした〜。姫野さんはどうなのかしらね?」

 いたずらっぽく笑う美貴に姫野は「私もよ」と言ってロバートのウインクを真似た。

「さあさあ、お茶を召し上がって下さいな。ここで栽培して摘んで、蒸して、乾燥させたものですよ。真ん中にあるクッキーにはお茶っ葉を混ぜたものと、干し柿を刻んで混ぜたものがあるわ。ほのかな渋みと甘みの両方が楽しめるわよ。どうぞどうぞ召し上がれ」

 三人は湯飲み茶碗を手に取ると柔らかな手触りに口をつける前に湯飲みを見つめた。三人同時にそれぞれの湯飲みを見て、色と形が違う事に気づいた。姫野が先に口に含み、思わずワインを飲むときのように舌の上で転がすように味わった。

「美味しい!」

 その様子を見て三宅と大筒も口にして、そして感動した。

「なんて素朴な味なんでしょう。そしてお水が素晴らしい!僕は数年前に秋田県のシティホテルでポットに入った冷たいお水を飲んで感激したことがありました。お酒なんていらない。お水だけで晩酌できると思ったほどです。そのお水は山から汲んできたお水だということでしたが。あの時のお水のように感動します。そしてこの湯飲みですが、もしかして」

 大筒が空になった湯飲みを廻しながら由季子を見た。

「分かりました?そう、私とロバートで作ったのよ。ここにいると時間はたっぷりありますのでね。小さな竃を作って、時間と同じようにたっぷりある薪を使って焼いたのよ。美貴が作った物もお見せしましょうか?」

 とんでもない、見せなくていいと言うように美貴が顔の前で手を振った。

「やっぱりそうですか。持った時に手触りが凄く良くて、手のひらの窪みというんですかね、そこがとても気持ち良かったんです。で、三宅と姫野の湯飲みを見ると色と形が少し違うような気がして」

「おかわりください」

 姫野が湯飲みを前に出すと二人もそれにならった。

「お婆ちゃんのクッキーも美味しいのよ。ザ・素朴って感じで私、大好きなの」

 美貴が二種類のクッキーを一つづつ取ると三人も同じように取り、口にした。

「美味しいですね。体に良いんだろうなって感じがします。きっと昔のおかしはこんな味だったんでしょうね」

三宅がおかわりが入った湯飲みを持ちながら、

「六十数年間住んでいた山の中には一体何があるのだろうかと僕は考えていました。そしてなんでもあるんだと知りました。生き方でなんですね。自然と同化して生きているから豊なんですね。それだけでなく電気もご自分達で作られて外の世界をちゃんと知ってらっしゃる。感動しています。クッキー美味しいです。お茶、絶品です」

「ありがとう。嬉しいな〜」

ロバートが三宅に握手を求めると、

「もう一杯いかが?」

と、由季子が三宅にすすめると、

「いえ、もう結構です。お腹パンパンです」

と、湯飲みを手で押さえたので全員が笑った。
 ロバートに手招きされて三宅と大筒がキッチンへ入り,三人が椅子を持って戻ってきた。

「料理や洗い物をして疲れた時に座っているイスです。カメラマンさんたちも少し休憩して下さい。ね、お茶も飲んで」

 三宅が自分が座っていたイスを後ろに引き、四人のスタッフに座るよう促した。
 カメラマンの加藤が一口飲んで、

「うわ、このお茶ホントに美味しい。あの、ワインのボトルで空になっているのがあったら一本入れてもらえませんか?奥さんにお土産にしたいです」

 大筒も、

「私も会社のプロジェクトチームに飲ませたいので出来ましたら二本いただけませんか?」

 由季子が胸の前で両手を叩いて、

「まあ嬉しい。お湯をたくさん湧かさなきゃ。忙しいのって大好きよ。ありがとう」

「お婆ちゃん、私手伝う」

 美貴が立ち上がると姫野も、

「私もお手伝いしたいです。薪でお湯を沸かすのってキャンプでもあまりしないし、キッチンもよく見てみたいので。良いですか?」

「もちろんよ〜。色々と工夫してあるのでご覧になって!」

 三人がキッチンへ行くと加藤もカメラを持って立ち上がり、もう一人のカメラマンにはここを撮影するようにと手で合図してキッチンへ向かった。
 部屋の花鉢に水やりをしていた康一が、

「じゃあ僕はワインの瓶を洗ってくるよ」

と、じょうろを持ったまま外に出た。
 賑やかなキッチンにニコニコしているロバートに大筒が話しかけた。

「ロバートさん、今日我々が来た目的を話させて下さい」

 ロバートは大筒と三宅を交互に見て、

「はい。どうぞ、どうぞ」

 と終始笑みを浮かべている。この笑みが消えなければ良いのだがと三宅は不安になった。大筒の顔にも不安が走っているのが見えた。

「ロバートさんが、戦争が終わってもアメリカに帰らなかった理由。由季子さんと出会って一緒になり康一さんを産み育ててきた日々。故郷のアメリカに対する今の想い。そしてこれからどうしたいのか。これらをお聞きしたいのです。そして、その想いを我々だけにではなく町へ降りて日本や、アメリカや、他の国のジャーナリストたちの前で世界中に向けて話していただきたいのです。これまでの六十九年間の静かな暮らしが大きく変わってしまうことになるかと思いますが、戦争を否定してこられたロバートさんの暮らしは世界中の人々が知りたいと思うはずです。僕たちはみんなそう思っています。どうでしょうか?お話していただけますでしょうか?」

 両手が汗ばんでいることに気づき、ズボンの後ろポケットに両手を廻して拭きながらロバートを見たが彼の笑みは消えていなかった。

「僕と由季子さんは決めたんです。人生の最後をダイナミックに過ごそうと。この年まで二人とも大きな病気もしないで生きてこられました。でも僕は八十九歳、由季子さんは八十五歳。もう、いつ死んでもおかしくない年です。大勢の人に追いかけられるのは好きじゃないけど、隠れるのは得意だからね」

 そう言うとロバートはカメラに向かって両手で顔を覆って、隠れているというポーズを見せて笑った。
 大筒が三宅を見て大きく息を吐いた。
キッチンから笑いながら出てきた美貴がロバートのポーズを見て、

「お爺ちゃん、なにそれ。いないいないばあ?世界に向かってそれやったら面白いかもね〜」

 美貴の「世界に向かって」という言葉に三宅はドキッとして、ロバートを見た。

「そうだよ。今,お爺ちゃんは世界に向かってお婆ちゃんとの六十九年間を話しますって群馬放送の人たちに宣言したんだ。人生の最後をダイナミックに生きるってね。だから美貴も応援してね」

遠望11(3月12日)へ続く。1から読みたい方はこちら。


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