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遠望11

ロバートの出生が明かされる。

 美貴は両手で頬を挟みながら三宅と大筒の顔を見た。二人はその言葉に笑みを浮かべていた。
 大筒が立ち上がりロバートに握手を求め、

「ロバートさん、ありがとうございます。それではいくつか確認をさせて下さい。まずはロバートさんのお生まれをお聞きしたいのですが」

「ジョージア州のアトランタです。そこで産まれました。両親の記憶はありません。施設で育ちました。今は発展していますが僕が子供の頃の南部、ディープ・サウスはとても貧乏で差別的な町でした。ジミー・カーター氏が大統領になった一九七七年はまだこの家に電気が無かったのでその時は知りませんでしたが後にその事実を知った時は本当に驚きました。アメリカは変わったんだと思いましたけど……」

 キッチンから出てきた姫野が由季子をロバートの隣に案内し、自身は三宅の隣に座った。

「そうですか。お産まれは何年ですか?」

「一九二五年です。カーター氏より三つ年上になります」

「こちらの山での暮らしは何年になるのでしょうか?」

「終戦の年の一九四五年の七月からです。今年が二千十四年ですからもう六十九年になりますね」

「機銃掃射兵だったとお聞きしましたが、初めの頃はパイロットの方と住んでおられたんですよね?」

「ウォレスは十ヶ月で帰りました。私より五歳上の彼にはフィアンセがいて、いつも彼女のことを話していました。あるとき深夜に街に出て戦争が終わっていることを知り、アメリカに帰ろうと誘われましたが私は断りました。あの時の彼の悲しそうな顔は今でも忘れません」

 風が出ているようで窓を覆っている葉が一斉に揺れ、その影が床で揺らめいた。寝ていたパウラが起きだし水を飲む音が響いた。

「ウォレスさんに会いたいですか?」

「生きているなら会いたいね。彼は今九十四歳になるねぇ。元気かなぁ。僕に美人の孫娘がいると知ったら驚くだろうなぁ」

 ずっと立って聞いていた美貴がロバートの隣に座って彼の膝に手を置いた。

「お爺ちゃん、後でウォレスさんのことを詳しく聞かせてね。大筒さん達がきっと探してくれるわよ」

 大筒と三宅が大きくうなずいた。

「ありがとう。第二十空軍師団のリストがあれば見つかると思うよ。後で彼のフルネームを紙に書きましょう。生きていたらどうする?連れてきてくれるの?」
「ウォレスさんのお体の具合によると思いますが、それよりもロバートさんがアメリカに行かれたらどうですか?」

 それまでにこやかな笑みを浮かべていたロバートの顔が固まった。群馬放送のスタッフにとって初めて見るとまどいの顔だった。

「え?僕、アメリカに行くの?行っていいの?」

 右隣の由季子と左の美貴が同時にロバートの腕に手をかけた。

「もちろんですよ。行っていいの?とおっしゃいましたが行かれたいですよね。今のアメリカを見たいですよね?記者会見の前にアメリカ大使館の方も来られると思います。その時に話しましょう。大丈夫だと思います。アメリカ国民もロバートさんを大歓迎してくれると思いますよ」

 大筒の言葉にロバートの顔が上気したのを三宅と姫野は見た。
 ロバートは、アメリカへ行く事は全く想像もしていなかったようで、大筒を見て、三宅を見て,姫野を見て、両隣の妻と孫を見て、天井を見て、最後にカメラをじっと見つめた。
 ロバートのその顔の動きが予期しなかった出来事に直面していることを表していた。人生の後半をダイナミックに生きると決めていたとは言ってもまさか、アメリカに行けるかもしれないとは考えもしていなかったのだ。

「僕、アメリカに行けるの?ほんとに行って良いの?アトランタに行けるの?」

 ふいにロバートの目から涙が落ちた。膝に落ちた涙を手のひらで拭きながら視線は床のはるか下をみているようだった。
 人を殺める事がイヤで拒否していた祖国であっても、六十九年間忘れる事は無かったのだろう。

「雨が降るとね、アトランタを思い出すんだ。なぜだろうね。子供の頃は濡れてばかりだったんだよ。ちゃんとした家が無かったからなのかなぁ。行くところが無くていつも道路に立っていたんだ。そんな僕が緑に囲まれたここで由季子さんと出会って、康一が産まれ、こんな立派な家を持ち、楽しく充実した人生だったよ。それだけで充分なのに最後にもう一度アメリカを見る事が出来るかも知れないなんて」

 由季子がロバートの手を握り、

「あなたは戦争で誰も殺さなかった。神様がご褒美を下さったのよ。アメリカに行きなさいって。あなたの人生を皆さんに伝えてきなさいっておっしゃっているのよ」

 その言葉に美貴が泣いたのを三宅は見ていた。国の意思に背き、自分自身で人生を決めてきた祖父の言葉は、多くの人たちが関心を持つだろうと感じているのだろう。
 そしてその三宅の体が震えている事に気づいた姫野が,彼の腕をそっと握った。わずか二日前に面白半分に出かけた山で美貴と出会ったことが越谷家の人生を変え、世界へ向けて強烈な平和のメッセージを発信できるかも知れないということに感動しているのだろうと。自分もそう思っていることを握った腕を通して三宅に伝えたかった。

「ロバートさん、明後日の金曜日に全てのメディアに告知をして、翌土曜日に記者会見をしたいと考えておりますが、明日山を降りていただいて金曜日に我が社でアメリカ大使館の方とお会い出来るように手配します。彼らこそロバートさんのお話を聞きたいと思うはずです。アメリカに行きましょう」

 人情派の大筒が感動しながらも冷静に日程を伝えた。

「あと、話しが前後しちゃいますが由季子さんがお産まれになった年と、ロバートさんと初めて出会った日のことをお聞かせ下さい」

「今度はお婆ちゃんの番ね。頑張って」

 美貴がはやしたてるとロバートが拍手して由季子は笑った。

「私は一九二九年の生まれで今年八十七歳になります。ロバートと出会ったのは終戦の翌々年の一九四七年の五月で、そのとき二十歳でした。今の美貴ちゃんと同じ年ね。我ながらびっくりしちゃうわ。私の父はとても厳格な人で、そして女性の人格を認めない残念な性格でした。まあ昔の男性はそういう方が多かったと思います。そんな父とよく衝突していました。それであるとき私は一人で生きて行こうと決断してこの山に入ったのです。町に出ても父に捕まると思いましたので。山に入ってすぐ二日目でロバートに出会いました。冷たい雨が降っていて木陰に隠れて持ってきた毛布にくるまってガタガタ震えていたら、と〜っても香ばしいスープの匂いがしたのです。匂いを探して振り返るとお鍋を持ったロバートがニコニコ笑いながら立っていました。仁王様のように背が高くて凄く驚きましたが、恐怖感よりも湯気が立っていて温かそうなスープに私の目は釘付けでした。私を怖がらせないように出てきてくれたのです。後で聞くとロバートは前の日の夕方に私を見ていたそうです。こんな広い山なのに、入ったその日に出会っていたのですからやはり運命だったのですね」

 ロバートが「うんうん」とうなずき「お爺ちゃんやるね〜」と言うように美貴がロバートの腕をツンツンと突いた。

「その登場の仕方ってまるで脚本家がいるようですね。ステキですロバートさん」

 姫野にステキと言われ照れて下を向くロバートを、カメラマンの加藤が至近距離で下から表情を撮影しようとする姿に大筒と三宅は笑った。

「ロバートとの暮らしは毎日新しい発見と驚きの連続でしたが、その暮らしにも辛く悲しい日は突然訪れました」

 由季子が遠い日を思い出すように目を閉じた。若い頃の祖母の悲しみを共有しようと美貴が「教えて」と囁いた。

「母の死です。心臓発作で突然の事でした。知らせにきてくれた弟の言葉に私は泣き崩れました。でも弟は『産まれたばかりの康一を抱っこさせてあげたじゃないか。お母さん、とっても喜んでいたよ。姉さんは親孝行したよ』と言ってくれたんです。母が死んですぐに父も後を追うように逝きました」

「お葬式には出られたのですか?」

 姫野の言葉に首を振り、

「親戚には私は失踪していることになっていましたので出ませんでした。康一を抱っこしてもらったときも父が寝た夜遅い時間に家の裏庭で抱いてもらったんです。父とは私が家を出てから一度も会う事はありませんでした。アメリカ人と一緒になり、子供を産んだと聞いたらそれこそ何をするか分かりませんから。そう、その康一に私たちは救われました。子供ってホントに素晴らしいですね。出産はロバートと弟夫婦が手伝ってくれました。私が妊娠したと知った時から三恵子さんは知り合いの産婆さんに付いて教えてもらっていたのです。産まれた康一を三恵子さんが取り上げ、大きな声で泣く康一に私たちもみんなで泣きました。康一が泣けば泣くほど私たちも泣き、そして笑いました。もう六十四年も前になるのね。早いわね〜。あっという間だったわね、ロバート」

 膝の間に両手を挟み,目をつむって聞いていたロバートがいきなり由季子のほっぺにキスをした。
「キャ!」と小声で歓声をあげた美貴の手を取って姫野が「ステキね」とつぶやいた。

「僕がこの山に降りてきちゃったから、君のお母さんとお父さんにはご迷惑をかけたね。近いうちに会えるだろうからその時にちゃんと謝るよ。でも許してくれるかなぁ」

「大丈夫よ。大事な一人娘をこんなに幸せにしてくれたんですもの。逆に、ありがとうっていってくれるわよ」

手を取り合って話している二人に、

「ちょっとぉ。二人の世界に入っちゃっているんですけどぉ。私たちもいるんですけどぉ」

 美貴がわざと声を尖らせて話すと、

「あらあらごめんなさいね。年を取ると時々廻りが見えなくなっちゃうのよね。え〜っと、他に何を話せば良いのかしら?」

遠望12へ(3月19日)続く。1から読みたい方はこちら。

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