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牧野礼『六四五年への過去わたり 平城の氷と飛鳥の炎』 美しきタイムスリップと、少女の確かな成長

 タイムスリップを題材とした歴史時代小説は少なくありませんが、本作はその中でも比較的珍しい、過去から過去へのタイムスリップを描いた作品です。日本書紀執筆のために奈良時代から飛鳥時代――乙巳の変の最中に飛ぶという危険な任務に挑む少女の成長を描く、極めてユニークで内容豊かな児童文学です。

 平城京で姉の真桑と二人、身を寄せあって暮らす少女・沙々。しかし彼女の運命は、姉がその美貌に目を付けた貴人に突然攫われたことで、大きく変わることになります。
 周囲から相手にされず、ただ一人で姉が連れ込まれたという長屋王の屋敷に忍び込んだ沙々。しかし姉は見つからず、それどころか逆に陰陽寮の星読みの青年・言祝に見つかってしまうのでした。

 歴史書(後の日本書紀)を執筆している舎人親王により、「とくべつの務め」を与えられている言祝。その務めとは、過去わたりの秘法によって時を越え、かつて聖徳太子と蘇我氏がまとめていたものの、蘇我氏の滅亡による混乱で失われた、貴重な資料を持ち帰ることでした。
 しかし炎上する蘇我邸に向けて送り出された仲間たちは全員命を落とし、残るは言祝のみ。ここに至り計画は変更され、事前に蘇我邸に潜入し、中の様子や、資料の隠し場所を先に探ることになったのですが――言祝は、その潜入に適した人間を探していたのです。

 ここで出会った沙々が適任ではないかと考え、連れ帰る言祝。行く宛もなかった沙々も、言祝の頼みを受け入れ、過去わたりの準備を始めます。そして沙々は、過去わたりを利用すれば、姉が攫われる前に助けることができるのではないかと考えるのですが……


 かくて、蘇我氏が滅亡した乙巳の変の炎の中から貴重な記録を回収するための任務を与えられた沙々の奮闘を、本作は描きます。
 過去での調査に適した人間とは、その場にいても目立たず、機転が利き――そして、仮に帰還できなくても支障のない者。最初の二つはともかく、あまりに非情な最後の一つは、過去わたりがそれだけ危険なものであることを示しています。そして実は言祝もまた、この任のために集められた、身寄りのない子供の最後の一人だったのです。

 それにしても、歴史書編纂が国家事業であるとはいえ、そのためにタイムスリップを行うというのには驚かされますが、その方法はといえば――これが本作ならではの、実にユニークかつ美しいものです。
 特殊な氷室に置かれた水盤に、氷で作った剣と目的の年月日の星図を沈めて呪文を唱え、水盤から取り上げた剣で空間を斬ることで時空の裂け目が生まれる――タイムスリップを描いた物語は古今無数にありますが、これほど神秘的で、ビジュアル的にも美しいものは珍しいのではないでしょうか。

 さて、この非常に独特なタイムスリップの理由と方法、そして向かった先の過去での冒険だけでも非常に魅力的ですが、本作の内容はそれだけにとどまりません。実は本作の中心となるのは、その冒険の主人公である沙々の人間としての成長にあります。

 流行病で家族を失い、真桑とただ二人で平城京に流れてきた沙々は、車借人(運送業)のかしらの下で暮らしてきました。姉とは違いまだ水くみ程度しかできないため、周囲から蔑まれ、乱暴に扱われる日々の中で、自分をちっぽけな、無価値な存在と思い込んできた沙々。しかし過去わたりを行うための修練を積むうちに、彼女は少しずつ変わっていきます。

 確かに選ばれた理由はポジティブなものではないかもしれません。しかし、今まで誰にも必要とされてこなかった彼女は、自分にならできる、自分にしかできない役目を得ることで、自己を確立し、自尊心というものを得ていくことになります。
 それはいかにも児童文学的な展開かもしれませんが、しかしその過程は、物語の展開と有機的に結びつき、ごく自然に描かれていくのです。

 もちろん、沙々の道のりは、決して楽なものではありません。それどころか途中で彼女を待ち受けるのは、思わず言葉を失うような過酷な(しかし大人には十分納得できてしまうような)現実です。
 それでも、彼女は自分自身というものを得たことで、自分の道を歩み始めます。そしてその歩みは、たとえ歴史の中では小さな一歩であったとしても、確実に跡を残し、そして未来をも変えていく――その姿には深い感動を覚えます。

 極めてユニークなタイムスリップによって奈良と飛鳥を結ぶ歴史物語であると同時に、その中で少女の確かな成長を描いた名品です。

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