「旧矢﨑商店」について
旧矢﨑商店は下諏訪町御田町にある、昭和初期に建てられた生糸問屋の商家です。道路に面した外観は洋風の看板建築、庭から見ると和風の日本建築という、「看板建築」と呼ばれる種類の古民家で、下諏訪町が令和4年度に「移住交流総合拠点」として活用していくことを念頭に取得した物件です。
製糸業の繁栄を元に建てられた、地域の歴史を反映する建物である点、工夫の凝らされた内装・珍しい形状の看板を有する個性的な建築である点などから、文化財として保存をしながら、地域の方たちや移住者の方たちが集まる拠点として活用していくことを検討しています。
「古いものをただ残す」でもなく、「綺麗にリノベーションして活用する」だけでもない。「何を残し、何を変えていくべきか」を丁寧に考えながら、この旧矢﨑商店と向き合っていきたいと思っています。そのために今年度からは信州大学さんと一緒に建物の価値を明らかにしていくための調査研究を行ってまいります。このnoteでは、その調査研究などにより明らかになったことなども発信していきたいと思います。
旧矢﨑商店の歴史
旧矢﨑商店は、生糸産業で財を成した「矢崎家」の商家でした。生糸問屋をであった矢崎家に養子として入り、事業を成長させた矢崎栄さんという方が昭和初期に建てたとても立派な建物です。
生糸産業は戦前、下諏訪町を支える基幹作業でした。矢崎家はそんな下諏訪町の中でも成功していた生糸問屋であり、多くの使用人を抱える裕福な家庭でありました。旧矢﨑商店を建てた矢崎栄さんは、厳格な性格ではありましたが、困った人たちを受け入れる、情に厚い方でもあったようで、矢﨑商店は矢崎家の家族や使用人だけではなく、製糸家が宿泊したり、行き場所を失ったご近所の方が滞在したりと、かなり多くの方が行き交う場所になったいたそうです。
元々は和風の日本家屋で、道路側の入り口には立派な門も設置されていました。しかし戦時中の昭和20年に前面道路の拡幅工事が行われ、門と建物の一部を取り壊すこととなります。その解体により、しばらくの間は2階に上がることもできなかったといいます。
そして戦後の昭和31年、解体されていた道路側の改修に伴い、洋風のファサードを取り付けた「看板建築」として増築・改修されました。
こだわりと工夫が詰め込まれた建築
この旧矢﨑商店には建築として面白いポイントが他にも多く見受けられます。その一つが「近代和風建築」としての魅力です。
明治以降、日本建築においては西洋化の波が押し寄せます。一方「西洋建築」との対比の中で「和風建築」の理解も進み、改めて日本の建築の特徴などが再認識されていきます。その流れの中で「和風」の要素が爆発的に表出した
「近代和風建築」という建築が生まれます。旧矢﨑商店は当初、まさにその近代和風建築として建てられたと考えられています。
一方で、旧矢﨑商店には所謂「趣のある日本家屋」とは異なる面白さも存在しており、個人的とも言えるこだわりや工夫を随所に見ることができます。今回はその特徴的なポイントを、いくつかご紹介したいと思います。
①外観と内観のギャップ
前述したように、旧矢﨑商店はその歴史の中で増改築が繰り返されており、現在は「看板建築」の様相を呈しています。そのため「和風な内観」と「洋風の外観」のギャップを楽しむことができます。
②工夫の凝らされた建具や内装
矢﨑商店を建てた矢崎栄さんと施工をになった大工さんのこだわりが随所に散りばめられています。建具の柄や窓枠、欄間や柱・棚に至るまで、「普通」とは少し異なる個性的なしつらえが施されています。
③個性的な作り付けの家具や調度品
建具の他、作り付けの家具や、調度品にもその個性を見ることができます。
調査研究で明らかにしたいこと
今回行われる調査研究においては、建物の増改築の履歴をあらゆる方法で確認していきながら、その建築的価値を明らかにしていきます。
いつ、誰の、どんな考え、どんな時代背景を反映して建てられたものなのか?という点を調査し、何をどう残しながら活用していくべきなのか、の答えを導いていきたいと考えています。
建てられた明確な時期や、改築の時期・内容の詳細についてはまだまだ謎が残っている矢崎商店。これから信州大学さんとの調査・研究により少しずつその謎を解明し、価値づけを行っていきたいと思います。
今後その調査の内容も少しずつお届けしていきたいと思いますので、楽しんでいただけたら幸いです。
文・写真:御田町文化研究会 坂本
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