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『MIT(マサチューセッツ工科大学)音楽の授業』はじめに、公開しています

菅野恵理子先生の新刊『MIT(マサチューセッツ工科大学)音楽の授業ー世界最高峰の「創造する力」の伸ばし方』のはじめにを、公開しました。よろしければ、ご覧ください。

はじめに~世界最高峰MITで音楽が学ばれる理由


未来を創る人は、なぜ人を知らなければならないのか

 コンピューターや大型機械が並ぶ教室の隣に、ピアノやハープシコードが置かれている教室。廊下に流れてくる楽器の音や歌声。
 掲示板に張られているコンピューター講座やグローバルスタディ講座の横には、近日開催されるMITセネガル・ドラムやMITラップトップ・アンサンブルの演奏会案内、ボストン交響楽団演奏会の学生割引のお知らせ。科学の最新研究書が並ぶ前を、ヴァイオリンケースを担ぎ仲間と話しながら横切る学生……。
 これは、マサチューセッツ工科大学(通称MIT/以下同)の日常風景である。
 意外かもしれないが、この空間には、科学と音楽が自然に同居しているのだ。

 一流の科学技術者やエンジニアを生み出している世界最高峰の教育機関といえば、MITの名を思いつく人も多いだろう。
 約1万名の学部生と大学院生、約2000名の教授・教員を擁し、卒業生・教授・研究者の中には90名以上のノーベル賞受賞者がおり、多くの重要な研究成果を残している。
 MITの理念は、学術知と発見の喜びをもって世界の諸問題に取り組むことであり、それが多くのイノベーションを生み出している。
 工科大学という名の通り、科学・テクノロジー・工学・数学、いわゆるSTEM(Science,Technology, Engineering, and Mathematics)を重視しているが、一方、人文学や芸術科目にも力を入れているのをご存知だろうか?
 MITの研究科・学部は大きく分けて、「科学」「工学」「建築」「経営学」、そして「人文学・芸術・社会科学」の5つである。
 人文学・芸術・社会科学も1つの学部であり、すべての学部生がその開講科目を必修として学んでいるのである。
 中でも、音楽科目は人気が高い。

 しかもこの10年でその比重は増しているという。開講科目は音楽史、音楽理論だけではなく、作曲、音楽とテクノロジー、室内楽やオーケストラなどのパフォーマンスまで実に幅広い。
 実はMITは、タイムズ紙が実施する高等教育ランキング(Times Higher EducationのWorld University Rankings)において、2019年度「芸術・人文学分野」の第2位にランクされている。
 さらに2020年度には「社会科学分野」「経済・ビジネス分野」において第1位にランクされている。現役生たちも「MITでこんなに本格的な人文学を学ぶとは思わなかった」と驚きを隠さない。

 日本でも、昨今リベラルアーツへの関心がにわかに高まり、音楽を含む芸術、文学などを学び始める人が増えている。イノベーションを積極的に生み出すために、より戦略的な概念であるアート思考・デザイン思考も広まっている。
 確かに、幅広い教養は人間の精神性を高めていくために大切なものである。
 では、なぜ今、それらがさらに重要視されているのだろうか。
 MITがそれほど人文学に力を入れている理由は何だろうか? 人文学や芸術は、科学やITに対して何を問うのだろうか?

 学長ラファエル・ライフ氏(2020年現在)は、次のように述べている。
「水不足や食糧難、気候変動、デジタルラーニングなど世界の難題に立ち向かうには、科学や工学による新しい解決法が望まれています。しかし、こうした問題は文化、経済、政治に根差しており、意味ある解決法にはそうした分野の叡智が反映されるべきです」

 また、音楽学科長・作曲家のキーリル・マカン先生はこのように述べる。
「エンジニアたちは、創造的な問題解決法を編み出すために、人文学やアートの経験が役立つことに気づいています。それに、テクノロジーや科学技術の発達に伴う問題の多くは、人間性理解の欠如から来ています」

 確かに、科学技術の発展による多くの発明や発見は、我々の生活をより快適に便利にしてくれる。
 一方で、過度な技術革新やその運用面における問題や弊害も可視化されている。
 今、もっとも注目を集める最新テクノロジーの1つ、AI(人工知能)もこの両面をあわせもっている。
 こうしたAIのような最新科学技術が出現すると、「誰のために、何のために開発されるのか。どう運用されるべきなのか」といった問いに、早晩向き合うことになる。
人 間が生み出したものが、人間を凌駕することがあるのか? 機械が人知を超えるとき、何が起きるのか? 特にMITのような大学は、常日頃からそのような問題意識と向き合っている。
 技術革新が進むほど、人間理解が求められる―これは一見矛盾しているように見えるかもしれないが、MITの最新カリキュラムには明らかにこの考えが反映されている。

 人間理解を深めること―これはまさに音楽の役割ではないだろうか。
「音楽で自分を知り、人を知り、世界を知ることができる」
 ここ十数年ほど、音楽ジャーナリストとして世界各国の教育現場や国際コンクールなどを取材する中で、そんな音楽のもつポテンシャルの高さに触れ、大いに感銘を受けてきた。そして音楽の学び方や楽しみ方、解釈や演奏が実に多様であることも実感してきた。
 そこで感じた感動や問題意識を踏まえ、アメリカの主要大学で音楽がリベラルアーツとしてどう学ばれているのかをリサーチした『ハーバード大学は「音楽」で人を育てる』(アルテスパブリッシング)を数年前に上梓した。
 実はその後、読者や講演会場の方々から、「MITでこんなに多くの学生が音楽を学んでいることを初めて知りました!」「科学、工学、テクノロジーなどと音楽をどう結びつけながら勉強しているのでしょうか?」といった驚きの声やご質問をたびたびいただいていた。私自身も、MITの音楽学科についてもっと知りたいと思っていた矢先、幸運にも取材・執筆の機会をいただいたのである。
 実際に取材してみると(2019年11月)、当初予想していた以上に音楽の授業内容が充実し、学生たちの水準も高く、さらに「音楽はまだ未知の可能性に溢れている」と感じたのだ。
 それは、人間理解への深い共感に加え、MITならではの創造の精神が、音楽授業の中に色濃く見出されたからかもしれない。

 本書では、MITの授業紹介に入る前に、「なぜ『科学』と『音楽』が共に学ばれているのか?」(第1章)という問題提起から始める。
 科学技術だけが優先されると人間社会はどうなるのか、バランスのよい人間性を育むべきではないか―MITでは、そんな問題意識が大学全体で共有された上で、カリキュラムの改善・修正が幾度となく行われ、現在に至っている。
 MITで音楽学科が生まれた経緯に触れながら、カリキュラム全体の中で音楽科目がどのような位置や比率を占めているのか、その価値について考察する。
 第2章~第5章では音楽科目の授業内容を詳しくご紹介する。自ら考え、発想し未来を創り出す「創造者」としてこの世界と関わるとき、どのような要素が大切になるかという観点から、便宜的に、次の4つの章に分類してみた。
「人間を知る・感じる」「しくみを知る・創る」「新しい関わり方を探究する」「他者・他文化・他分野と融合する」
 どの授業でも音楽そのものの価値を学ぶことはもちろんだが、その手法が興味深く、どのような素材(楽曲や教材)を用いるのか、何を問うのか、どのような議論の場を創り出しているのか、何を評価するのか、などがよく練られている。
 他学部・他領域にも通底するような、学術的コミュニケーションスキルの部分にも着目していただきたい。
 第6章「MITの教育から探る、未来を生きる世代に必要なこと」では、MITの教育理念や授業内容を踏まえながら、これから求められる教育について考察する。
「創造的な問題解決法を編み出す」ことを目指すMITの学生たちは音楽の学びを通して、どのような資質を身につけているのだろうか。MITならではのカリキュラムや授業内容の特徴を挙げながら、脳科学的な観点も参考にする。
 第7章「『いま・ここ』と『はるか未来』を見据えて」では、数十年~数百年後の未来を見据えて「いま・ここ」から何ができるか、より大きな枠組みで、未来を創造することへ思いを馳せる。そして、それに対して音楽から学ぶべきものは何かを考えたい。

 数式やコードを離れ、コンピューター画面や機械からも離れ、音にのみ身をゆだねるとき、音楽は何を伝えてくるのだろうか? また音楽を通して、あなたはどんな自分を表現するだろうか?
 音楽と創造の関係性などを交えながら、それを本書で解き明かしていく。


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