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小説「二十年の片想い」14~32

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大長編小説「二十年の片想い」14~32(1991年9月。夏休みが明け、大学の後期の活動が始まる。文学部仏文科クラス編)
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2024年5月の記事一覧

二十年の片想い 32

二十年の片想い 32

 32.
「お前、美咲ちゃんの真似しようったって無理だぞ」
 授業が終わった後、高村が笑いこけながら言った。大野も、美咲も花枝も、そして楓も、片山には笑わされた。五人の視線が一斉に片山に注がれた。
 片山は真っ先に美咲と大野を交互に見たが、昨日の騒動など嘘のように二人とも笑っていた。フランス語で遅刻の言い訳をしたのは、クラス中に笑いをもたらすためではなく、大野と美咲に笑ってほしかったからなのだが、

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二十年の片想い 31

二十年の片想い 31

 31.
 楓はまだ誰も来ていない朝の教室で、フランス語の予習を入念に確認していた。昨夜は、誰も知ることのない大きな悲しみを抱えて、一人悲しい酒を飲んで、初めてのアルコールに頭痛がして、胃がむかむかして、昨日の授業の復習も、今日の授業の予習も、普段のように集中してできなかったのだ。就寝も午前三時とだいぶ遅くなってしまい、今朝起きたのは普段どおり七時だった。四時間という睡眠時間は、楓にとって最も中途

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二十年の片想い 30

二十年の片想い 30

 30.
「おはよう、美咲ちゃん」
 その声は、青い空に伸びる一本の白い飛行機雲に、突然もう一本の飛行機雲が現れて急接近したかのように、美咲の耳の奥へ、心の奥へと響いてきた。声の主は、長い足で悠然と歩き、あっという間に美咲の隣に並んだ。はき古した淡いブルーのジーンズに、深いブルーと黒のチェック柄の長袖シャツ。腕が長いため袖が若干短く、左手首にはめた、シャツよりも綺麗な深い青色の文字盤の腕時計がはっ

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二十年の片想い 29

二十年の片想い 29

 29.
 楓は一人ぼっちで帰路に着いた。辺りには夕闇が迫っていた。周りを通りすぎる学生たちの楽しそうな笑い声が聞こえる。深い孤独感に襲われた。涙が出てきた。私の今日の一日は何だったのだろう。大野には、ショックを受けたのではなく、見たことのない一面に少し驚いただけだ。美咲には、嫌悪感を抱いたのではなく、代返をする勇気が少し足りなかっただけだ。「思いやり」は今度から考えよう。片山と高村と花枝の三人の

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二十年の片想い 28

二十年の片想い 28

 28.
「どうする?大野くんとは離れたほうがいいよね。窓際にいるけど」
 教室の後方の扉が開いて、花枝の声がした。楓は後方扉から一番近い席に座っていた。
「一番遠くに行く。今日は前の席でいい。ありがとね」
 続いて美咲の声がした。花枝と美咲は、すぐ近くにいる楓に目もくれず、二人だけで前方扉側の席へと向かった。美咲の顔は見たくなかったが、あからさまに無視されると、楓は途端に寂しくなった。
「美咲は

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二十年の片想い 27

二十年の片想い 27

 27.
「秋山さん、どうしたの?」
 楓はぎくっとした。高村の声だった。文学部棟の廊下で、ようやく立っている状態だった。背も丸まっていた。背すじを伸ばせ、笑え、はきはき喋れと、自分を鼓舞した。
「お昼ごはんを買いに行こうと思って」
「よっぽど大野が怖かったみたいだね」
 平静を装ったつもりだったが、高村はくすっと笑い、楓の図星をついた。まさか、その奥までは読まれてはいないだろう。少し不安になった

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二十年の片想い 26

二十年の片想い 26

 26.
 教室を出た楓は、廊下をよろよろと歩いていた。自分でも不思議なくらい、身体が言うことを聞かない。まっすぐ前を見ようとしても頭が上がらない。しゃきっと立とうとしても背中が丸まってしまう。目をぱっちり開こうとしても瞼が重くなる。口角を上げようとしても頬が落ちる。すれ違う学生たちに何度もぶつかりそうになり、転びそうにもなった。
──俺は、美咲ちゃんが、好きだ。俺は、美咲ちゃんが、好きだ。──

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二十年の片想い 25

二十年の片想い 25

 25.
 静かになった教室で、大野は抜け殻のようになり、椅子にどさっと腰を下ろした。
「大丈夫か?全くの想定外だったよな」
 片山が心配そうに、表情をなくした大野をのぞき込んだ。
「先週、俺が美咲ちゃんをふった」
 高村が、大野とは目を合わせずに、前を向いたまま言った。
「どういうことだよ?」
 聞いたのは大野ではなく、片山だった。
「美咲ちゃんは、砕け散るのを承知で、正直な気持ちを伝えてくれた

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二十年の片想い 24

二十年の片想い 24

 24.
「ねえ、秋山さん」
 午前の授業が終わった教室の席で、楓が一人震えていると、強い香水の匂いがして、突然後ろから声をかけられた。楓はさらに震えた。美奈子と理香子だった。用件は予想がついた。
「英語の宿題、秋山さんならとっくに終わってるよね。あたしたちも一応やったんだけど、ちょっと訳に自信がないんだ」
「あんまり間違ってると怖いでしょう?確認したいからコピーさせてほしいんだけど」
 楓はまだ

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