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二十年の片想い 25

 25.
 静かになった教室で、大野は抜け殻のようになり、椅子にどさっと腰を下ろした。
「大丈夫か?全くの想定外だったよな」
 片山が心配そうに、表情をなくした大野をのぞき込んだ。
「先週、俺が美咲ちゃんをふった」
 高村が、大野とは目を合わせずに、前を向いたまま言った。
「どういうことだよ?」
 聞いたのは大野ではなく、片山だった。
「美咲ちゃんは、砕け散るのを承知で、正直な気持ちを伝えてくれた」
 高村は淡々と続けた。
「俺はもちろん、はっきりと断った。美咲ちゃんは、泣いていた」
「お前、そんなこと一言も……」
 片山が、大野の言葉を代弁していた。高村が答えた。
「さっき美咲ちゃんから告白されたけど、俺はふったから、大野、お前オッケーだぞ、なんて言えるか」
 大野は何も言わなかった。片山が続けた。
「それにしても、大野の気持ちがわかっていながら、すぐに他の男についていったりするかな」
「美咲ちゃんが、あの明るくて強い美咲ちゃんが、泣いてたんだ。ショックが大きかったんだろうな」
「お前、女の子を泣かせておいて、その冷たい言い方な何だよ」
「俺には、恵(めぐみ)ちゃんがいる。それに美咲ちゃんは、俺には合わない」
 高村は「大野と合うと思う」とは、あえて言わなかった。続けた。
「俺は、間違ったことはしていない。けど、強くはない。砕け散るのを避けて、新しい女へと走った。美咲ちゃんは強い。大野。お前も強い。伝えるべきことを、伝えるべき女に、きちんと伝えた。断られたのは想定外だったかもしれないが、……世界は、広いぞ」
 高村は、大野をふった美咲の涙は、他の男に走ったことを後悔したゆえであり、大野を次の恋人として考えていたゆえであることを、一瞬だけ見た美咲の目から察知した。だが、大野に向かって「いつか美咲ちゃんは気づいて、お前のところへ来る」とは口にしなかった。そうなる可能性は高いように第六感が告げるが、百パーセントではないからだ。
「まあ、今はショックかもしれないけど、立ち直れる時が来るさ。俺も高校時代、片想いだった女(こ)に告白して見事にふられて、そりゃあ、へこんださ。けど、今となってはそれもいい思い出っていうか、まあ、ひとつの試練みたいなものだったのかな。俺が思うに、好きになった女を忘れるのは無理としても、いつまでも引きずるよりは、新しい道、というか、新しい女(ひと)を選んだほうが、新しい世界が開けていいんじゃないかな。そう、世界は、広いんだよ」
 片山は、高村のように鋭くはないが、大野のように内に熱い情熱を秘めてそれを爆発させることもないが、基本的には前向きな考えの持ち主だった。
「悪かったな。突然暴れたりして」
 大野がようやく口を開いた。声はいつもの、落ち着いたものだった。
「そうだよな。俺は、見事にふられたわけだ。砕け散ったわけだ。そうだよな。世界は、広いよな」
「大野?」
 高村は大野の目をのぞき込んだ。虚ろだった目には光が戻っていたが、まだ不安定だった。すると大野は、猫背気味になっていた姿勢を、机を両手でバンと叩いて直し、ふっきれたような顔を見せた。
「あきらめた。片山の言うとおりだ。いつまでも暗い顔してずるずる引きずるのは、精神衛生上も良くない」
「大野。もう立ち直ったのか。お前はなんて強いやつなんだ」
 片山は、いつもの冷静さを取り戻した大野を、前向きになろうとする大野を見て、素直に喜んだ。
 一方高村には、大野が冷静と前向きを装っているようにしか見えなかった。「無理すんな。泣きたければ泣け。叫びたければ叫べ。暴れたければ暴れろ」と言いたい気がしたが、口には出さなかった。そんな資格が自分にはないと思った。告白もせず花枝をあきらめて、半ば冗談半分で他の女を探しに行って、現に出会うことができた。結局、片山の理論が正しい。
高村はぱっと表情を明るくした。そして片山に目くばせすると、「漫才」を始めた。
「よし!大野。新しい女を探すんだ。海の季節は終わったから、今度は歌で勝負だ。夜の街に繰り出して、かわいい女の子誘って、カラオケで盛り上がるんだ」
「来た来たぁ。第二次ナンパ作戦、いきますかぁ?」
「おう!俺たちが大野の気に入る女を見つけてやるぜ」
「よし!声がけはこの片山に任せろ。何十人、何百人と連れてきてやるぜ」
「俺が大野に合う女かどうか、見定めてやる。俺の第六感を信じろ」
「とにかく女の子たちと歌うんだ。ちょっとでもかわいい、いいなと思った女の子がいたら、指名してデュエットしろ。君を守る、君だけを愛し続ける、的なラブソングを、女の子の目を見つめて歌うんだ」
「大野。お前は歌も上手いし、声もいいし、その目で見つめられたら、どんな女もお前に惚れる。選びたい放題だ」
 二人の賑やかな「漫才」を、大野は、目を細めて見ていた。
「片山。高村。サンキュ」
「カラオケナンパに行く気になったか?」
「早速、今夜にでも行きますかぁ?」
 大野は、笑顔の二人に軽く微笑むと、静かに言った。
「当面は、一人でいいや」

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