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消えたい日々から生きたい日々へ

私は自分の命にそれほど執着していないと思い込んでいた。がんを告知されるまでは。

10代、20代の頃は
「こんなクソみたいな人生とっとと終わってしまえばいい」
と思っていたし、

「現世では何も期待できないから、来世に期待しよう。」
33年間ずっとそう考えて過ごした。
望みが持てず、正直いつ自分がいなくなってもいいとさえ思っていた。

それががんを告知されたら
「こんなクソみたいな人生のまま終わらせたくない」
と思った。

そりゃ動揺し混乱したが「今度はがんかよ!」とは不思議とならなかった。
それどころか初めてちゃんと「生きたい」と思った。


あれから10年。
術後10年検査無事クリアし、「卒業」証書をもらった。


幼少期に身も心もボロボロになってしまい、
それをきっかけに小さい頃から怯えるようになってしまったため、自分に自信というものが全くなくなってしまった。
それ以外にも色んなことがありすぎた。幼少期も10代も20代も記憶はトラウマで埋まっている。

そして33歳の時に若年性乳がんの告知を受ける。リンパ節にも転移。
左胸全摘出と腋窩リンパ節郭清手術。
術後、抗がん剤、放射線治療、ホルモン療法とフルコース治療。

39歳のときに乳房再建を決意。

ホルモン療法は5年の予定が私の場合は10年に延びた。
諸事情があり途中休薬期間があったので、それを除くと現在約8年3ヶ月だが、
術後10年検査クリアと同時にホルモン療法も終了になった。

卒業とはいえ、がん患者は治療が終わっても「はい。おしまい。」にはならないが、来年から検査は年1回になる。
長かった治療が全て終了。感慨深い。これからは「無治療、経過観察の身」と言うことができる。

小さい頃に人生に絶望し消えてしまいたいと思いながら過ごした33年間。乳がんを告知され手術そして治療にとにかくひっしだった10年間。今やすっかりおばちゃんになってしまったけど、私の人生これからだと思いたい。
幸せになりたいとかではなく、些細な事でも喜びを感じられるように。ただ生き抜きたい。

治療をしていく上で治すとか克服するという考え方を私はしていなくて(投げやりになっている訳ではなく)
がんとうまいこと共存していこうと思いながら戦ってきた。

だから、できる限り右往左往するのをやめようと思っていたが、検査日と検査結果が出る日は毎回心が押し潰されそうになっていた。

告知された当時は未来が想像できず、40代の自分の姿が思い浮かべられないでいた。
告知前も未来は見えてなかったのだけど、それは自ら無意識のうちに閉ざしていたもので(閉ざさざるを得ない状況に置かれていたのだけど)、まさか自分が「がん患者になってしまうなんて」と内心混乱し、不安に押し潰されそうになっていた。

しかし、沢山のことに耐え、乗り越えてきたその景色は、そしてその人は美しいのではないかと私は思うようになった。

これはがん患者に限ったことでは決してない。

機会があり同病の人や様々な病気と戦っている人との出会いがあった。日々数え切れないほどの困難に耐えているのに、表情から言動まで全てが優しさにあふれていた。それは内面からも伝わってきた。
こんなにも笑顔が美しい人はいないと思った。
毎日辛い思いをして我慢の日々を送っている。まさしく戦っている。でも私に向けてくれた温かい笑顔は本当にキラキラしていた。「美しい」とはこういう人のことを言うのだと確信。

その姿に支えられ、節目の5年後、10年後、目の前に広がっている景色も美しいはずだと、ずっとそれを糧に頑張ってきた。

しかし、術後5年の時は家族の看病で景色を見ている余裕が全くなかった。
そして別れ。この時期は他にも悪いことが重なり身も心も崩壊寸前だった。

だからこそ、術後10年の時はしっかり目の前に広がる美しい景色を焼き付けるのだって心に決めてここまできた。

今自分の目の前に広がっている景色は確かに美しく、
あくまでも見た目がどうこう(美人、美人じゃない……)とかではなく、
今生きている自分は美しいと自分だけでも思ってあげたい。

昔はこんな発想に至ることすら全くできず、とにかく自分もこの人生も嫌で仕方なかった。
そんな私がこんな風に考えられるようになっていた。

手術や治療が過酷なことは覚悟しており、絶対頑張るのだって強い意思を持って挑んだけど、やっぱり心が折れてしまう事が沢山あった。
自分で言うのも何だけどあの辛い手術や治療をよく頑張った。あの辛い副作用によく耐えた。
抗がん剤のときに坊主にしたことは一生忘れないだろう。

私の父は44歳で突然亡くなった。当時私は13歳。心の整理がつくまでに随分時間がかかった。
10月で私は44歳になる。
告知された時はもしかしたら父より長生きできないかもしれないと頭をよぎってしまったこともあった。
術後10年という節目に、父が亡くなった年齢になるという巡り合わせ。
この10年色んなこと経て、今「生きています」と言いたかった未来が現実になった。

2017年にスタートした乳房再建は現在4回の手術を終え、まだ手術がある。
再建は思っていた以上に大変で、自分で決断したことなのに涙したり、「逃げてしまえればラクになれるのに……」なんて思いがよぎることもあったがなんとか踏ん張りここまできた。あと少し。最後までやり遂げます。
その時の光景も美しくありますように。

この10年、環境が大きく変わった。
手術や治療の副作用などで体や体調など大きく変わり今までどおりに過ごすことができなくなった。
しかし、がん患者になったからと言って同情みたいなのをされるのは嫌だった。
それ以上にまわりに心配をかけたくなくて、できるだけ明るく振る舞っていた。今振り返ってみると当時は相当無理していた。

もしかしたらその姿が痛々しく映っていたのかもしれない。
がんになったことを告げると去っていく人もいた。
また、科学的根拠のないことを言われて困惑することや、心ない言葉を浴びせられたこともあった。

その反面、がん患者になってから出会った人たちにとても恵まれた。
過去何十年消えてしまいたいと思いながら過ごしてきた日々が報われたような気がした。
この年齢で「出会えてよかった」と思う人と出会えるとは思っていなかった。

脱毛した髪の毛がようやく伸びてきて色んな人と出会えた頃ぐらいから、笑顔が増えてきていることに気付きはじめた。
こんなに笑顔になれる未来は想像できてなかった。
感謝しかない。

この10年、自分自身の最善を大切にすることを考えてどう判断するかいつも課題だった。
自分なんてどうでもいいと思いながら過ごしてきた私にとって、初めての経験だった。
悩みに悩んだり不安になったり恐怖に怯えたり。とにかく涙することが多かった。

節目の術後10年ということで、卒業という言葉を主治医からもらって区切りはついたが、検査は毎年ある。
油断はせず、これからも長い付き合いになるだろう。
弱音を吐くこともあるかもしれないけど、
私は生きる。

過去「消えてしまいたい」と思っていた私がこんな風に言っても説得力がないかもしれないが。

そればかりか、悲しいことだがこれからも過去を思い出しまた消えてしまいたくなるような気持ちには一切ならないとは断言はできないことが自分でも悔しい。
乳がん術後10年を迎えたのにこんなことを本当は言いたくないのだけど、
今だから言えるが、実は治療中にもかかわらずそんなことがあったのだ。

告知後しばらくはあまりにも怒涛すぎて体も心もついてゆくのにとにかくひっしだった。その反面何十年も苦しんでいたトラウマに関するメンタルの部分は一時的に落ち着いていた。
「このままずっと落ち着いてくれないかな」つい淡い期待を持ってしまった。

しかし、ホルモン療法がスタートしてから状況が変わった。ホルモン療法は女性ホルモンのエストロゲンの働きを抑える。その副作用はいくつかあるが、私の場合は特に気分の落ち込みが酷くなってしまった。
(あくまでも副作用には個人差があり十人十色です。たまたま私にはこのような副作用が出てしまっただけです。)

その際に突如フラッシュバックしてしまったのだ。乳がんになってからトラウマのことは頭からだいぶ離れていた。こんなことは今までの人生で皆無だったから、治療は辛いけどその部分に関してのみ私は救われていた。
淡い期待を持ってしまっていた分ひどく落胆した。この落胆はとてつもなく大きいもので、
「がんになってもまだフラッシュバックしてトラウマに苦しむのか」と愕然とした。
当時それが非常に悲しく、「生きるための治療をしているのに、本末転倒だ」と号泣した。

でもその気持ちはトラウマや苦しみがそうさせているのであって、本当の私は消えたくはないのだ。
そのことをひっしに言い聞かせた。
酷く落ち込むと思考のコントロールができなくなってしまう。だからこそひっしだった。もがきながら言い聞かせたこともあった。
「言い聞かせる。」過去に私ができてこられなかったことだ。

また別のことでも日々葛藤していたことがあった。

長年苦しんでるトラウマや自分とその環境が抱えてる問題が多すぎる上、がん患者になり私はよく健康に見える人や幸せそうに見える人を羨んだり僻んだりしてしまっていた。

今思えばそういう風に見える人たちのバックボーンも何も見てなかったし考えてなかったことになる。浅はかだったかもしれない。

しかし、副作用の辛さから自分を見失いそうになることもあり、時に正常な判断ができないこともあった。ふと電車の窓に映る自分の姿すら目を背けたくなることもあり、どんどん心の余裕がなくなった。そんな自分が惨めに感じてしまうこともあった。
だからこそ、自分以外の人たちがキラキラして見えていた。羨ましくて仕方なかった。

しかしながらよくよく考えて見たら羨ましいと思うことは、それはとても人間らしい感情で、私が今ひっしに生きている証なのかもしれない。
そして、今精一杯戦っている証拠。
苦しくなると自分にそう言い聞かせていた。
私はがんになってこの内面の気持ちとよく向き合った。

自分の幸せと他の人の幸せは別。
比べるものでもないし、勝ち負けなんかじゃ絶対ない。
そして私は惨めじゃない。ひっしに戦っているではないか。

私にとって大切なのは、がんとの長丁場の戦い。
何があっても諦めず最後まで戦い抜くことであって他人を羨んだりすることではなかったけど、よくその気持ちと葛藤した。

でも、変にきばって無理に前向きになろうとか自分のこと好きになろうとか、格好つけようとしたり我慢したりせず、
格好悪くてもそんな自分を全て受け入れようと。

がんになってからその時間が前より増して多くなり、それは少ししんどいことだったけど、私にとっては必要な時間だった。
色々あった。ほんっと色々。
でもそこには確実に生きたい自分がいた。

長丁場の戦いが終わり、そこに広がる風景は
私だけに用意された特別な宝物。
それだけを信じ、それに向かって何年かかろうがひたすら進もうと決めていた。

やっと。やっとだよ。長かったな。本当に本当に辛かった。生きたな。生きられたな。心の奥底から色んな感情が溢れ出てくる。
涙を沢山流し忘れられないことだらけだけど、
卒業証書をもらったあの瞬間は一生の宝物にする。そして沢山のことに耐え、乗り換えてきたこの10年は私の唯一の誇りかもしれない。

私は小さい頃に自分の気持ちを口にすることがほとんどできなかったので、大人になっても溜め込む癖がついていた。
また、自信のなさから人の顔色を伺って生きてきたので、根がネガティブになってしまい、無意識のうちに普段からそのような言動が多くなってしまっていた。

しかし乳がん告知後、リアルでもSNSでも温かく見守ってくれる人や心配してくれる人の多さにとても救われた。
過去にそのような状況に恵まれてなかったので戸惑うこともあり「反応が鈍いな」と感じた方もいたと思う。
しかし、内心では涙が出るほど嬉しくて、嬉しすぎてうまく言葉にできないでいた。

過去に消えてしまいたいと思いながら日々を過ごしていた私みたいな者にとって、温かい言葉は光でしかなく、
しかし過去の経験や長年の経験から、素直に受け入れるまでに時間がかかってしまう自分自身がとてももどかしかった。

このように私はチキンな上、自分の気持ちを他人に伝えることが不得意なのでなかなか伝わりづらくていつも申し訳なく思っていた。

私はよく混乱する。この文章を読んでご承知のとおり、ごちゃごちゃの頭の中を言語化することがとても苦手なので文章を書くことは決して得意ではない。
そんな私でも下手くそながら今のこの気持ちを全て言葉にして伝えたく、このようなかたちで文章化した。

自分の過去のことなどを書くことについてかなり迷いがあった。
迷いつつ文章にしてみたらかなり自がでてしまったが、おもいきってそのまま掲載。
かなり突っ込んだことも書いてしまったので、重い内容になってしまいごめんなさい。

でも伝えたかったのは重いことではない。
紆余曲折あったけど今私が元気で生きていること。
そしてこれからも生きてゆく。

大変な世の中ですがどうかみなさんが健やかでありますように。
そして美しくありますように。


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