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「まだ寝ていたい」×「どこで飲むんだろうか」×#add8e6

 ふぅーと空に向かって息を吐きだすと、真っ白なふわふわが音もたてずに消えていった。

 冬の朝は、鼻の奥がキシキシと痛む。冷たい空気を思い切り吸い込むと、胸の奥から身体全体を冷やしていくような気がする。グレーの色をまとった街は、いつもよりなんだか静かだ。いつもと同じ時間のはずなのに、曜日によって街は全く違った顔を見せる。

 車移動が当たり前の地元ではわからなかったことだ。仕事が休みの人が多い朝は、街自体もこんなに静かだっていうこと。私は一人で暮らすようになって初めて知った。

 コツコツと歩くたびにその辺に響く音はなんだか心地いい。やっぱり、このヒールにしてよかった。いつもよりも3センチ高いヒールは、珍しく私の足にフィットして歩きやすい。靴との出会いも一期一会だから、ちょっとだけ奮発して買ってしまった。少しだけくすんだ薄いブルーは、無駄に白い私の肌にマッチしてくれる。

 寒いけれど、部分見せでほっそり感アップ。黒のスキニーパンツで辛さをプラスして、ふわふわのファーがお気に入りの少し大きめのコートでバランスをとる。昨日の夜に何回も確認をしたコーディネートだ。トップスは買ったばかりの黄色をベースにした柄物のニット。鮮やかな黄色に目を引かれて、我慢できなくて買ってしまった。

 この冬5着目のニットを見せたら、彼はどんな顔をするのだろう。たぶん、あきれながらも目尻を下げて笑ってくれるに違いない。

「明日ノ朝8時ニ集合スベシ」

 仕事が終わりほっと息をつく前に、彼からのメッセージが届いた。そのあとに、詳しい集合場所がつらつらと送られてくる。何をするかなどは無駄にサプライズらしく、特に書かれていなかった。

 明日は久しぶりに朝寝坊できると思っていたのに、という恨み言を作りかけてすべて消す。2年も付き合っているからか、なんとなく私たちのペースではなかったからなのか金曜日の夜に彼と会うことはほとんどない。なんとなく会うのは土曜日で、それも月に2回。特に話し合いをしたわけではないのに決まっていた。

 この状況を友人に言ったら、しんじられなーい!と、おしゃれなカフェで質問攻めにされた。

―デートは?将来は?結婚は?本当に好きなの?

デートは基本的に家で、将来のために貯金額は開示、結婚はタイミングが合うようならしてみよう、本当に好きなのかはわからないけど服をほめてもらえるのはうれしいし、彼が連れて行ってくれるご飯屋さんはアタリが多い。

 聞かれた順番に答えを並べると一気に熱が冷めたらしく、適当な相槌しか返ってこなかった。家でデートがいいといったのは私。そもそも休みの日は家から外に出たくないのである。対して彼は、結構アウトドアなタイプのはずだ。初めて会ったときの自己紹介では、食べ歩きが趣味って言っていた、はず。

―春は花粉という敵がいるし、夏はじりじりと身を焼かれる。秋になるとごろごろしたいし、冬は部屋でぬくぬくしていたい。

「同意見だ!」

と、私のくだらない話を聞いた彼は声を上げて笑った。そして、続けていった。

「春は桜を見ながら食べるお団子がおいしいし、夏はかき氷の冷たさが身体にしみわたる。秋になったらどの店でも栗スイーツを出すし、冬は鍋も酒もおいしい。たまにでいいから、俺と外に出てくれるか。」

 この一言で何となく落ちてしまった。

 付き合うことは決めていたけれど、この人と付き合うべきだと思ったのはこれを言われたからだ。楽しみは食べ物しかないのか、とかそんなことも思ったけれど、全てのものに何かを見いだせる彼と過ごすのは―いずれ別れることがあるとしても―私の人生にとってプラスしかないと思った。

 こいつ、本当にいい奴なのかもしれないと感服した次第である。

 付き合ってみると、意外と快適なことに驚いた。

 私の着道楽にも余計なことは言わずに誉めてくれるし、メッセージを返さなくても緊急の時以外は怒られない。私のペースは友人時代に掴んでいるし、いざというときに頼る場所が俺であってほしい。それだけのために告白したのだから気にしていないと言い切られてしまった。といいつつも、たまにさみしいときはあるらしい。そういう時は、彼の食道楽にとことん付き合うことにしている。そうすると、一気に機嫌が直るのだから本当に簡単な男だ。

 2週間前は牡蠣の土手鍋を二人で食べた。湯気越しに見る彼はいつもよりひ弱そうに見えて、なんだか愉快だった。食べることが好きなくせに、彼は太るということを知らないらしい。気を抜けば痩せていく、とつぶやいた背中に一度だけ思い切り蹴りを入れた。

 大ぶりの牡蠣を頬張りながら、来年の、つまり今年の抱負を語った。どうしてそんな流れになったのかも、自分が何を言ったのかも覚えていないけれど、ただひたすら笑いつかれたことだけは覚えている。

 ちょうどよく味付けされた牡蠣は口の中いっぱいに旨味を広げてくれて、また彼と食べにきたいと思った。

 土曜日の朝は、朝寝坊の日と決めている。バカみたいな、要領の得ないメッセージのせいで今週は早起きに書き換わってしまったけれど。

 布団から出たくないなぁ、と思っても、昨夜準備した新しい靴を思い出してしまったら起きださないわけにはいかない。

 春をまとった靴はちょっと早いような気もしたけれど、ご愛敬である。何をするのかはわからないけど、歩くのがツラくなったら適当にスニーカーでも買えばいい。ちょうど新しいものが欲しいと思っていたところだ。

 彼と付き合うようになって、私には柔軟さが加わってしまった。そのときそのときで、楽しいは見つかるのだと思う。彼を見ていると、なんとなくそんな気がしてくる。彼と過ごす時間には、ごきげんさんがぼんやりと姿を現してくる。

 さて、今日はどんなことをして、どんなお店に連れて行ってくれるのだろう。“寝坊”という大事な予定がつぶされた私だけれど、彼と過ごす時間を考えるだけでこの通り。ちょっとだけ、心が広くなれるのである。

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