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私がここにいる理由 2

渡米後のプラン

さて、前回の続きです。

半年のカナダ、トロントでの語学留学は、とても楽しく、キラキラした充実したものになりました。既に30代、そんな若くないんですが、学生として学校に通って、いろんな国の友達を沢山作って遊んで(笑)
最高の夏でした。
短期語学留学なんて、英語力は身に付かないと言う方もいます。確かにその後アメリカで問題なく生活できるかと言われると、ぜんっぜん!充分ではなかった。(ちなみに3年目の今もダメですね 笑)
でも、行かないより何百倍マシと思います。出来ないなりにめちゃくちゃ英語力伸びたし、それ以外に得ることもたくさんあります。語学学校という特殊な場所で得た友達は世界中に散らばっていて、今後の人生においての私の宝物です。
ブラジルに行くならパウラやダニーに会いに行こう、イタリアならクリスティーナ、トルコのキューブラ、カザフスタンのアセル夫婦は元気かな、とか考えてたまにテキストするだけでも楽しいです。実際に長い時間を掛けても、いずれみんなに会いに行こうと思っています。

いよいよ本番のNY

さてさて、いよいよ本番。NYでの生活です。
渡米した当初の一番目の目的としては、デザインの名門校Parsonsがオープンキャンパスとして授業を行っているNew SchoolでのインテリアデザインのCertificate 取得でした。

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照明デザイナーとして日本で仕事をしているうちに、もっと知識の幅を広げたい、建築やインテリア、家具、空間デザインの知識を増やしたい。という思いを抱いて、改めて勉強がしたいと思ったのが理由です。

また、学校に行くことの大きな意味として私が見ているのは、人脈作り。
生徒同士で仲間を見つけたり、先生に色々と質問をして有力情報を得たりします。特にOpen Campusですと、社会人が多く生徒にいますので、異業種の方々とも繋がれるという点があります。

私も混乱したのですが、ParsonsとNew School、同じ場所で授業が行われますが、New Schoolは誰でも授業を受けられるOpen Campus、社会人向けに夜間や週末に授業が用意されているスクールです。Certificate Courseは様々な分野で用意されており、2年以内に必修クラスの履修や選択科目の取得など、条件を満たすと、Certificateが与えられるというものです。もちろん単独で授業も取れます。
(最新情報はHPでご確認ください。リンク貼っておきます)


Parsonsは大学ですから、数年単位で学校に通い、学位取得等を目指します。これがめちゃくちゃ高いです。
パーソンズに照明デザインの課があるんですが、確か一年で400万くらいするんで諦めました(泣)
アメリカの学校はバカ高い...


貧乏生活!!!

さて、日本を旅立つ前に、
カナダでの語学留学 → ニューヨークでデザイン勉強 → あわよくばどこかで働き口を見つけて働く
という超ザックリした長期プランを立てていたものの、有り金は日本で貯金した400万。半分は既にカナダ留学に使ってなくなりました。
残りの200万でNYでの生活費と学費。これは半年持つかのギリギリの金額でした。

で、じゃあ半年でサーティフィケートを取得する全教科を取ってやる!と思って取ろうとしたんですが、学校のスケジュールがしょっちゅう変わるもんで、同じsemesterでひとつ授業を取れませんでした。

とにもかくにも、NYの生活を引き延ばすためには、少しでも稼ぐべし、と、知り合いの知り合いを訪ねて日本食料理屋でバイトしたり、こっちで出来た友人に誘っていただき、日本企業で倉庫と書類整理の短期バイトしたり、カラオケ屋でバイトしたりと、ちょこまかと小金を稼いでいました。

よくないことなのですが、私は食に結構無頓着になりがちなところがあって、節約生活で目に見えて痩せたらしく、家族にめちゃくちゃ心配をかけてしまいました。
(きちんと食べて、健康に元気でいることが、離れて暮らす家族に出来る最優先事項!と今は思っています。)

バイトと並行して、照明デザイナーとしての仕事も探さなくてはいけません。
初めは意気込んでいたのですが、途中で、どうしても立ち上がれなくなってしまう事態がおきたのでした...

狂った夜

ニューヨークに来てすぐに友人を介して出会ったアメリカ人の男性。
友人からも好かれていて、彼はめっちゃいい奴!と太鼓判。
話がびっくりするほど合って、すぐに付き合うことになりました。彼は俳優さんでした。
来てすぐでわからないことばかりで困っていた私を、頼んでもいないのにとても親身になって助けてくれました。話をし始めると朝まで夢中で話し込んでしまう、妙な強い強い結び付きを感じていました。ベタな言い方ですが、お互いに夢中でした。

ただ、初めからそのサインは出ていたんですね。気づかなかった、いや無視していた。
彼の束縛がだんだんと強くなって、私がしてもいないことで彼は疑心暗鬼になって私を責め始めました。私が課題が忙しすぎて申し訳ないけど週末会える時間ない、と言ったのに、「どこかで男と会っているんじゃないか」とか(なんじゃそりゃ)
そしてある日小さなことで彼が豹変しまし、暴言と侮辱の嵐、朝まで怒鳴り散らしていました。ショックだったし怖かった。
でもさすが俳優というか、その後あれこれと色々な理由を持ち出して泣いて謝られて、結局ほだされてしまった。(バカ)

そういうことが何度かあって、私は不信感を募らせていたけれど、離れず様子を見ていました。むしろ、おかしくなってしまう彼をどう支えるべきか?とまで考えて悩んでいました。怒らせるのは私のせいだ、とも言われていましたしね。(典型的なDVの思考とマインドコントロールです)

ある日の夜、ついに彼は暴力に及びました。
私は暴力は絶対に一度でも許さない。だから逃げました。離れました。
彼とはそれっきり。その後一度も会っていません。

逃げたことについてはその時も今も、正しいことをしたと思っています。
でも、頭では正しいことをしたと分かっていても、心は突然の別れに耐えられない。
傷つけられたにも関わらず、まだ彼の元に帰りたい、彼が恋しい、おかしくなった彼を心配していました。

そんなことがあったって生きていかなきゃいけない。
職を探して、色々とやることをやって、と行動していましたが、毎日毎日、四六時中訳もなく涙が出ていました。
地下鉄で涙、料理していて涙、仕事中は溢れてくる涙を隠すためにしょっちゅうトイレに逃げていました。

そうして心がワンワン泣いているのを頭でずっと無視し続けていたら、心がバラバラになってしまった。

1ヶ月ほど経った日、その時派遣で勤めていた会社に出社しようと思ったら、椅子から立ち上がれない。何時間もそのまま座り込んでしまいました。
そして毎日窓の外のストリートを走るアイスクリーム屋さんの音楽が耳を共鳴してワンワン鳴り響き、耐えられない苦痛。頭がおかしくなりそうで、耐えかねてキッチンに逃げ込む。

その日、自分が結構おかしくなっているとさすがに理解しました。その後も仕事が出来る気がどうしたってしなかったので、その仕事はそのまま辞めてしまいました。(この恥と後悔は一生残るなぁ、でも自分の健康には代えられない...)

仕事どころではなくなってしまった私、そのあとはしばし休養の日々に入るのでした。

長くなってしまったので、次回に続く!(またか!)

こんな訳わからん私の文章を読んでいただき、本当にありがとうございます!!



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