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多拠点で「クリエイトする人」として生きる。

昨晩、居酒屋で大声でしゃべりまくった4時間+のお陰様で、今朝から声がひしゃがれている。朝一番の自分のおっさん声ほど気分萎えるものはない。夫が一緒だったため私がハンドルキーパーとなり、ノンアルで過ごせたこと(酔いが残っていないこと)が唯一の救いだろうか。

自分よりも20も30も年上の方々と、僭越ながら同席させていただいた昨晩の飲み会。たくさん興味深い話を聞くことができたのだが、一番印象に残ったのは、「ああ自分もいっぱしの大人みたいな飲み方ができるようになってしまったな」ということだった。私はまあまあすぐ顔に出るタイプだし、興味のある時とそうでない時の差は分かりやすいのだが、それでも相手の意図をくみ取って、正解であろう回答を投げてみたり、スムースに会話を運ぶことに自然に注力できるようになってしまった自分を振り返り、時の流れとその残酷さを自覚したのだった。

だから今回は、そんないつのまにか大人になってしまった自分に喝を入れるために、全く真逆のアプローチで「仕事」について考えてみようと思う。


多拠点クリエイティブチーム「nacre」について

このnoteではきちんと紹介したことがなかったのだが、一昨年2021年から私は「多拠点クリエイティブチーム」なるものを結成し、名前を フランス語で「貝殻の裏のきらめき」を意味する“nacre(ナクレ)”として活動をしている。メンバーはデザイナー・ペインター・ライター(私)の3人で、つまりはクリエイターの視点から見た様々な地域の良いところを、勝手に磨いてアウトプット(作品化)してしまおう、というのが活動の主旨だ。

結成初年度の2021年には、第一弾となるレターセットを制作・販売し、私たちの活動を知ってもらうためのシグニチャー的な作品とした。昨年2022年には、”多拠点”として本格的に活動をはじめようと、私たち夫婦の暮らしている福島県須賀川市にフォーカスし、その街の魅力を勝手に詰め込んだ小冊子『ZINE nacre』を発刊している。

第一弾のレターセット。‟貝殻の裏のきらめき”を意味する「nacre(ナクレ)」をイメージしたシグニチャー的作品。

しかしこの二年間の活動を続けてきてみて、今ぶち当たっている壁がある。それは「稼ぐこと」の難しさだ。こうやって書いてしまうと、なんとまあ”あるある”な悩み。私たち以前のほぼすべての芸術家から連綿と受け継がれてきた、目新しさのカケラもない既知の課題である。しかし、実際に直面している者の視点から見てみると、この課題はなんとまあ重層的で複合的な、ないまぜのcomplicatedなものであろうか。それを語る上で外せないのが、私たちnacreの仕事観である。

なんであなたは働くの?なんのための仕事なの?

という問いがある。私たちクリエイターにとって、前者に答えることはさほど難しくない。「やりたい(つくりたいから)」である。しかし問題は後者の方だ。「やりたい(つくりたい)」からやっていることが、いったい何のためになっているのだろうか。もちろん、「〇〇会社に納品して役に立っている」、「クライアントの希望に沿った成果物をつくって貢献できている」云々、それっぽい理由をつけることはいくらでもできる。だけどここで考えたいのは、目先の案件やクライアントの満足度というより、さらにその先の「あなたがつくったものによって、世の中にどんな良いことがもたらされますか?」という点だ。つくること自体が楽しいからそれを仕事にしてしまおう、という動機は素晴らしい。それがクリエイターの働き方が単にワークライフバランスなどで二分できない理由でもある。だからなおさら「あなたのつくったものが、どんなふうに社会にに役立ちますか?」という問いに答えられれば、それでこそクリエイターは本来の価値を十分に発揮していると言っていい(と思っている)。

nacreで活動するとき、この点には十分に気を付けている。レターセットもただただ可愛いものを作りたかっただけではない。コロナ禍にあって、色んなものがオンラインで代替可能に思われはじめていた中、それでも”手を動かすこと”の意味ってあるよね、大事だよね、を実感してもらうためのツールとして、「手紙」という形を選んだ。ZINEだってそうだ。いろんな情報がネット上で収集可能に思える現代にあっても、やっぱり実際に足を運んで五感を使ってでしか得られいものってあるよねと、デザイナーの川口とペインターのさささは埼玉県から須賀川に足しげく通い、彼女たちの視点から見たこの街の魅力を存分に冊子の中に詰め込んでくれている。
つまりnacreは、私の考える”クリエイターであるための定義”を満たしているのだ。世の中に「こんな見方ってあるよね?」「見方を変えたらこれも楽しくない?」という提案をささやかながら続けていて、それよって救われる人が一定数いるのという実感も、この活動から得はじめている。じゃあ一体何が問題なの?という話だが、ここではじめに述べた「稼ぐの難しい」問題が浮上してくるのだ。

第二弾の小冊子『ZINE nacre』は、埼玉在住のメンバー二人が、私の住む福島県須賀川市に通ってくれ、その魅力を勝手に詰め込んだ作品。

現代社会とクリエイターのズレ~時の流れ~

収益面から言うと、私たちのnacreの活動は今のところ趣味レベルだろう。つくったものを販売して、それを元手に次の制作に向かう。それぞれ別の仕事もしているので、収入面でnacreに賭けているというメンバーはいないが、それでも制作や下調べにかかる時間はあるので、その点を加味すると結構な労力をかけていることになる。しかしフリーランスの私たちにとって「時はカネなり」。趣味レベルの収益のために無尽蔵に時間がかけられないのも本音である。

そうなってくると、世の頭のいい人たちは考えるだろう。「活動主旨とターゲットを整理して、最小時間で最大の効果を出すのがベストだ」と。本当におっしゃる通り、無駄のないまっとうなロジックである。だけど、ここで忘れてないけないことがひとつある。私たちの時の流れは、一般企業に勤める人のそれとは、まったく異なるということだ。そもそも「クリエイトする」人間の時間軸というのは、スケジュール帳にまとめられるようなものではないことが多い。日々の活動内容は個々人のバイオリズムに大きく左右されるし、昨日できたからと言って今日もまた同じようにできるとは限らない。それを「甘えだ」と一蹴してしまえば簡単だろうが、甘えと言われようとも夢見がちだろう嘯かれようととも、どうやったって“そうなってしまう”というところが、クリエイトする人間の性なのかもしれない。そしてそれを無理くりハコ的な時の流れに押し込めてしまった途端、私たちのクリエイティビティはたちまち淡雪(またはナメクジ)のように消えいってしまうのだ。

答えのない問題に向き合うから、クリエイターなのかもしれない。

だから悩むのである。現代の”価値の最大化”のやり口と、私たちのやり方とが、全くと言っていいほど嚙み合わない。そしてさらに辛いことに、そのことを真剣に考えて悩んでいる人が、世の中には圧倒的に少ない(ように見える)のだ。
「こんなのあったらいいな」を楽しく、明るく提供している自負はある。というかそこしか誇れるところがないので、それを失ってしまったらもはやこの活動を続ける意味がない(笑)。だけど続けていくにはお金が必要で、でもその稼ぎ方も、一般的な論理にあてはめては考えられないのだ。つまりまあ、私たちには考えることがたくさんあるということである。クリエイターとして世の中にどんな”いいこと”を贈れるか、そしてそれをどのようにお金にして、活動を続けていくのか。本音を言えば、正直しんどい。こんなことなら黙ってスーツ着て決まったオフィスに行って言われた仕事して決まった給料もらった方がよっぽど効率的だ。…あ、でもそれができないからこうなっているのか。

とまあ、とりとももない堂々巡りをこうやって繰り返しているわけだが、それでも私たちは考えることだけはやめないでいようと思う。答えめいたものがネット上のあちこちに転がっているこの時代にあって、答えのない問題に右往左往している大人であれていることを、開き直って誇らしく思ってみることにしようと思う。

みなさまぜひnacreの今後にこうご期待です。

06APR2023
guesthouse Nafsha owner/ creative team nacre writer
Misato

nacreのInstagramはこちら🐚✨

最後に愉快なnacreメンバーを🦄🌈

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