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同級生は〝ふるさと〟 だった。22年目の再会。

中学の同窓会に参加してきた。
卒業後、数回開催されていたという会に一度も参加したことがなかったので、ゆうに21年ぶりの同級生との再会となった。
母校の名は、小高町立小高中学校。2005年の市町村合併の後は南相馬市立小高中学校となっている。私たちが卒業したのは2002年のことだ。

小高中(おだかちゅう)と言えば、知る人ぞ知る吹奏楽の強豪校のひとつでもある。あまり知られていないのだが、福島県の沿岸部である「浜通り」は、中高含めて全国レベルの吹奏楽部がうじゃうじゃしいる。中でも中学は、浜通りのさらに北部「相双地区」に強豪校が集中しており、この狭い地区から3校が東北代表として全国大会へ出場していた時期もあった。
何を隠そう私も小高中吹奏楽部に所属いたひとりなのだが、私が居たのは新任の顧問(吹奏楽フリーク)が着任し、県大会レベルから全国へとのし上がる過渡期だったため、全国のステージは踏んでいない(東北大会銀賞)。

…と、昔の母校自慢はこれくらいにして(苦笑)、つまりはバッキバキの〝吹奏楽ヲタク〟だった私にとっての中学の思い出は、部活しかないのだ。それ以外はもう記憶の彼方。もはや自分が小高中に通っていたのかさえ自信がない←。そんな私が同窓会に参加して、同級生と語れることなんて果たしてあるのだろうか…めちゃ浮いて一言も発せずに終わるのでは…と緊張の面持ちで臨んだ当日だったが、意外にもめちゃめちゃ楽しんで帰ってこれたというのが結論だ。

〝南相馬市〟の地名を見て、ピンときた人もいるかもしれない。
そう、2011年の東日本大震災で大きな被害を受けた、福島県の沿岸地域のひとつである。震災が起こった当時、1986年生まれの私たちは25歳になる年だった。当時千葉県で働いていた私は、つながっていた数名の同級生と必死に連絡を取り合っては生存確認をしていた。辛かった。息が詰まるどころか、できなかった。当時のことは、今でも上手く思い出せないところがある。
あれから12年。だからこそ、37歳になった私たちが再び会うということには一般的な「同窓会」とはちょっと違う、特別な意味があるように感じている。これはあくまで私見で、他の同級生がみな同じように感じていたかは分からない。だけど緊張の面持ちで扉を開け、あのとき毎日のように見ていたみんなの顔を見たとき、私はなんとも言えない明るい気持ちになった。21年という時間を超えて、一気にあの時が戻ってきたような感じがした。

震災後、色々な人たちが私たちの地元に入っては出て、様々な活動をしてくれた。今でも現地で頑張り続け、活動し続けている方々には本当に感謝の想いでいっぱいである。一方で、だ。いつでも〝被災地〟〝ソーシャル〟〝イノベーション〟などと、カギカッコ付きで意味ありげに語られるようになってしまった故郷に対しても、寂しさや違和感を少なからず感じてきた。私たちの地元って、そんなんじゃなかったじゃん。もっとダサくて閉鎖的で、頭悪くてクソだったじゃん。でもだからこそ強くてガッツがあって、自分たちで切り拓く逞しさがあったじゃん、と。
全世界からカギカッコつきの優秀な人たちが横文字を掲げ、地元に出入りするのを、私はどこか半分そんな気持ちで眺めていた。

だからあの夜、久しぶりに集まった20名強の同級生は、私にとって〝震災以前〟を感じられる、数少ない存在だったのだ。嬉しかったのは、中学時代には(おそらく)ひと言も喋ったことのない同級生と、当たり前のように会話ができたこと。特に当時不良っぽくて怖すぎて近寄れなかった男子たちとも普通に酒を酌み交わし、緊張しながらもコミュニケーションを取れたことは、私にとって(そしておそらく向こうにとっても)、新鮮で、でも懐かしく、ああ大人になったんだなと、しみじみ感じられる時間だった。

そして思った。私には、帰る場所がまだあるんだと。
被災して家も売り払い、墓以外には立ち寄る場所がなくなった小高町に、私の居場所はなくなったと思っていた。故郷なのに、年々どこか「お邪魔します」という気持ちで足を踏み入れることが多くなっていたことにも寂しさを感じていた。だけど、私にはまだ彼らがいる。帰る家はなくとも、彼らがまだ、ここにいてくれている。ホームだと思った。ひと言も喋ったことなかろうが、22年経って色々と変わっていようが、私には帰る場所がある。震災以前の小高を知り、一緒の時間を過ごし、同じ釜の飯を食べて育った、同級生という故郷が。

ずっと根無し草のように、いつでもアウェイで生きてきた自分にとって、この発見は大きかった。私が何者なのか知ってくれている人がいるということが、これほどまでに心を安定させてくれるとは思わなかった。
故郷がある。帰るべきところがある。

きっと誰しにも故郷があるのだろう。自覚していてもいなくても、その存在が私たちを私たち足らしめているのだと思う。
だから皆さん、どうか自分にとっての〝故郷〟をお大事に。そしてそれがいつでも、いつまでもあってくれるという訳ではない、ということも忘れずにいましょうね。

2023年8月24日
Misato Michelle Momma

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