躁になり、心理学を学び、鬱になった私の実話を書いていこうかと思っています。さて、何から書いていこうか。
今日は私の入院生活のお話。 私が最初に入院したのは、高校3年生の時。休学と留年をしていたので、19歳と20歳の頃の話です。 今の病院に通い出して、はじめ、私は鬱という診断を受けました。しかし、それがまずかった… 私は、人生で一番私を大切にしてくれていた彼氏と別れました。自分が浮気をして。なぜ恩を仇で返してしまったのか、悔やんでも悔やみきれません。 その後、私は夏休みに入り、昼間は短期バイト、夕方はコンビニバイト、夜から朝まで誰かと朝まで過ごす、そんなほぼ寝な
今回は、いつもの過去話ではなく、私の希死念慮のことをお話しします。今しんどいあなた、少しだけ寄り道していきませんか? 悲しいことがあったとき、どうしようもない時、辛くてしょうがない時、うつの時、死んでしまいたいと思うこと、ありますよね。 私も、中学1年生からずっと死にたいと思っていました。私の場合双極性障害なので、うつが出た時に希死念慮が出てきてしまう時があります。 うつの時に死にたくなるのは、あくまで症状です。風邪を引いたら熱が出る、そんなもの。 今までで
今回は私の人生を大きく変えることになる教育事業との出会いについて。 実はこれ、高校生からでなく、小学生からも繋がりのある話なのですが、高校生まで長く続くお話なので高校生編で書かせていただきます。 私は小学6年生の時から、毎年冬、クリスマス付近で行われるキャンプに参加することになりました。始まりは姉がこのキャンプに参加したことで、私もやりたい!と応募することに。そこには、小学5年生から高校生まで幅広い年齢層の子供たちが参加者となり、大学生ボランティアの方々、職員さん
高校生編に入っていきます。もう10年も昔の話なんですね、懐かしいなぁ… 今回は、前回の中学生編(5)の続き、父との関わりから男性恐怖症になってしまったお話をしましょう。 私は無事に高校へと入学し、男性恐怖症も落ち着いていきました。しかし、やっぱり男性の怒鳴る声は怖い… 私の高校1年生の時のクラスは、問題児ばかりでした。授業中にスマホ、ゲーム、騒ぐ。授業になりません。私は基本的に勉強が好きなので、それも辛かったのですが、もっと辛かったのは、騒ぐクラスメイトに対して
中学生編、最後になると思われます。最後は父との事件。 私の父は、いつも冷静で理屈的な話し方をする人です。感情任せなところはある一度を除いて見たことがありませんでした。 私が中学3年生でまた学校に行かなくなりだした頃、父は取り乱して私を叱ったことがありました。 何がきっかけだったのかは覚えていないのですが、家には父と私しかおらず、誰も助けてくれない。父がいつもと違ってイライラしていて、私はそれが怖くて、怯えていました。その怯えた姿を見てさらに怒りは増して、怒声が響
前回は部活でのお話パート1としていました。今日はその続き。部活のお話パート2といきましょう。 初めて部活で後輩が入ってきて、先輩が受験のため居なくなってから、私達はさらに仲良くなりました。 カラオケも行くしプリクラもとる。けど何がぶつかる原因になるのか、それは吹奏楽という環境ならではの問題。 楽器を決めるときは、体験入部で楽器の向き不向きと、希望を見て決めていきます。そうなると、同じパートの人たちの中でも、仲良くなれるタイプかそうでないタイプか分かれてきます。
中学生の頃のお話も3回目。今回は部活のお話パート1としましょう。どうやら1回では終わらなそうだ… 部活は姉の真似っこをせずに、吹奏楽部に入ることにしました。母が吹奏楽部でパーカッション(打楽器)をやっていたそう、また真似っこ。(笑)末っ子気質ですね。 パーカッションで希望を出して、パーカッションパートになる事が出来ました。知ってますか?パーカッションって、吹奏楽部という団体の中で特殊な立ち位置にいること。他の楽器は口を基本的に使いますよね、その中でも金管楽器と木管楽
それでは、今日は昨日書いた「ターゲット」となるお話。 そう、なんの「ターゲット」かっていうと、いじめ。私は中学2年生の時、いじめに遭ってしまいました。 元から目立ちたがり屋だったので、きっかけがあれば叩かれるのは遅かれ早かれそうなっていたことでしょう。 そのきっかけとなった事件がありました。 その事件というのは、ここで書くのは適切でないと思うので明確には書けないのですが、男女の良くない関わりがクラスで起こっていました。それは中学2年生が学校でするには目を閉じ
それでは、小学生編が終わり、中学生編へと入っていきます。今回は委員会と応援団のお話。 小学生を無事に卒業して、私は中学生になりました!体に合わない、大きな制服に着られ、ワクワクの学校生活。 私は小学校高学年から、なぜか少し目立ちたがり屋なところがありました。今思えば、クラスで浮いているのに目立ちたがり屋で引っ込み思案…よくわからない性格をしていますね、明らかに厄介そうな感じです…そして、姉がいると言う話をしたのですが、姉のことが大好きで姉の真似をしたがるのです。
今日は日曜ですので、少し本題から外れて小話をしましょう。私が普段から考えていることです。 それは、「出会うものは、出会うべき時に出会うべくして出会っている」というもの。 よく、この判断は失敗であったとか、成功であったとか、失敗は成功のもと、とか言いますね。そして人生は選択の繰り返し、連続だとも言います。 出会う「もの」とは、「物」だったり「者」だったりしますが、どちらも同じ。自分が必要としている時に、必要なものに出会うのだと私は思っています。例えば人、本、知識、映
中学生編に入ろうかと思ったのですが、私にとってここからが大変なのです… 私は自傷癖がありまして、今回入院するにあたっての理由の一つにもなったのですが、その自傷癖についてのお話をしようと思います。 私の住む地域は、一つの町に3つ小学校があり、3つが統合されて一つの中学校になるスタイルだったんですね。私の小学校は特に一クラスしかなかったので、6年間の長い長い変わらぬクラスメイトとの生活が一変、沢山の新しいお友達ができたわけです。 そこで出会ったのです。「リストカット
そういえば自己紹介をしていませんでした。今更ながら、、(笑) Misato Kanataと言います。今年25歳、新卒社会人です。大学で心理学科を学び、卒業したばかり。小児科で事務員兼心理士として働きはじめましたが、元々双極性障害を持っており、激しい鬱に襲われ現在入院中です。 入院中の暇つぶしと、いつか書きたいと思っていた私の人生録を書く時間ができたので、やってみることにしました。自分を客観視することも治療につながるかなと思いまして。 かろうじて閉鎖病棟はまぬがれ
今回も小学生時代のお話の続きを。 少し浮いた、1人でいることの多い小学生だったが、友達とも遊ぶし、運動は苦手だったけど勉強は楽しかった。 今思えば少しませていたようにも思う。恋愛の話になるが、私の初恋は保育園での頃で、一つ上の男の子が好きで、その子の卒園するときにラブレターを送った。 今でも私の人生で大きな変化を作りがちなテーマ。「恋愛依存」のはじまりだ。 些細なことをきっかけに身近な男の子を簡単に好きになってしまう。今は知り合いの幅が広がって見る目も少しは
まずは私の小学生時代のお話から始めていきますね。 小学一年生で祖父が亡くなったが、一般的な元気な女の子だったと思う。少し違うところといえば、信じられないほど少食で痩せ細っていたところだろうか。 いつも給食は1人残って昼休みまで食べていて、ひどい時は掃除の時間までぽつんと食べている。無理やり食べて嘔吐したこともあったのだが、教育上食べ残しが良くないことは分かっている。しかし体質的に食べれない人も世の中に入ることを許容していただきたかったものだ。中学生で身長が止まり、元
時系列とともにあらすじを。 小学3年生のとき、初めて不登校になった。3学期制で、3学期のみ学校へ行かなかった。4年生になると自然と学校へ行くようになった。 中学生の時、また学校へ行けなくなった。学年が変わると行けるようになるのだが、次第にトラブルが巻き起こり、3年間、毎年数ヶ月授業に出なかった。その頃から自傷行為が始まる。 高校生になり、心機一転、高校デビューを試みるも再びトラブルを起こし不登校に。この頃精神科に通うようになり、高校2年生で留年が決定した。少人数の学