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入院生活いち。
今日は私の入院生活のお話。
私が最初に入院したのは、高校3年生の時。休学と留年をしていたので、19歳と20歳の頃の話です。
今の病院に通い出して、はじめ、私は鬱という診断を受けました。しかし、それがまずかった…
私は、人生で一番私を大切にしてくれていた彼氏と別れました。自分が浮気をして。なぜ恩を仇で返してしまったのか、悔やんでも悔やみきれません。
その後、私は夏休みに入り、昼間は短期バイト、夕方はコンビニバイト、夜から朝まで誰かと朝まで過ごす、そんなほぼ寝ない生活を1ヶ月ほど続けてしました。すると私はみるみる痩せ細り、体重が35キロを切ってしまいました。
担当医からも、35キロを切ったら強制入院だからね、と言われていた。免疫力も下がり、扁桃炎で40度の熱を出し、座っていられないほどきつかった。
あと、これが一番大事な入院理由なのてすが、鬱と診断されていた私は、実は躁鬱だったと判明したこと。
私の姉は心理学の知識があり、相談もよくしていたのですが、「それって、鬱じゃなくて躁鬱じゃない?」と言われました。その話と、最近の自分の生活を担当医に話すと、確かにそれは躁鬱だとのこと。
初診の時は確かに鬱だったので、気分が上がるお薬を飲んでいました。しかし本当は双極性障害、鬱が落ち着き、躁が出てきてしまった。薬でベースが上がっているところに躁が加わり、手のつけようがないテンションの上がり具合になってしまったのです。
それから薬を変えるために3週間入院をしました。これが初めての入院です。
その後安定したように見えていたのですが、まだまだ私の躁は落ち着いていなかった…
ここには書けないようなことをたくさんしていました。一回目の退院から2ヶ月後、再び入院となりました。
さらに3ヶ月かけて薬の量を増やし、ようやく躁は落ち着きました。
長い長い入院となりましたが、大学入試に向けた受験勉強と高校の単位取得のための授業をオンラインで受けていて、正直しんどかったです。しかし、その時は患者さん同士がとても仲が良くて、夕食後毎日みんなでゲームをしたりお話ししたり、それが一番の息抜きであり、支えでした。
退院して無事に大学に入り、4年間素敵な人たちとたくさん出会い、卒業することができました。その間も不安定になる事がありましたが、その度薬を増やして、なんとか単位ギリギリでの卒業となりました。
たくさんの出会いの中で、就職先が決まり、やっと夢に辿り着いたと思いました。
しかし、増やしすぎていた薬の副作用で、私は日中の生活時間帯や、生活に著しい制限を受けていたことに気付けていなかったのです。
確かに朝起きが苦手で午前中の講義は出席日数がギリギリなのが当たり前で、3年4年の時は、ほぼ午前中の講義は取らないようにしていました。
アルバイトも夕方からのアルバイトばかり。
だから、朝起きれないということを重く捉えていなかった。
そして社会人になってから、毎朝7時起きで職場に行かなければならない、それが、最初はできていたのですが、どうも一日中眠い、血圧が低すぎて朝吐き気をもよおす事もあった。
大学生の時は、どうしても早起きしなければならなかったある日、朝駅に向かっていると、何度も吐いてしまい、家に戻らざるを得なくなったことも何度かありました。
これは、薬の副作用だったようで、いろんな方に薬が多すぎると言われました。
その後、仕事に行けない申し訳なさや、環境の変化にストレスが溜まってしまい、重度の鬱を発症してしまいました。その後、私は自殺企図をして、人生3度目の入院生活を送っています。
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