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死にたい私へ

 今回は、いつもの過去話ではなく、私の希死念慮のことをお話しします。今しんどいあなた、少しだけ寄り道していきませんか?


 悲しいことがあったとき、どうしようもない時、辛くてしょうがない時、うつの時、死んでしまいたいと思うこと、ありますよね。

 私も、中学1年生からずっと死にたいと思っていました。私の場合双極性障害なので、うつが出た時に希死念慮が出てきてしまう時があります。

 うつの時に死にたくなるのは、あくまで症状です。風邪を引いたら熱が出る、そんなもの。

 今までで一度だけ死にたいと思わなくなったことがあります。それは、元彼との出会い。

 その彼と付き合っている時、病気の症状がひどくて、そのせいでお別れしてしまったのですが、今でも、ずっと後悔しています。あんなに私を大切にしてくれる人はきっともう出逢わない、5年くらいずっと引きずっていたのですが、風の噂で結婚されたことを知り、諦めざるをえなくなりました…

 そのくらい、彼は人格者で、心から尊敬できる人です。その人に大切に大切にされて、私の希死念慮は一度、無くなりました。とても幸せだった。

しかし、躁がひどくなって彼と別れ、さらに私は荒れていきました。

その後私は入院することになり、高校3年生の間に2回入院、20歳の誕生日も病室で1人静かに迎えました。大学に入ることを目指していたので、1日10時間勉強して、高校の単位も取るために病室でオンラインでの授業も受けていました。

 いろんな方に支えられ、大学に合格することができました。

 その後、大学4年間は入院もせず、しっかり4年間で卒業することができました。

 しかし、卒業してしばらく鬼のように忙しい日々に疲れ果て、本気で死のうと思い、自殺企図をしました。

 死のうと本気で思った時、誰に頼ればいいかわからなかった。家族にも、友達にもこんな重いこと言えない。迷惑になってしまう。

 今までに死のうと思ったとき、共通しているのは「孤独」な状態にあること。接する人が少なかったり、愚痴をこぼせる相手がいなかったり、頼れる人がいなかったり、そういう時、人は本気で死のうと思ってしまう。

 けど、本気で死のうとした時、1人じゃないと思える出来事があった。

 二度、自殺企図をしたのですが、一度目の時、私は誰もみていないだろうとLINEの一言を変えました。そしてしばらく放心状態でいると、その一言を見た友人から電話がかかってきた。

 普段電話なんてする子じゃないのに。見ていてくれる人はいるんだな。

 2回目は、友達とLINEをしていた途中で自殺企図をしていたら、LINEの違和感に気付き、私の家族に連絡をしてくれました。

 その後、自殺行為をしていた私の部屋に母が来て、未遂となりました。

 すぐに私は入院することになりました。

 私が自殺企図をした数週間前まで付き合っていた恋人から、自分を大切にしなさいと言う内容のメッセージを別れる時にもらっていました。

 そんな時、私はあるつぶやきをこぼしました。

「それが出来るならこんな人生送ってないしとっくに自傷やめれてるよ

 こんなでも自分好きだよこんなに死にたくても幸せだよ

 死にたいのは希死念慮、病気の症状だもん

 ずっと死にたいと思ってたけど幸せな時の方が多かったから私は今生きてるんだよ

 死にたいのは今だけだからって踏ん張って生きてるんだよ」

 しょうがない、しょうがないことは受け入れるしかない。それに、私を生かしてくれた人、死なないでほしいと思ってくれた人がいるから、今私は生きています。

 本気で死にたいと思った時は孤独だった。でも、症状が治まって落ち着いてみれば、1人じゃないことがわかる。

 友人から
「死にたいのに幸せだと言い切るあなたは強い」
と言う言葉をもらいました。

 ずっと逃げずに、辛い時、その辛さと向き合ってきました。辛くて苦しいことは悪い事と思われがちですが、それを消化した時、その辛さは自分の血肉となります。

 大丈夫、今はドーパミンの受容体が減っているから辛くなっているだけ、その辛さは今だけ。だから、あと少し、あと少しだけ踏ん張ってみよう。

 後からきっと、死ななくて、生きていて良かったと思える。また笑える日が来るよ。

 今はそう思えなくても、終わりはいつか必ずきます。そう思えば、少しは心が軽くなりませんか?

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