見出し画像

金色の砂。

キラキラ輝きながらサラサラサラっと零れ落ちて飛んでいった金色の砂。

最初この砂は無でした。
ある日私にポッと宿ったのです。
それから少しずつ形を変えて、
私の身体の一部を使い卵黄嚢という栄養源のかたまりを器用に作りそこに繋がり私とは違う意思を持つ別個体の心臓を作りました。
心拍は180bpm。バクバクバクと早めに脈を打つ元気な心臓を私はエコーで確認しました。
その姿の愛おしさに私は医師の前で泣きました。
悪阻という吐き気で悩まされました。
ご飯が食べれなくなり身体は弱りましたが、
来年の春過ぎに「赤ちゃん」として誕生する新しい生命が愛おしくてお腹を庇いながら生活をしました。

それでも、運命のように。
お腹の子の心臓は動かなくなっていました。
心拍は0bpm。脈がなくなって無音です。
残酷ですが悪阻という吐き気もまだ続いていました。
ふっくらとした丸いお腹の中に子は肉体だけを母である私の中に残して天に還ったようです。
その事実を医師から説明を受け頭の中が真っ白になりました。人体の仕組みとして、これから私の母体から子が出てくると説明をうけました。
ただその時はお腹が痛くなり激しく出血するかもしれないと言われました。母体である私の身体に負担をかけるリスクもあるので自然に任せるのではなく、医学的に亡くなった子をお腹から取り出す手術を勧めます。と医師は申し訳なさそうに私に言い、紙を一枚渡しました。
そこには「稽留流産」の文字が記してありました。受け入れたくない事実でしたが黙って紙を受け取りました。涙がぼたぼたと溢れて渡された紙に涙のしみが何個もできました。
看護師さんに手術を受けるための事前の採血をされたり、手術は入院になるのでコロナの検査の唾液採取をされたりしましたが、記憶があいまいです。涙で前が見えずティッシュペーパーの箱ごとスッと渡され、肩を震わせながらの病院の時間になりました。

私のお腹の子は砂になってしまいました。
お腹の子と過ごした数ヶ月。
キラキラと輝いていました。
お腹の子は生命として宿って短い間でしたが私とともに生きました。それも一心同体でした。
私の心と身体は2度と忘れないでしょう。
こぼれた砂を両手ですくってかき集めても元の形には戻りません。
生命がとまったこと。
誰のせいでもありませんよ。と医師は言いましたが、母である私は我が子に「苦しい思いをさせましたか?」と、ごめんなさいの謝罪の気持ちがあります。

我が子に会いたかった。

寂しい。帰ってきて欲しい。と未練が止まりません。
次にもう一度お腹にエコーをあてたら、心臓が動いているんじゃないか。という、ありえない奇跡を願ってしまいます。

喪失感で胸が苦しいです。
「死」は恐ろしい。
向き合えば向き合うほどにどうしてこんなに悲しいのでしょうか。

キラキラ輝きながら砂になったお腹の子。
私の中にまだ肉体が残っています。
最後のお別れのあと数日。一緒にいようね。
お別れの日がきても私の胸の中で永遠に色褪せることなく生き続けて欲しいです。

私のもとに来てくれてありがとう。
幸せだった。全ての記憶が愛おしい。
忘れたくない永遠の気持ちをここに記します。

R4.11.12

ここから先は

0字

この記事が参加している募集

#noteの書き方

29,308件

#振り返りnote

85,359件

サポートをいただくととっても嬉しいです!Amazonアソシエイトの収益は本などの勉強に必要な教材の購入費にします。