見出し画像

[番外編]: 何歳でも学び直そう。  北欧の全寮制学校フォルケホイスコーレとは。

〜北欧に存在する全寮制の教育機関 “フォルケホイスコーレ“について。人との対話から己を知ること、いつだって何歳だって学び直す機会は得られること、時間のゆとりが新たな思考を生むこと、そんなことを伝えたい記事〜

こんにちは。
小さな町で小さな図書室を運営している地域おこし協力隊です。
図書室に来る前、10か月ちょっとを北欧の国々で暮らしました。
(ここに辿り着くまでの簡略ストーリーはこちらに↓)


なぜ北欧?と必ず聞かれますが
日本の問題点について会話がなされるとき
いつも現れるのは北欧諸国の先例でした。

環境問題にいち早く取り組んでいる、
ワークライフバランスと社会保障の素晴らしさ、
民主主義の見本・税金が高くても文句一つない政治への信頼感、
ジェンダー平等、幸福度ランキング世界一位、
などなど。

北欧って理想の場所なの?!と気になっていました。

中でもその頃よく目にするようになっていたのが
「フォルケホイスコーレ」 
生涯学習の教育機関でとても興味深く
ここに通うことをひとつの目的として北欧に渡りました。

この教育機関が、今所属している社会教育の分野に
通ずるものがあると思ったので
改めてシェアしたい!と思っての番外編です。

フォルケホイスコーレ (Folk Højskole)って?

お城のような建築。ここが私が住んだ学校でした。

「フォルケホイスコーレ」という
名前が暗号のような呪文のようなで
なんだそりゃという感じですが
フォルケ  ホイスコーレ
英語で言うと 
フォーク  ハイスクール
民衆のための民衆による学校といった感じです。

【フォルケの特徴】
◎ 18歳(学校によって17歳)以上誰でも入れる
◎ ゆえに生徒の歳はバラバラ
◎ 全寮制、みんなと食住を共にする
 (大体の学校が二人部屋、一人部屋も少しアリ)
◎ 入学試験なし、宿題もテストもなし
◎ 卒業試験なしなので卒業資格もなし
    実力はつくが、学歴としてハクが付くものではない。
◎ 民主主義、自治の実践。ルールもイベントも自分たちで決める。
◎ 地域に根ざした学校


つまり、
学びたいことを学ぶための学校。

人生のギャップイヤーを人と過ごし
対話から自分の理解を深める場所。 

かなり自由な教育機関。

とわたしは解釈しています。 

ここからは
私が少しばかり(コロナの影響で短期の参加でした…)
フォルケに行ってみて感じた推しポイントを紹介します。

フォルケのポイント①:何歳でも学び直す

日本は大学まで勉強して、卒業したら就職して、
その職にそのまま定年まで勤める
ということも多いですよね。

転職したとしても、大学・大学院・専門学校等に
もう一度学び直しに行くことなんてなければ、
自分の得ているスキルを延々と使い
そこのアップデートを図ろうとする人は
とても少ないと感じています。

ヨーロッパに飛び出て感じたのは、
みんなよく学び直しているということ。
10年もたてば世の当たり前も変わり
技術も進化し、新しいことも出てきたり、、
同じ分野だってアップデートが必要となるはずなのです。
(もちろん不変の例外もあるとは思いますが…)

社会人が時間をとって勉強をし直すことは
至極フツウで、進化のためには必須だと思わされました。

生涯学習の意味でもそうです。
何歳でも好きなことを学んで良い。
わたしは、学ぶことは生きがいにもなると思うので
年を取れば取るほど
学びたいことを学べること、愉しめること、が
とても大切だと思っています。

フォルケは大体の学校の年齢制限が17or18歳以上。
何歳でも入れるのです。 

実際、私が通ったデンマーク語のクラスには
40代のアメリカ人と50代の中国人がいました。
学校によってはおじいちゃんおばあちゃんだらけの
学校もあると聞きます。

入学試験もなく、税金で補助されていて
良心的な価格で住める、
学ぶ意欲だけあれば通える学校。
そんな教育機関の素晴らしさを肌身を持って感じました。

年齢なんて関係なくボードゲームで距離が縮まる


フォルケのポイント②:対話を通して自分と向き合う

学校ではフリータイムがかなり多く取られています。
学校にいる人たちとゆったりと
たくさん話す機会があります。

同じタームで入学した生徒だけでなく、
先生とも距離が近く友達のように話します。
様々なバックグラウンドや趣味趣向を持つ人たちと
会話を重ねることで、新たに見えることや
それは考えたこともなかった!!
と思うことに出会うことも。

そんな対話を繰り返していると、
不思議なことに自分のことが見えてきます。

他人の意見と比較することで
自分はこういう想いだったんだ、
こんなふうに考えるんだ、
こういうタイプだったんだ、
というようなことが分かってきます。

また、北欧で感じたのは対話の際のスタンスの違いです。
誰もが否定をしないで受け入れてくれるという
素晴らしい安心感がありました。
それは、話やすさに繋がりました。

こんなこと話したらどう思われるかな、
こんなこと聞いても大丈夫かな、
そんな心配は無用になります。

生徒のように見えるが真ん中は先生。
動物に囲まれながら食と生と死について考えているところ。


それぞれがそれぞれの意見を尊重し 
自分と他人との課題の分離がしっかりできているから
お互いを受け入れる対話が可能なのだと思いました。
" みんな違ってみんないい " を心の底から理解して
体現しているような感じです。

何かやろうとするとき、アイデア出しのときなんかは
みんなが「いいね!」と言ってくれます。
出し物や自分の芸を披露すると
みんなが「すごいじゃん!そんなできるの!?」
と言ってくれます。
それもお世辞っぽくはなく。
素直に何でも褒めてくれる周囲に
褒め慣れていない私はどぎまぎしながらも、
今まではどん底に押しやられていた自己肯定感が
ぐんぐんと広がっていくのがわかりました。

ギャップイヤーとしてフォルケに来る若者も多いですが
きっと将来の選択をするそのタイミングでの
こういった対話からの気付きが与える影響は
とても大きいだろうなと感じました。

フォルケのポイント③︰生徒主体でルールがない

最近は日本でも
トップダウンでルールを守らせるのではなく、
子どもたちに考えさせる教育が増えてきたように
感じてきますが、学校や組織の中ではまだまだ
改善の余地があるのではないでしょうか?
よく、下着の色や髪型まで決めていたというような
"トンデモ校則"の話題を目にするのが良い例でしょう。

あくまで学生たちが主体。
何かあったら自分たちで話し合いの場を設けて決めます。

全寮制の集団生活なので、問題も起こります。
そんなときはみんなで集まりますが
先生は何も口出ししません。

みんなで集まったところでは、
ルールを決めることもあれば
話し合いでわかり合って終わることもあります。
自主的な活動、例えばイベントを開こう!とか
誰か一緒にやってくれる人?
という声かけのこともあります。

何かあるとちゃんと"みんなで"
どうするか考えて決める、
民主主義の縮図を見ているように感じました。

もちろん大人の学校だからというのもありますが、
それでも日本の常識でいくと、
もっと学校側から
色々と決められていることを想定していました。

日本に帰国して感じるのは、至る場面で
保険をかけているんだなということです。
たとえば危なそうなことは
誓約書を書かせる、あるいは行わない、など。
それは責任感が強い、の副産物なので
悪い面だけではありませんが、、、
(私はそうなってしまうのは
政治やメディアの揚げ足取りが
目立つという点も
大きく関わっていると思っています。)
私が日本にいるとなんとなく
のびのびできず窮屈に感じるのは、
ここに違いがあるからだと思っています。

 生徒が自主的に開いた図書室オープンデーイベント

フォルケのポイント④︙自然とサウナと散歩


さて、少し視点を変えて環境面です。

上記であげた対話を生むポイントとして
自然の中の暮らし、サウナ、散歩、
この3つは大きな効果をもたらしていると思います。

この3つはフォルケに通ってた頃だけでなく
ホームステイ中にも同じように感じていたので
学校だけでなく、北欧の日常に
当たり前にあるものだと思います。

まず、よく散歩すると思います。
街が自然豊かということもあり
家や施設の目の前が森や湖というのは普通です。

ご飯の前、ご飯のあと、休憩時間、朝活、
ちょっと湖の近くをあるこう、
ちょっと森へ行こう、
そんなことがよくあります。
しかもそれは5分や10分かと思ったら
30分くらい歩いたり。笑

自然の中で散歩しながらだと
なぜでしょう、格段に話しやすくなります。
話しにくいなと思っていた人とも話せたりするし
初めての人でも座って向き合って話すより
一緒に歩きながらの方が気まずくならず
会話もスムーズになりやすいということに気付きました。

屋内でも都会でもなく、自然の中で
というのもポイントだと思います。
清々しい景色の中で外の空気を吸いながら
気分もゆったりして、リラックスして会話できます。  

サウナや焚き火も同じような効果があると思います。
初めて会った人とも話しやすく
またいつもの友だちとも深い話が自然にできました。

北欧ではそこらへんの木の枝にパン生地を巻いて焼きます


フォルケのポイント⑤:時間のゆとり


対話して自分と向き合う時間、
これは時間のゆとりがあるから生まれます。
散歩や焚き火も、ゆとりがなければ生まれないでしょう。

そもそもギャップイヤーをとるというのも
ゆとりがあるということですよね。

フォルケの中でいうと、授業の時間もありますが
同じくらいフリータイムが多くとられていることが 
好きなことをしたり自分のことを考えたりする
時間が自然と生まれることに繋がります。

私達の今の生活では、
そんな時間のゆとりが無くなっていないでしょうか?  

部屋の窓から湖を眺める時間が究極の贅沢でした。

日々仕事仕事で帰っても家事、
子育てをされてる世代ならなおさらです。

日本人は真面目で責任感が強い傾向から
やることに追われ忙しく、
"スキマが無いな"と感じます。

私も北欧に行く前は忙しく働きすぎて
"この生活を辞めたい"と思う暇すらなく
ひたすら日々を回していました。
ふと暇ができたタイミングで初めて
自分と向き合うことができ、
今の暮らしや自分がしたい生き方、人生について
"ちゃんと考える"ことができました。


さて、以上が
他のフォルケに行った人たちの話も聞いた上で
フォルケホイスコーレという機関に
共通していると感じた
大きなポイントだと思った点でした。

書ききれませんがフォルケには他にも 
推しポイントは沢山あります!
毎朝歌うとか、アウトドアの本気具合とか、
用意してもらえるごはんとか、
デンマーク文化にどっぷり浸かることとか……
デンマークや北欧文化に興味がある方には
とってもおすすめできます。

自分と向き合う時間

ただ純粋に興味がある、やってみたい、勉強してみたい と思うことを仲間とともに勉強する時間。

人との対話の中で自分の思いや考え方に気付く時間。
ひたすらに手を動かして没頭する時間。
自然を身体いっぱい感じて開放される時間。

そんなふうにただ好きに使える時間を作れたこと
そして結果として自分との対話の時間になっていたことが
人生の贅沢だと感じました。

私自身は忙しさに日々を消費することも
悩みもせず勢いよく突き進んでいるときも
それはそれで必要な時期で良かったと思っていますが、
たまに立ち止まってみることを
多くの人たちにオススメしたいと思っています。

それはデンマークでフォイスコーレに行かないと 
掴めないものでありません。
気のおけない友達と
広い公園をゆっくり散歩してお喋りして
芝生に寝転べる
ただの一日でも仕事や家庭から離れて
一人の自分と向き合う、
そんな時間がとれたらそれで充分です。

毎日忙しくしてるとそんな時間もったいない!
そんな時間とれるわけない!と思うと思います。
でも本当にそうでしょうか?

長い人生のうちのたった一日。

1日休んでも死にはしない。
生き物相手のお仕事をされてる方や
自分がプレイヤーの方など
他の人に代わってもらえないという人も
本当にそうなんだっけ?
と一度自分に問い直してみてください。

当たり前に当たり前に生きていくと
塗りつぶされて見えなくなっている
選択肢が存在していたりします。

知らぬ間にいっぱいいっぱいになって爆発する前に
何か自分の違和感に気づけるかもしれないし、
自己実現に近づけたり
より生きやすくなったりするかもしれません。

本当に今の自分が好きか
せっかく生きるならどんな自分になりたいか、
明日死んじゃうとしたら何をしたいのか、、、
そんなことを自分に問いかける" 一回休み"のコマを
持ってみるというのはいかがでしょうか。

とはいえ、やっぱり"大人のギャップイヤー"
海外で深く学びたい、体験したい、
長い期間しっかり何かを学びたい!
という人が多いようで
最近はフォルケホイスコーレが流行してしまい
日本人が増えすぎて
受け入れてもらえない学校が
出てくるほどです。

それに加えて言葉の問題もあるので、
(私は対話が大切な場なので言葉は
母国語のほうが得るものは
深いだろうと思っています。)
フォルケに行った人たちで話すのは、
「やっぱり日本にあればいいな!」
ということ。

フォルケの日本版、あるらしい

日本でもフォルケのような場所を作ろうと
アツく頑張っている人たちがたくさんいます。
私は悩める日本人のために
日本版フォルケ、今後に期待しています。

と、いったところで私の仲間が
奈良県でサマーコースを開くというので 
シェアします。
お金はかかりますがデンマーク🇩🇰から素敵な講師が
来ますので、プチ留学のつもりでどうぞ。
必要とされる人に届きますように。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?