悲しかった今日の出来事。
今日はクリニックで自身の診察と
<精神疾患・障害> 関連の書類作成のためのケースワークだった。
<鬱>や<パニック障害>を発症した原因である<PTSD(心的外傷後ストレス障害)>となった過去の出来事を思い出しながら、詳細な資料を作成しないといけない、というかなりしんどい内容で、2時間以上予定も押して、ふらふらになりながらどうにか帰宅。
数年前の寝たきり生活からはだいぶ回復してはいるものの、未だ体力は戻らず、一日に数時間しか動けない状態の中での日々の生活。
電車に乗ると、過呼吸も起きやすく移動がしんどい。
今日は体力が限界だったため、立ってもいられず、そこそこ混んでいる電車の中でしゃがみ込んでしまう。
なるべく邪魔にならない隅っこで小さくなって、ひたすら降りる駅までやり過ごす。
もちろん誰も声をかけてはくれない。
席も譲ってはもらえない。
いつものことでもう慣れている。
そんなもんだってわかっている。
でもやっぱり悲しくて、
いつも惨めな気持ちになる。
私自身は、自分が動けないとき以外は、困っている人や具合悪そうな人に必ず声をかけるので、声をかけない人の心理はよくわからない。
自分が声もかけてもらえないのは自分の何かがいけないからかなぁ、、と思ってしまい、ますます悲しくなってしまう。
でも勝手に期待して、
がっかりするのもお門違いなので、
そういうときは、
「邪魔だ!」と蹴っ飛ばされなかっただけありがたいと思うようにしている。
+
電車に乗るときだけは、障害者のヘルプマークをつけようかとも思うけれど、周囲の目が怖くて未だ付けられない。
妊婦マークですら、
「席を譲れって言うのか」
「妊婦様のつもりか」とネットで叩かれているのを見て、ますます怖くなってしまった。
だけど、なにより怖いのは、明確にSOSを出しているのに無視されたとき、
必死で伸ばしたその手を振り払われたときの、絶望感を知っているから。。
+
ふいに、昔、飲食店で働いていたときの先輩が、
「チラシ配りをするのが怖い」
と、言っていた言葉を思い出す。
声をかけても無視され続けると、自分が透明人間になったような気がして、存在を否定されたようで悲しくなる、のだという。
(ちなみに私は、チラシ配りが大好き&大得意で、撒くのが早すぎるあまり、
「全部、裏で捨ててるんじゃねーか!」
と店長に言われるほどだった。。^^;)
+
地元の駅について、ふらふら立ち上がり、どうにか電車を降りたとき、
扉近くに立っていたスーツ姿の男性のヘルプマークが目に入る。
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ああ、この人も障害者だったんだ。。
彼も誰にも席を譲られていない。。
誰にもSOSが届いていない。
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しゃがみこまなかったら私も気づかなかったかもしれない。
私が気づかないだけで、世の中にはたくさん困っている人がいるんだなぁ。。
私のもっとずっと前から、しんどい思いをしている人たちがいるんだなぁ、、
私は自分がそういう立場になってそれに気づけて、本当に良かった。
だからこそ、
自分に余裕があるときは少しでも、自分がもらったあたたかさを分けてあげたいなぁ。。
そんなことを、痛感した出来事だった。
残念ながら、
今日の出来事からは寒々とした気持ちしか生まれなかったので、
あとで、この前ほっこりした出来事でも書いてみようと思う。
自分の心をあたためるために。
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