最近気付いたこと。 自分のこと、愛してもいいんだ! 自分らしく、好きなことしてよくて 焦らずに夢を叶えていいんだ。 自分にはステキなところ沢山あるから、もっと自分を好きになってもいいんだ。 これからは自分というかけがえのない存在を、大切にしていこう。
嫌いなものが増えたような気がする。 年を重ねるごとに、関わる人がガクンと減ってナニかに腹を立てることが多くなった。毎日ナニかしらに腹を立てている。どんどん器が小さくなってきているような気がする。 実際器は小さくなっているんだろう。何故なら、ぼくには余裕というものが全くないから。毎秒焦燥感で息が苦しく、喘いでばかりいる。 " ナニカ成し遂げなければならない " " お金を稼がなければならない " " はやく親孝行しなければ " 日毎にこれらの焦燥感は強くなってい
だれひとり死なないで、
孤独が悪だと誰が決めたんだろう。 孤独な人間は、辛い、寂しい、はたまた恥ずかしい、だなんて言葉をよく耳にする。しかも辛い、寂しい、はたまた恥ずかしい、と声に出しているのは孤独な人間本人ではなく、何も知らない他人が口にしている。当の本人はひとりで誰とも群れない環境が好きかもしれないのに。誰よりも充実した生活を送ってるかもしれないのに。 もし、現在恋人もおらず家族とも疎遠で、友人と思っていた人たちとも何だか上手くいかなくって「孤独だ」と感じ、自分は無価値だからそうなるん
夜は自己嫌悪で忙しい、忙しいんだ。 反省文、反省文提出します。
ぼくは昔から( どれくらい昔か、なんてものは考えていないのだけれど )、とにかく人の為になる人生を歩んでいたい、と考えている。 だって、自分にはなあんの価値もないから。 だから、少しでも誰かの為にならないと、生きていてはイケナイような気がして。 まあそんなアホネガティヴな気持ちがこころの奥底に根付いているのだが、誰かに感謝されたり必要とされたりするのは誰だって心地いいものではないだろうか。 自分がいくら鬱でも、深く傷ついている状態でも、相談を持ち掛けら
心療内科に、精神科に通い始めて、10年近くが経つ。精神安定剤を服み始めて5年近くが経つ。 ( ぼくの記憶はうんざりするくらいアテにならないから実は適当な年数なんだけれど ) そんなこんなでぼくは24歳になりました。 23歳、つまり1年前は1日30錠以上服んでいた薬がいまでは1日2錠。 1年間で成長できたと思う。頑張ったって。 まわりの、ぼくよりウンと長生きしている大人達も褒めてくれるから。えらいね、って。 だけど、ぼくは、成長できたと思う反面、どんどん自分が
毎朝服む3mgの精神安定剤と、 頓服で服んでる1mgの精神安定剤で だいたいのことは数時間後には 忘れてる。 そうやって、どんどんぼくは、 空っぽに、なっていく。 空っぽになって、軽くなって、 フワフワと空を飛ぶ。
7:06 甘い微睡みから起床。 夢の内容なんかいつも覚えていない。 だってそれは夢でしかないから。 7:30 珈琲を淹れて珈琲が抽出される音をBGMに、瀟酒な外観のパン屋で買ったあまいあまいパンを頬張る。それでもなんだか物足りなくって、母親の手作りのまあるいチーズパンも胃袋におさめる。 7:58 毎朝の習慣のめざまし占いを観て、今日の気分を決める。 8:45 すこしだけ悲しくなって煙草を喫ながら涙をこぼす。 9:00 クーラーを効かせた気持ちのいい部屋のソファで二度寝。この
エロとは隠されているからエロいのである。 「このマグロ光沢がエロい!」などエロチシズムのカケラもない。 阿呆だ。マグロ食うな。 そして秘密はエロい。
音楽をやっている人は皆、その瞬間神様になれる。 ステージに立って汗を撒き散らしながら歌う、DJとして様々な音を溢れさせる、その瞬間、神様になれる。 先週、ミュージックサーカスというフェスに行き、今日は友達がDJとバンドを演奏するイベントに行ってきた。 そこで目にしたものは、神様だった。 何万人という人間の前で歌い、音を奏でる。それはホントウに神々しい光景だった。神々しくて、音楽に塗れ楽しく笑顔になるはずの空間が、感極まって胸が詰まり涙が出そうになった。 そ
昨夜自室のベランダにデカめのゴキブリが呑気に「やあ!」みたいな感じで居座っていて、そこから今も部屋で落ち着けなくなっている。落ち着きのない自分が嫌いだし、落ち着きたいのに落ち着けないことに至極簡単に絶望して、1mgの精神安定剤を舐める。そうして眠りにつく。おやすみなさい。
わたし記憶力が半端なくナイんですよ。 例えばいちにちの出来事を振り返ろうとして、会った人の顔も思い出せません。一緒に住んでいる母親の顔すら曖昧にしか思い出せない。 色々と精神安定剤を服んでいるせいかなあ、とも考えるんですが、とにかく記憶力がナイ。 そこでふと思い付いたのが、 「noteに日記書いていけばよくねー!?」でした。日記の記事は結構たくさんありますし、いくつか読んでいたのですが、自分が書くということは盲点でした。 「わたしの日常書いても誰も読んでくれない
ひたすら心臓が凍るような想いで読み終えた。というか、本当に凍えた。自分がいまどれだけ恵まれ、幸せで暮らせているかを痛感させられた。 上間陽子さんの著書ははじめて読む。はじめてで、こんなにものめり込めさせられ、こんなにも気持ちを揺さぶられた作品は他にあるだろうか。わたしはジャンル問わず毎月10冊ほどの本を幼いころから読んできたが、こんなにも心を打たれた作品ははじめてだった。 「ひとりで生きる」に登場した和樹には涙を流すほど共感した。 -----お父さんもうあれな
とにかく泣いた。呼吸が苦しくなるほど泣いた。自分の父親の想いと自分の家族の現状と過去にリンクし、嗚咽しながら読了。 あらすじは( 以下新潮文庫公式サイトより引用 )、――その頃見る夢は、いつも決まっていた。誰かに追いかけられる夢。もう終わりだ。自分の叫び声で目が覚める。私は安心が欲しいだけ。なのに夫は酔わずにいられない。父親の行動は破滅的。けれど、いつも愛していた。どうしたら信じ合って生きていくことが出来るのだろう――。 「ゆるすと諦めるって、どう違うんだろう。」
皆さんは、自分のこと、好きですか。 ぼくは自分のことが嫌いで嫌いで仕方がありません。憎くて仕方ない。 常にありもしない被害妄想で苦しんでいます。 「ぼくと一緒に居ても楽しくないだろうに、 何で遊びに誘ってくれるんだろう。」 「また、変なこと言ってしまって嫌われたかな…。怒られるかな。」 「ぼくがブサイクで太っているから、あの人はぼくのことを見てるんだ。」 といったことを四六時中考えています。 もちろんそんなネガティヴなことを四六時中考えても楽しくなんて、ちっともありま