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一木けい「全部ゆるせたらいいのに」を読んで

 とにかく泣いた。呼吸が苦しくなるほど泣いた。自分の父親の想いと自分の家族の現状と過去にリンクし、嗚咽しながら読了。

 あらすじは( 以下新潮文庫公式サイトより引用 )、――その頃見る夢は、いつも決まっていた。誰かに追いかけられる夢。もう終わりだ。自分の叫び声で目が覚める。私は安心が欲しいだけ。なのに夫は酔わずにいられない。父親の行動は破滅的。けれど、いつも愛していた。どうしたら信じ合って生きていくことが出来るのだろう――。

 「ゆるすと諦めるって、どう違うんだろう。」

 その通りだと感じた。以前のnoteでも述べたように、わたしは物心付く前から父に暴力を受けて育った。ただ、酒に酔って暴力を振るうわけではないのが、異なる点だ。
 ずっと父をゆるしたかった。現在は暴力を振るわず、会えば笑顔で冗談なんか飛ばしてくれる。だからゆるせる筈だった。心底ゆるしたかった、ゆるして、幸せな親子関係を築きたかった。だが、18年近くの重苦しい過去にわたしは縛られていた。過去は変えられない。だが、ゆるすことは出来る。しかし、ゆるすとは何だろうか。

 この作品を読んで、父は父なりに家族を必死に愛し、守っていたのではないだろうかと考えた。ただ、その方法がまわりと違っていただけで。父は、あたたかい居場所を求めて苦しみもがいていたのではないだろうか。本当は暴力なんて振るいたくなかったんではないだろうか。
 こんな気持ち、父は毛頭なかったかもしれない。わたしの独りよがりなのかもしれない。だが、そう考えずにはいられなかった。そう信じていまこの瞬間から生きていこうと感じた。

 いま思えば父は家族全員を愛しすぎていたのではないだろうか。愛情が裏目に出て、厳しく当たりすぎたのではないだろうか。
 いまとなっては何もわからない。わたしが父に過去のことを聞く勇気がないから。それはまだゆるすことが出来ていないから勇気が出ないのか。

 父の想いに考えを巡らし続け、様々な憶測が出てくる。全て、希望的観測に過ぎないのだが、そうであればいいと願い、脳を動かすのを止められない。

 いつか、ゆるせる日が来るだろうか。
 ( この文章に"ゆるす"という単語を度々使用しているが、未だに"ゆるす"意味はわかっていない。)
 父を含めた家族みんなで過去を「そんなこともあったね」と昔話に出来るだろうか。

 何年かかってもいい。

 いつか、父を心の底から愛し、ゆるせる日がきますように。



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