見出し画像

怠惰な日々

 嫌いなものが増えたような気がする。
 年を重ねるごとに、関わる人がガクンと減ってナニかに腹を立てることが多くなった。毎日ナニかしらに腹を立てている。どんどん器が小さくなってきているような気がする。

 実際器は小さくなっているんだろう。何故なら、ぼくには余裕というものが全くないから。毎秒焦燥感で息が苦しく、喘いでばかりいる。
 " ナニカ成し遂げなければならない "
 " お金を稼がなければならない "
 " はやく親孝行しなければ "
 日毎にこれらの焦燥感は強くなっていく。

 けれど。
 ナニもやる気が起きない。

 やるべきことは山のようにある。
 多趣味なのでやりたいことも際限なくある。
 ( そのはずなんだけどなあ… )

 アレをやろうコレをやろうと考えはするのだが、ぼうっと天井を眺めていたり眠ってしまったりして気付けば1日が終わってしまっている。それか、ナニも生産性のないことばかりしている。例えば、見ず知らずの人間のSNSをアホヅラで眺め続けて小一時間はあっという間に経つ。 
 これらの時間が如何に無駄なのかは理解しているつもりなのに、睡魔には勝てないし赤の他人の不幸自慢は気味の悪い愉悦に浸れる。

 こんなときぼくはどうしても精神科でもらう薬のせいにしてしまう。副作用だったり離脱症状のせいにして自分の怠け癖を見ない様にする。
 これが「逃げ」だということもわかってる。わかってるんですよ。でも「逃げ」るコトはとっても、とっても楽じゃないですか。

 …つまり、全ては自業自得なのだ。

 ちいさなコトに腹を立て、そんなコトで腹が立つ自分の器の小ささに呆れるのも、焦燥感で息が出来ないのも。自業自得なことくらい、この文章を書くずっと前から知っている。
 無限ループだ。
 ナニかしなきゃ、でもナニもやる気が起きない、薬のせいにする、自業自得だと自分に腹が立つ………これの繰り返し。ナニも産まない。

 
 自分には瘋癲( ふうてん )という言葉がよくお似合いだなと思い、最近「瘋癲だからねえ」とばかり言っている。
 瘋癲の意味を「定職を持たず、ぶらぶらと暮らすひと」という解釈をしている人が多数なのではないだろうか。それも正しい。だが第一の意味は「精神状態が正常でない人」だそうだ。
 またぼくは自分の精神状態が悪いことにして逃げているね。まあいいや、もう、コレがぼくなんだよ。というか現代社会において精神が正常なヤツはいるのかよ。


 noteを書くたびに感じることが、毎回ぼくの文章は、最終的に自分を甘やかし慰めるだけの糞ったれオナニー記事になっているな、ということ。
 今回も暗く始まり最後にはオナニーして終わり。グロテスクな自慰行為を最後まで読んでくださったあなたに幸あれ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?