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消極的文章

 ぼくは昔から( どれくらい昔か、なんてものは考えていないのだけれど )、とにかく人の為になる人生を歩んでいたい、と考えている。
 
 だって、自分にはなあんの価値もないから。

 だから、少しでも誰かの為にならないと、生きていてはイケナイような気がして。

 まあそんなアホネガティヴな気持ちがこころの奥底に根付いているのだが、誰かに感謝されたり必要とされたりするのは誰だって心地いいものではないだろうか。

 
 自分がいくら鬱でも、深く傷ついている状態でも、相談を持ち掛けられれば即座に解決したい。
 もし、その相談が、ぼくの鬱がさらに酷くなるトリガーだとしても、かまわない。
 

 あなたたちが笑顔になるなら。

 ぼくのどんな犠牲も厭わない。

 きみたちが幸せに生きるなら、ぼくはボロボロでかまわない。

 ぼくはぼくと関わってくれている人間達が、老若男女問わず好きだ。だって、ぼくは生ゴミにも頭が上がらないような人間なのに、仲良くしてくれているんだから。好きというか、もうみんな大切で、宝石箱に並べておきたいくらいの価値がある。なんなら、ひとりずつにほっぺにキスしちゃいたい。あっでもぼくにキスされたら吐きますよね、すみません。


 ひとによっては「そんなふうに関わられても、わたしは嬉しくない。あなた自身が充実して幸せでないと、わたしもツラいよ。」だなんて、よくある平凡な偽善をカマスだろう。というか、平凡な偽善をカマス、平和ボケ共が大半だろう。
 平和ボケ供は、平和ボケ供で仲良くやっててくれ、ぼくはネガティヴが骨にまで染み付いてるんだ。
 
 そして、ぼくはそんなネガティヴな自分の気持ちがそんなに嫌いじゃない。むしろ大切にしていきたいと考えている。

 どこかのアーティストも言っていたよ、ネガティヴな気持ちのときの方がアイディアが浮かぶって。

 ネガティヴな気持ちが強い方が、ひとの痛みや弱さを知っているから、他人に優しくできると思うし、ポジティヴなだけより、ポジティヴでもありネガティヴでもある躁鬱なぼくらは強いのではないだろうか。躁鬱サイキョー、です。たぶんポジティヴなだけの脳内お花畑より色濃い人生を送れている。


ーーー段々とポジティヴヘイトな文章になってきたので、ポジティヴな人間が読んでいるならあやまっておこう( もう手遅れ? )、申し訳ない。


 

 たまにはネガティヴな気持ちの中で、ぼんやりなにもせず、湯船につかり、ニルヴァーナやレディオヘッドを聴きながら、酒でも呑んで寝ることをぼくはオススメして、終わります。

 

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