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【眠れない夜に】手帳を開こう。描いた言葉は毎日の足跡

「悲しみとか痛みで心が削られたときほど、愛と呼ばれる何かは深く私に入ってくる」

三年前の手帳を開くと、父がいなくなったという知らせを聞いたちょうど一週間後に、こんな言葉が書かれていた。

「強くいられるときには、身体の表面を撫でて通り過ぎていくものたちが、ぼこぼこになった心には、これでもかというくらい引っかかる。ぐちゃぐちゃででこぼこの私は、優しいそいつらを全身に纏う」

二十歳になって、18年ぶりに私は父の存在を確認した。再会したのはその2年後、22歳のとき。それから間も無く、父は病であの世へ行ってしまった。父と顔を合わせた記憶は1日分だけ。それでも、私は父の死を全身で感じていた。

「一つの死に伴う一つの痛みでも、こんなに苦しいのだとしたら、世の中には一体どれくらいの痛みと悲しみが存在するのだろう。

痛みを伴いながら、それでも生命は生きていく。この世界には、愛と呼ばれるものが在って、幸せと呼ばれる瞬間が確かに在る。それらは生命の痛みと苦しみの副産物なんじゃなかろうか」

当時のスケジュール帳を見たら、22日、23日、24日、それぞれの日付のところに小さく「夜 泣」、「1日元気、泣いてない」、「泣いた」とメモしてあった。自分を観察し文字にすることは、たぶん孤独の喪失を和らげるのに必要な作業だった。

どんなに説明のつけづらい感情でも、それは大事な心の作用。そこに踏ん張って立っていたことを証明する足跡だ。泣くことに理由はいらないのだと改めて思う。

それらのメモの近くには「Mくん、インフルの疑い」という走り書きや、数日後のゼミの予定、美容室の予約時間が書いてあった。周りには人がいて、日常はなんとか動かされていた。

当時の記憶は曖昧で、どう苦しさを乗り越えたのかわからなかったけれど、ここにある手帳の筆跡たちは、3年前の私が苦しみながらも確かに生きていたことを証明してくれている。

最近は予定管理をスマホで完結させていたけれど、どんなに画面をスクロールしても自分の息づかいが感じられない。

明日は紙の手帳を買いに行こう。
殴り書きでもいいから、私だけの文字を描いていくんだ。

生きるために書いた言葉たちが、今この瞬間のように、いつか誰かの生きる日々に溶けていくかもしれないから。

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