見出し画像

意識だけで頑張らない。

私の父はストレスに弱い。
相手の言葉に過剰反応する生き物だ。日によって差はあるが、先日は極端だった。え?とわかりやすく頭の上にはてなが浮かんだ。

いつも箸ではなく、割り箸を使い捨てで使用している父。
買い忘れた、と一人呟く。
母も私も同タイミングで「この前買ったやん」と言った。
それを聞いた父は、「なんで二人から一緒に怒られないといけないの」と。

どうしてそういう被害妄想になるのか不明だった。
確かに優しく、「この前買ってたよ!」と言えば丸く治ったかもしれない。

しかし、これは受け手の問題じゃないんだろうかと思った。
なぜそれだけで、責められていると感じるのだろうか?
自分の意見以外は全て、批判・否定と解釈してしまうようである。


以前は父は毒親だから仕方ない、と、自分を慰めることばかりしていた。
しかし、反面教師にして冷静に分析するようになった。申し訳ないが、自分で気づいて、自分で治そうと思わない限り、父を救うことはできない。自分がなんとかしなければいけないと思ったり、自分のせいだと思うところはまだ私もアダルトチルドレンの気が残っているように思う。
でも、これは父の問題であり、自分の問題と他者の問題を切り離して考えることが大事だと思うようになった。

父はあからさまに、足音を大きくしたり、物の扱いを雑にして、ドアを勢いよく閉めたり、ため息を何度もついて、自分が不機嫌であることを周囲に気づかせる。そして気を遣ってもらいたい感を出す。

幼少期・学生時代の私は、父が不機嫌なときは予想だにしないことで怒られるため、ものすごく様子を伺っていた。
気を遣って、そんなの気づいてないよ、と明るく接してバカをやってみたり、なんとなく一人にさせないようそばについていたり、夫婦喧嘩が始まらないようにおどけてみたり…


あからさまに不機嫌でブルーな父がいるリビングで、気を遣いつつも、私は私だし。と、意識だけで気にしていないフリ、強いフリ、境界線を引いていたつもりになっていた。でも内心、音にビクッと反応して心臓がバクバクしたり、小言も永遠頭の中でループしたり、こんな雰囲気にしたお前が悪いんだぞと言われているような感覚で、テレビの芸能人たちの会話は全く入ってこない。
だが、先日は一刻も早く自分を守るために、部屋に篭り、ぶつぶつ「ああいう態度を出す人間は嫌い、ぐちぐち面倒臭い、自分の受け取り方の問題で私には関係ない」と言いながら、一人時間を作ったことが良かった。
心が揺れ動かず、心拍も一定。自分を守ってあげることができた。

意識化ではどうにもならない。物理的に父の言動や音が見えない・聞こえない環境を作ることが、こんなにも精神安定になると思わなかった。発見だった。
学生時代は自分の小部屋へ行ったら行ったで怒られるため、父と同じ空間でいかに自分を守るために家族の雰囲気を明るく保つかの方法しかなかった。


きっと父は軽い境界性パーソナリティー障害がある。たぶん。

でも私には関係ない。父に限らず境界線を物理的に引いて生きていく。
自分を守るため。もう自分で選んでいい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?