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【全文無料】ようこそ、次の世界へ(髙座創)

【カテゴリ】小説
【文字数】約14000文字
【あらすじ】
令和十一年……その年は暑かった。天皇陛下即位十周年の式典では、五月にもかかわらず最高気温は三十一度に達し、七月には練馬で観測史上最高となる四十六・五度を記録。東京を襲う猛暑。渇水。そして……。現実となるかもしれない"最悪の未来"を描くパニック災害ノベル。
【著者プロフィール】
髙座創(たかくら・つくる)。SF創作サークル『グローバルエリート』主宰。制作の進行管理や組版制作なども担当している。過去作に、『セリエント』『真愛なる君へ』『地球独生子女』『𝓢’』など。収録作一覧

※本作は2019年10月に販売された『TASK 令和時代』収録作の再掲です。

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 これは世界の秘密などではない。
 多くの研究機関が観測し、警鐘を鳴らし、そして、現在進行形で進みつつある現実だ。

「天皇陛下ーァ! バンザーイ!!」「バンザーイ!!」「バンザーイ!!」

 歓声が響く中、宮殿中央に現れた人影を木原が見ることはなかった。目に入ったのは雲一つない青空と周囲の人々が振る太陽を描いたこの国の旗である。自分が今どうなっているのか、朦朧とする意識は理解できなかった。直後、彼は卒倒した。

 木原は昨年、経済産業省を定年退職した元官僚だ。本人が思う大きな功績は、近年の国際情勢にも関わる重大な判断に加わったことである。だが、それは一番の仕事ではない。数十年前、入省して十年、当時、出向していた原子力安全保安院での決断、これこそが彼のもっと大きいこの星に影響を与えた業績だ。ここで外国人技術者が内部告発した電力会社による原子力発電所のトラブル隠しの調査に携わった。原子炉等規制法で当該企業の刑事告発も視野に入れていたものの、最終的に厳重注意にとどまった。その決断は木原一人のものではなかったが、後押しした人間の一人ではあった。無論、歴史にifはない。しかし、もし、ここでこの発電方式ときちんと向き合っておけば、その五年後の新潟の地震、そして、さらに四年後の東北の巨大地震で、原発を全て止め、代わりに石油とガスと石炭を燃やす発電で毎年一億二千万トン超の二酸化炭素、これは当時日本に近い人口を抱えていたフィリピンの年間排出量に匹敵する、その排出を防げたかもしれなかったからだ。
 そんな今日の暑さの遠因の遠因ぐらいの決定に関わったことを木原は全く意識もせず、ハンカチで流れ出る汗を拭った。彼自身の自己認識は国家繁栄を考える愛国心のある元官吏である。だから、その日は千代田区一番一号にいた。
 令和十一年の五月の大型連休は、三月からの暖春の流れを汲むように全日好天の予報が出ていた。多くの人に喜ばしい予想であるが、特に皇室ウォッチャーに望まれているものであった。新年と二月の天皇誕生日、その一般参賀の天気は生憎だったためだ。ただ、今年は即位十周年を記念し、即位の年同様にこの連休にも実施される。晴天は期待されていた。
 木原は現役時には山手線に程近い官舎住まいであったが、リタイアしてからは出身地である群馬県に戻っていた。そのため、遠路はるばる東京駅に着いたときには、午前中であったが良い時間になっていた。
 皇居を目指して歩くも、すぐに外苑の手荷物検査の長蛇の列に組み込まれる。

「暑いわねー」「そうねぇ」

 斜め前の日傘を差した老婦人たちが同じことを繰り返している。木原も同感だ。妻を連れてこなかったのは正解だった。ずっと小言を並べられていただろう。天候は想像以上に良く、ジャケットではなく帽子を被ってこればと後悔していた。昨日の天気予報では最高気温が二十三度と言っており、そんな格好をしていたのだ。だが、現在のシミュレーションベースの予想は季節外れの気候、特に風向きが関わる異常高温の予測は難しくあり、結果、不幸にも大きく上振れしていた。気象庁の面目のため補足すると、朝の発表では二十六度に改められてはいた。
 しかし、そんな予報を嘲笑うかのような暑さが、手荷物検査を抜けた先の二重橋が見えるか見えないかという皇居外苑にはあった。温度計があれば、ゆうに三十度を上回る値を示しただろう。というのも気温の計測は風通しの良い芝生の上で行われる。砂利敷きの広場、そこにごまんと人が密集し、炎天下に晒されている状況。それは温度を高める作用しかなかった。

 そんな環境にあることをつゆ知らず、好天過ぎて暑いという認識の下で、整然とした大群衆に組み込まれ、何もせず、ただ立って待つのに、どのくらいの時間が経っただろうか。ようやく木原たちのいる大きな列の単位が動き始めたとき、左側にいた先に入城した集団がいたところ、今は誘導前で空けてある、そこをとぼとぼと逆向きに歩く人影が眼に入った。自分よりもさらに年上に見える男性が若い救急隊員に手を引かれて帰っている。年なのに頑張るなぁ、と思う彼にも実は異変が起こり始めていた。大量に汗をかき、足に少ししびれが出ていた。それは明瞭な初期症状であったのだが、直射日光の下で立ち続けてたせいだと木原は考えていた。
 強い日差しの中、時折動く流れで一歩一歩踏みしめて、二重橋を渡り、一時間以上かけてくぐり抜けた門の先には、広場、宮殿、そして大群衆の姿が見えた。巨大なモニターには「次回のお出まし時間は14時00分頃の予定です」と映し出されている。少し水を飲みたい気持ちがあった。木原は後方に設営されていた水飲み場の長蛇の列を一瞥し、時計を確認する。水よりも見やすい場所を取ろうと決めた。
 宮殿前の広大な敷地は朝の通勤列車の中身がぶちまけられたようだった。いや、通勤列車の方が覚悟の上で日々乗る者たちだけであるが故、遙かに静かだ。ここにはそれに慣れていない人々が圧倒的に含まれている。

「押さないで!」
「痛いー」
「見えないー」
「前行けないから押さないでぇ!」

 混乱の悲鳴に混ざって、「税金払ってるのになんでこんなのなの」という甲高い声のクレームが耳に入る。木原はその言葉にムッとするも至極当然に無視を決め込んだ。納税の多寡だとか国家への貢献だとかなら自分こそ一等席に割り当てられてしかるべきである。だが、そうではないのがこの国の平等だ。
 それにしても暑い。頭も痛い。首から提げている一眼レフがずっしりと肩にのしかかる。ぎゅうぎゅうに押さえつけられ体が揺さぶられる。吐きそうな不快感を感じるが、こんな場所で吐瀉物をまき散らすわけにはいかない。グッと堪えたところまでが木原が記憶していたことだ。

 その日、宮殿の北側にある公園で測定されている気温は三十一度を記録し、東京での観測史上最も早い五月四日の真夏日となった。この影響で二百人超が脱水症状などの手当を受け、十人が緊急搬送された。

 ブルンブルンとエンジンを無意味に吹かし、地球環境に大型バイクで“圧”を掛ける遠山の姿がお茶の間に報じられなかったのは、そこが日本で、いや、世界でもっとも暑かった場所だったからかもしれない。

 五月は大型連休こそ連日夏日基準たる二十五度を超えていたが、以降は寒さが戻った日もあり、月の平均気温は平年並みよりやや暖かいぐらいであった。ただ、平年値は十年ごとの更新であり、現在使われている値は令和三年に改訂された観測史上もっとも暑いものではあったが。
 それに続いてやってきた六月は俗説的な意味での水無月だ。水無月の「無」は借字に過ぎず「水の月」という由来が有力である。だが、今年はまさに「無」であった。梅雨前線は日本南海上に停滞し、入りは遅れたかと思えば、雨らしい雨が降らないうちに明けたと発表された。
 災害級の豪雨が無かったものの平成最後の夏のようだという指摘は正しい。大気の様子は酷似していた。七月上旬にあの年同様に現れたのは、太平洋高気圧の上にチベット高気圧が重なる二層の構造。二段構えのそれは上空で雲を作らせず、地表に直接日光を届け、さらに熱を地面にとどめるように空気を下へと流す。つまるところ、この高圧の空気の層は日本列島がすっぽりと収まる灼熱の温室として機能し、二週間以上にわたって猛暑日に熱帯夜をもたらした。
 そして、一つのピークを迎える。

 物心ついた頃から遠山はアメリカが好きだった。その感情はジャパン・アズ・ナンバーワンと呼ばれていた時代に初渡米したときにも変わらなかった。アメリカは全てがデカい。人も家も車も全てが。そこに憧れを持ち続けた人生であったがゆえ、彼は巨漢のライダーとなった。
 暦の上では大暑とされる日曜日。その日、海外製バイクの愛好家が集まるイベントが練馬で企画されており、遠山は今日のために愛車を最高の状態に仕上げていた。
 自分の大型二輪はアメリカで百年以上前に創業された老舗メーカー製だ。排気量は軽自動車の倍を超え、荷物も何も人間の命を一つしか運べないのに燃費は悪い。おかげで都内を一時間も走ろうものなら、二酸化炭素を簡単に数キログラム吐き出す。これは呼吸で生じる百倍にもなる分量だ。もちろん、遠山はそんなことは気にもしない。アイドリング中のエンジン音を愛でるタイプの人間だからだ。
 だが、そんな遠山ですら、今日はその気分が萎えそうであった。朝の予報は全国で観測史上最高気温が更新される可能性を報じていた。だからと言って、涼しげな格好をするわけにはいかない。バイクは基本的に熱く、半袖短パンで乗れるような代物ではない。排熱で火傷してしまう。それにそんな服装は見栄えが悪い。ジーンズに革ジャンが正統なアメリカンスタイルだ。そう考えている遠山はいつも通りにしっかり着込んで出発したが、家を出て五分でUターンして帰りたくなっていた。
 バイクにもちろんエアコンはない。速度で冷やされる乗り物だ。だが、今日は全くそんなことはない。まるで、サウナの中を走っているようであった。

「暑い」

 アイドリングで脈動するエンジンからの熱が下から伝わってくる。前で信号を待つ緑ナンバーのステーションワゴンの排気ガスがこちらへ漂う。太陽は厳しく照りつける。ヘルメット内で蒸れた髪の毛の中からしみ出した汗が顔面へと垂れる。バイクに乗るのには最悪の環境だ。
 それもそうであった。高温注意情報が発令され、不要不急の外出を控えるようにと呼び掛けられていた。故に全国のエアコンは前日よりも外気温が五度以上高いことからより激しく使われ、家庭内での娯楽として多くのテレビやパソコンの画面が灯されていた。その電力は、恒久的な定期検査が終了しない原子力発電所でもなく、雨不足で利用を控えられている水力発電所でもなく、気温が一度上がるごとに〇・四パーセントの出力低下を起こす太陽光発電所でもなく、とにかく、動かせば電気が手に入る火力発電所、それも予備扱いの熱効率の悪い旧式のものも含めたフル稼働で賄われていた。
 熱さから文明を守るため、室外機とボイラーが温室効果ガスを吐き出して頑張っていたのだ。

 天然高気圧と人工火力の合わせ技一本で灼熱空間が作り上げられていることは知らずに、遠山は正午過ぎに練馬に到着した。新宿や池袋の外側だが、逆に言えば東京西部で最も都心に近いここは、現在再開発計画が進み、高層の建物が増えつつある。影響を真っ先に受けたのはアメダス観測所だ。風通しの悪さから正確な観測が難しいとして、もう十五年も前に移転していた。だが、その引っ越し先ですら、この時間に四十度を記録した。
 では、観測には適さないとアメダスが捨てた場所、ちょうど遠山がいる辺りはどうだったのか。彼の多機能腕時計は外気温を測ることができる。ふとそれを見た遠山は驚く他なかった。

 四十三・五度。

 とんでもない測定値に頭がクラクラする。ちなみにこの数字は正しくはない。温度計の精度の問題もあるが、腕時計に取り付けられているという特性上、装着者の体温に近い値を返すのだ。つまり、気温が体温よりも寒いときは高く、暑いときは低くなる。そう、実は表示以上にここは暑かった。

 午後一時。暑さは厳しさを増す一方だが、イベントが開かれる公園横の駐車場は活況を呈していた。来るときはサウナのようだ最悪だと思っていた遠山であったが、友人に会ってからは「アリゾナ州のルート66を走ったことを思い出すよ。まあ、ここの方が湿っているけどね」「アメリカが好きなバイク乗りは今日こそ外を走るべきだね」と気候を受け入れたかのように喋っていた。そんな馬鹿話に花を咲かせていると、イベントの代表が大声を上げる。

「カメラ入りまーす」

 そして、映りたくない人は指定の場所から移動するようにと続けた。とはいえ、テレビの取材自体は以前から決まっていたことであり、ここの入場時にも説明されたので、ほとんどはその場にとどまっていた。

 レポーターとカメラマンの二人組は、映る側に残った遠山のちょうど目の前に陣取った。最初に撮るのはイベントそのものではない。まずは今日の天気と絡めた短いインタビューをさせてくださいと彼らは言った。列島各地の様子、みたいなものに使われる奴だ。
 自分を背景に撮影が始まる。

「今の時刻は午後一時二十分。ここの気温はなんと四十六度にもなっています」

 液晶表示の大きい温度計をカメラに向けながら続ける。

「こんなに暑い中ですが、こちらでは大型バイクの愛好者が集まっています。少し話を聞いてみましょう」

 レポーターはまず遠山の方に向かってきた。事前に暑さに立ち向かう感じでとお願いされた通り、エンジンを吹かせるようニュートラルになっていることを確認する。

「今日のお天気どうでしょうか?」

 いかにも「暑いですね」と答えさせたいであろう質問に素直にそう応じようとした瞬間だった。レポーターの隣に立っていたカメラマンがぐらつき、その場にバタンという音を立てて倒れた。

「片野さん!?」
「大丈夫か!!」

 周囲の人が一斉に集まる。どう見ても熱中症だ。駐車場は公園に隣接しており、そこまで運べば日陰がある。だが、彼の顔色はどんどん悪くなっていく。

「これはヤバいぞ」

 誰かが既に一一九番にかけていた。

「一番近い病院、ここから四分だ!」
「救急車待つより、乗せる方が早いぞ」

 二人乗りが出来るほど大きなバイクが揃っているこのイベントだからこそ出た案だ。ただちに有志が募られる。先導車、熱中症のカメラマンを運ぶサイドカー付きバイク、レポーターと二人乗りするライダー、さらに後ろに万一のトラブル対応に二台が続く。
 遠山は最後尾だ。残りのメンバーに見送られて、自分含めた五台が出発する。来たときと同じく風は無い。とにかく熱く重い空気の中を移動するだけだ。前方を走る車両の排ガスの滞留を感じる。

「こんな日に外にいてもろくなことねえな」

 過去最悪のツーリングに遠山は一人本音を愚痴った。

 晩のトップニュースは日本での最高気温が練馬で更新されたというものだった。午後一時五十分、四十六・五度が強制通風筒で機械測定された。これは関東大震災の翌日、大火災による熱気で記録された非公式な観測値をも上回る。
 続けてその時間の練馬の様子が流された。高温を示す温度計が映され、バイクに乗った男性へインタビューをしようと一言質問がされた直後だ。カメラの向きが一気に崩れ、混乱した音声だけが響く。映像の乱れは暑さでカメラマンが倒れたためで、取材先の協力で命に別状は無かったとキャスターは締めくくった。
 この日も熱中症で多数の搬送が行われた。故に適切な対策として、涼しい場所にいることと適度に水分補給をすることが呼び掛けられていた。だが、実はその片方が失われつつあることに、まだ、ほとんどの人々は気づいていなかった。

 桜井はタワーマンションを買ったことを初めて失敗だと思った。十リットル入る折り畳みポリタンク、つまり、満水でちょうど十キロとなる、それを二十三階まで、もちろんエレベーターを使ってはいるが、タンク・トゥ・ドアの徒歩距離を、子供を抱えつつ、彼女の細腕で運ぶことになったからだ。

 最高気温の更新に隠れていたが、天候の異常さは温度だけでは無かった。三月から恵まれていた好天は、四月も五月も同様であり、そして、空梅雨である。それは融雪の終わりが早く、また単純に極端に雨が少ないことを意味していた。
 六月下旬、利根川からの十パーセントの取水制限が発表された。十三年ぶりではあるが、久しぶりではない。令和二年に八ッ場ダムが完成して九ダム体制になって初めての異常事態であった。そのような制限は利根川水系の貯水量の十六パーセントを占めるこの新しい巨大ダムが空にならない限り、だからこそ人口減少による水余りが予想され反対運動が起こっていたわけだが、あり得ないと考えられていた。
 だが、雨が降らなければ、必然の事象である。とはいえ、取水制限は浄水場への対応に過ぎず、家庭に何も影響を与えず、よって、本当の深刻さに人々が気づいたは史上最悪の猛暑を乗り越えた八月に入ってからであった。

「れいちゃん、暑かったわねー。もう大丈夫よー」

 午前のお散歩から帰ってきた桜井は、玄関扉を閉めるとすぐに、抱いていた生後半年の長男にそう話しかけた。先日また買ってしまったかわいらしい子供服をママ会で自慢してきたのだ。彼女は現在育休中である。部分的に給与も出してくれる良い会社だ。外資金融勤めの旦那を捕まえることができた桜井は、自分のライフプランきちんと考えてきたと自負していた。
 故に、二十四時間空調が誰もいない全面ガラスのリビングを適温に保つのにどのくらいエネルギーを使っているかを考えたことはなかった。次々買っている衣類を作り出すファッション業界が排出する二酸化炭素は、この十数年で五割超増え、アメリカで走っている乗用車が吐き出す分量と等しいことも知らなかった。パワーカップルであったがため、二人の職場へのアクセスから選んだ臨海のタワーマンションが、都心への海風の防壁として、ヒートアイランド化を進める一因となっていることは、想像だにしていなかった。
 そんな桜井が水不足を明確に認識したのは八月に入って間もなくの朝のニュースである。それは平成六年渇水以来三十五年ぶりとなる、都内における給水制限の開始を報じていた。噴水やプールの中止、イベントや祭りなども中止、病院では入院患者の入浴回数が制限。そして、消防出動を抑えるために焚き火やキャンプファイヤーの中止がお願いされていた。
 だが、桜井はうちは関係ないと思っていた。水道料金は使った水の分量に対して掛かる。なら、必要な分だけ蛇口を空けておけばいい。なんせ今は育休中で家にいる。十パーセントの給水制限と言うことは水を得るのに一・一倍ほど時間を掛ければいいだけだ。
 同じ考えの人が多かったのか、それとも単純に水が足りなかったのか、結局、二週間ほどで給水制限の度合いは強められた。それが彼女の悪夢の始まりであった。

 給水制限が始まってもいつも通りの日々を送っていた桜井は、エレベーター内でデザインを完全に無視したどぎついカラーリングのポスターにギョッとした。絶対に見落とさないようにと強調された張り紙は、赤背景に大きな黒文字の見出しで『給水制限のお知らせ』とあった。水道局がさらに減圧するため、水がかなり出にくくなるという告知だ。

「えーまだひどくなるの」

 桜井はそう呟きつつも、もっと蛇口を開きっぱなしにしないと、と考えていた。掲示には加えて、給水車のスケジュールが続き、『ポリタンクが使えるかを確認を!』と大きく書かれていた。「そういえばなかったわね」と彼女は抱っこ紐で支えられる息子を撫でてから、念のためにと、スマホを取り出し、ネットショップで折りたたみポリタンクをその場で買った。この判断は半分正解だった。なぜなら、数時間後にはベストサイズはほぼ売り切れていたからだ。

 減圧が始まったのは、幸か不幸かポリタンクが届いた翌日であった。
 朝、洗面台の蛇口をひねっても水が出なかった。「えっ」と声を上げつつ、台所から風呂場まで全てを確認するも、一滴も出なかった。

「うそでしょー」

 そう嘆きつつも思考停止はしなかった。洗い物ができないことから、普段使いの物よりも二酸化炭素の排出量が数百倍となる紙製の容器を食卓にテキパキと並べていく。
 いつもよりも使い捨てな朝を過ごして、旦那を送り出す。洗濯はできないため、着ていた寝間着代わりのTシャツをチェック。五年間で飲む分量に相当する膨大な水を使って作られるそれを、ヨレに気づいて寿命には少し早いがゴミ箱に入れる。そして、日焼け止めを徹底して外出の準備だ。水を貰うこと自体より、これが何日続くのか、その終わるまでの期間、自分が続けられそうかを知らなければならない。
 息子を抱いて早めに向かったエレベータホールは、この階の住人でごった返していた。挨拶をして、とにかく困ったと口々に言う。やってきたエレベーターの半分は満員で、皆ポリタンクを持っていた。周りも同じだと安堵した桜井だったが、何分も待って地階に下りて、わかったことがあった。混雑している乗り場は中層と高層の前だけなのだ。
 基本的に水道水は給水所からの水圧によって届けられている。当然、高い建物は上層階ほど水が出にくくなる。それを解決するのが増圧ポンプだ。一定階ごとに設置し、圧力を高めることで最上階でも水道が使える。これが彼女の住む一般的なタワーマンションで採用される多段ポンプによる直結増圧給水方式であった。とはいえ、増圧にも当然限度はある。渇水時の減圧による給水制限、十パーセントでは大丈夫であったが、より大きな制限がなされた現在、出水不良を起こしていた。そう、ここで水が流れていないのは一八階以上だけであった。

 歩くこと数分。タワーマンションが林立しているこの地域のどこからも均等に離れた広場に給水車は来ていた。そして、既に長蛇の列ができていた。八月下旬の太陽は当然休みを知らない。直射日光は激烈な強さで照りつけ、気温も三十五度を超えていた。暑さの中、子供のぐずる声だけが響く。その奇妙な静かさは近所付き合いが消滅して顔見知りが少なく、一方で若い家族が多いというタワマン群特有の事情ゆえだ。
 そんな場所で、桜井は息子をあやしながらも周りを見て、自分の対策が及第点であることを知った。折りたたみの台車を買えば良かったのだ。もちろん、それらは既にネットでは売り切れていたのだが。

「貴重な水です! 無駄にしないよう、こぼさないよう、お手持ちの容器を置いてから蛇口の開閉をしてください!」

 水道局の職員が声を張り上げた。
 前に並ぶ人がいつ水道が復旧するのかと尋ねる。

「申し訳ない。お天気次第としか言えません。今年は梅雨も短かったですし……」

 その言葉を聞いて、桜井は天を恨めしく睨もうとして、まぶしさで止めた。自分の番が来る。広げられたポリタンクを給水車から伸ばされた仮設の水場の蛇口の下に置く。ひねると水が出た。半日ぶりだろう。
 気持ち良い音を立てながら水がたまる中で、見落としていたことに気づいた。十キロのものを最後に持ったのはいつだろうか。息子はまだ八キロだ。おそらく妊娠前のフィットネスクラブでだと思う。ただ、二つ合わせて十八キロとなると人生でどのくらい運んだか危うい。旦那を呼び寄せるか? 今日一日なら良いだろう。今週一週間でも頼めばやってくれるはずだ。だけど、雨が降るまでこの生活なら、今日は少なくとも自分ができるかやってみなくてはならない。
 そう思って持ち上げる。
 腕がちぎれそうだ。実家に帰ろうと桜井は決めた。ただし、両親が住む東京西部は高台で、同様に水圧が足りずに給水車頼みの生活になっていることを、彼女はまだ知らない。

 この断水は都内に暮らす一千万人近くに多大な影響があり、水を求めて盆休みに帰省したままの人も少なからずいたぐらいだ。ただ、それ以上に周辺県の農畜産物への被害が大きかった。生産減は都民の栄養状況に明らかにネガティブに作用し、加えて、手洗いの徹底が困難さから食中毒が多発した。
 だが、これらの影響は人々の記憶から薄れることになる。それはこの給水制限を緩和した、しかし、甚大な災害をもたらした台風七号のためであった。

「おい、マジかよ……嘘だろ……」

 福島は一人きりの部屋で呟いた。ベッドはまるで空を飛ぼうと言わんばかりに、福島と天井の距離を縮めていた。

 東京では観測史上最長の二十四日無降水継続日を記録した。これは暖候期の記録を六十七年ぶり、寒候期の記録すらも七十三年ぶりに塗り替える最長記録で、大渇水の直接要因でもあった。
 とはいえ、大きなパニックにはなっていない。幸い西日本は水不足ではなく、そのため一台辺り二万本弱の五百ミリリットル入りペットボトル飲料が運べる大型トラックによる東京大阪間のピストン輸送が行われていたからだ。一台の輸送で四百九十七キログラムの二酸化炭素が排出される、なお片道なので帰りでさらに多少増えるのだが、背に腹は、油は水に代えられない。
 福島はこのような大変な事態だからこそ、仕事をきちんとこなそうと思っていた。勤め先は日本で最も使われているスマホアプリの一つを作るスタートアップで、自分はエンジニアの一人だった。
 本社オフィスは丸の内にあるが、福島はあまり出社しない。家から最寄り駅まで歩くのも、駅からオフィスまで、こちらは地下街だが、歩くのも好きではないからだ。特に夏場は。彼はリモート勤務制度を最大限に活用し、必須のミーティングがない日以外は家にこもっていた。

 福島の自室は今夏も最高の環境だった。ネット通販でペットボトル飲料を大量購入していたお陰で自由に飲め、世間で使われているコンピュータよりも遙かに高性能な計算装置が搭載されたマシンも四十インチ超の曲面ディスプレイで快適に使え、それらの排熱が存在しても人間の効率性だけを追求した外気との差が十度以上もあろうかという温度設定を実現すべく冷房が最大限に効いていた。
 温暖化とか十分に対策したら関係ない、そう考えている福島は、『この記事は最新の出来事を記載しています。情報は出来事の進行によって急速に変更される可能性があります』と冒頭に書かれていたネット百科事典の『2019年の猛暑(日本)』や『令和十一年渇水』で多くの人が亡くなっている、例えば、その中には十分な費用をかけることができない社会的弱者が含まれている、という事実を理解していなかった。それどころか、彼が選び取った生活は日本人の平均的な環境負荷の倍近く、つまるところアメリカ人並のエコロジカル・フットプリントで実現されていた。もしも、全人類がその暮らしをするならば、地球が四個あっても足りないことをわかっていなかった。

 台風が来る。ニュースをあまり見ない福島であったが、熱帯低気圧が超巨大規模に成長しつつ迫っているのはさすがに知っていた。大雨での通勤は辛いし、鉄道が運休となれば帰宅は難しくなってしまう。それゆえ、全てのミーティングを事前調整することで、彼は早々に自宅勤務を決めていた。
 台風七号、そう、まだ今年発生した七番目だ。例年なら、九月に入れば十数号にまで達していただろう。だが、このような事象は既に二十年近く前に予想されていた。全球大気の高解像度メッシュモデルは、温暖化の進行による上昇流の弱化から台風の個数が減る一方、最大発達可能強度の上限が上がるため、一度発生した台風は激烈なものになると示していた。
 その推測を裏付けるのが台風七号、台風委員会による名称では日本が提案したヤマネコと名付けられた発達した熱帯低気圧である。この雨雲は中心気圧九百ヘクトパスカル以下の超大型の猛烈な台風として、渇水下の関東への上陸が予想されていた。

『また、通勤回避圧倒的勝ち組になってしまった……。負けが知りたい』と匿名SNSに書き込んでから、福島が実際の風雨を見たのは四時間後であった。いつも通りに起床は遅くお昼前、遮光カーテンは閉めっぱなしで、栄養補助食品を食べるだけですぐにパソコンに向かい、ノイズキャンセリング機能付きヘッドホンでお気に入りにアニソンを爆音で流し、没入状態で仕事を始めたためだ。
 四時間後の午後三時過ぎ、カーテンに隙間を作り、リアルとの一瞬の邂逅を果たした福島がやったことは、気象情報への注意などではない。『めちゃんこ雨降りすぎワロタ』とSNSで発言し、これで水不足が解消するといいなぁという思いから、十年前に公開された東京で永遠に雨が降り続けるアニメ映画を作業用BGVとして流すことだった。
 この再生は手元のパソコンとは別の自室設営のプロジェクター投影であり、二時間で三百二十グラム、同じ時間稼働させたノートパソコンの六倍以上の二酸化炭素の排出で実現されていた。
 他人の数倍は成果を出しているという自負があってこその、このような自宅勤務、このような集中スタイルであった。そして、それは福島が公的な放送を聞きそびれる要因となった。

 午後五時、BGVを流し終えた彼は、予告されていた運休に戸惑う利用者を揶揄する発言をSNSで行った。だが、そのネット空間にとどまらずに、すぐに仕事に戻った。出社していた社員も多くが帰り、社内チャットも静かであったことも相まって、次の新機能のための設計ドキュメントに集中して取り組めたからだ。
 それらの事実を経て、福島がヘッドホンを外したのは午後八時頃であった。そのとき、彼は初めて、それは日本製の最高のノイズキャンセルで二時間打ち消されていた区の公共放送を耳にした。

『足立区災害対策本部です。本日午後六時十分、東京都に大雨特別警報が発表されました。これを受けて、千住、新田、宮城、小台全域に避難勧告を発令します。最寄りの避難場所は――』

 サイレンと共にずっと大音量で流れていたはずのそれを福島は聞き逃していた。急いでカーテンを開け、そして、雨が激しく打ち付ける窓を慌てて開く。

「嘘だろぉ……」

 そう呟くほか無かった。
 彼の自宅は低層アパートの二階である。そこから見えるいつも使う道路は既に一メートル近い深さの濁流に飲み込まれていた。後に公式発表された北千住駅北の堤防の決壊は、この二分前に起こっていた。

「シャレになんねぇだろ」

 水嵩は徐々に上がっているようだった。雨の吹き込む窓を急いで閉める。水滴が恐ろしいぐらいにガラスを叩く。

「これマジで死んじゃう何秒前ってやつじゃねえの」

 そうぼやきながら、福島は貴重品やら服装やらを整える。その間に電気が消える。一層慌てて準備を終えて、出ようと扉を開けた瞬間、玄関の三和土を埋めるぐらいに水が浸入してきた。

「マジかよ、逃げらんねぇだろ……」

 急いで窓側に向かう。数分前とは違う、二階であるはずの自室が一階かのようになった光景が広がっていた。川底にたまり続けたヘドロと処理しきれず垂れ流された下水が混ざり合った、どうしようもない臭いが漂ってくる。

「ダメだ、逃げらんねぇ」

 カッパ姿の福島は一歩後ずさる。部屋の床にも湿りを感じる。とっさに高価な計算装置が搭載されたマシンのケーブルを引っこ抜き、テーブルの上に持ち上げる。
 一階は完全に水没していた。北千住は荒川と隅田川の合間の、風呂の水に洗面器を浮かべて押し込んでいるような、海抜以下と知られる地域である。堤防が決壊すれば、たかだか数メートルの高さに過ぎないところがどうなるかはハザードマップでも強く警告されていた。

「逃げらんねぇよ……」

 濡れない場所を求めた末に、福島は土足でベッドに避難していた。だが、そこの安定は失われつつあった。部屋を満たそうと水は止まることを知らず入ってくる。あと数十センチばかり水かさが増せば、机の上に移動させたパソコンすら沈むだろう。
 泥水がさらに窓から流れ込む。「うっそだろ」と誰に言うでもなく呟いた。一気に水位が高くなり、あっという間に天井に近づいた。このままでは部屋に閉じ込められる。水を掻いた福島の手は水没しつつある高性能計算機に当たり、押して、勢いが付いた。
 彼を乗せる金属パイプ製の方舟が開け放たれた窓から世界へと旅立つ!
 だが、次の瞬間、ベッドは不意の濁流に飲み込まれた。

 江東五区、それは全体が低地であり、堤防決壊の状況によっては過半が二週間以上水没すると予想されていた。その想定に比べれば、荒川と隅田川の中州たる千住のみに被害が収まったのは僥倖と言える。荒川右岸低地氾濫の被害想定で区域内人口百万人超、死者二千人とされていたのが、五万人程度の場所で、死者も少なく三十八人で済んだからだ。
 それはフィクションと比べて遙かにハッピーだ。だが、我々は理解した。東京を水没させるのに数年ものやまない雨である必要はない。稀ではなくなった巨大台風が、首都の下町を直撃し、堤防をちょっと痛めつけてやるだけで簡単に汚泥に沈められるということを。
 故に、これから始まるのは高コストな防止策だ。それをするのが幸福かは誰にもわからなかった。

 令和十一年九月二十五日。この日、気象庁の今冬の平均気温や降水量の予想である寒候期予報の発表がある。その注目度は例年以上に高かった。先日に起こった荒川決壊を伴う台風七号被害をはじめ、今年は異常気象と言える年であったからだ。
 気象庁の担当者が一礼と共に会見場に入ってきて、フラッシュが焚かれる。

「令和十一年十二月から翌二月の特徴ある気候は、平年よりもやや暖かく、晴天に恵まれるでしょう」

 内容は民間の気象予報で予想されていたものだ。だが、国の公的機関の発表となると、それは強いニュース性を持つ。会見はフラッシュの連写と共に切り抜かれ、暖冬、水不足は継続と報じられた。
 とはいえ、多くの人は願っていた。気象庁はこの夏の異常な猛暑を、これは昔と同じく、的中させることはできないでいた。だから、予想は外れ、願いは通じると思われていた。

 お願いです、どうかいつも通りの落ち着いた天気にしてください、と。

 だけども、世界はその願いを叶えない。なぜなら、もう既に一つの願いを叶えていたからだ。この変わってしまった世界の天候は、決して誰か一人の、そういう願いなどではない。みんなの、今日よりも明日の方が良くあって欲しいという長い年月を掛けて望まれたものだ。

 そうして作り上げられた文明の対価なのだ。産業革命前まで280ppmであった二酸化炭素濃度は、二〇三〇年を目前に440ppmに至った。それは二百年足らずで二兆トンもの排出が行われたことを意味する。これは人類が温室効果ガスに注意を払うようになって以来、予想されていた最悪のペースでの増加に等しかった。

 日本の気象庁の発表と同時刻、アメリカの南極観測隊の大型ヘリコプター、重量辺りの二酸化炭素排出量は小さいとメーカーは主張している、は世界で最も大きい氷棚の上空を飛んでいた。それはこの十年で拡大した何百キロにも渡る亀裂を観測するためだ。もう間もなく、去年から言われていたのだが、崩壊すると見られていた。

「あれではないか」

 観測歴の長いベテランが指さした先には、裂け目が広がる光景があった。UTF+12、日本時間より三時間早い現地時間午後三時過ぎ、ロス棚氷から観測史上最大となる氷山、その大きさは十二年前に崩壊したラーセンC棚氷から分かれた三倍、日本列島の四国に匹敵する、そんな氷の塊が大陸から分離した。
 音は何もしなかった、ただ静かにこの気候を受け入れるように氷は崩れた、というのがヘリコプター搭乗者の弁である。それは、南極三千万年の歴史を、人類四百万年、特に産業革命以降の二百年が、静かに屈服させた瞬間だった。
 もう自然に打ち勝った人類を止めるものはない。来年も、熱い夏になる。そう、来年も。きっと、再来年も、その次も。

 令和が発表された直後、二酸化炭素濃度は人類が地球上に存在して以来初めて415ppmを超えた。それは後戻りができないと予想されていた400ppmを優に上回る値だ。

 次の世界を夢見る僕らの今は、まだ暑くない。

(了)

収録:TASK 令和時代(グローバルエリート)

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