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自己肯定感について

自己肯定感について、改めて考えてみました。

「ありのままの自分も肯定すること」が自己肯定感だと思います。

しかし、それを突き詰めて考えると、他人には隠したいようなマイナスな面のことも、「ありのまま」は含んでいます。

そういった負の部分も肯定して初めて、自己肯定感を上げることができるのだと思います。負の部分が認められないと、常に「〜しなければならない」といった縛りを自分に課しているようなものなので、緊張状態が解けませんし、その分、プライドも高くなります。他人に対しても厳しい目線を向けてしまうので、不満を抱えやすいパーソナリティも形成されてしまいます。

例えば、疲れが溜まっている時、それを肯定できなければ、疲れを感じないように振る舞い、元気な自分を演出します。ただ、誰にでも限度はあるので、いつかは疲労を誤魔化せなくなり、倒れます。他人に対しても、疲れやすい身体が弱い人に対して、厳しく当たったりもします。「そんなことで怠けるな」と他人を叱咤したりします。

誰かに対する怒りも、もし「人に怒ってはいけない」という縛りがあれば、その怒りを肯定できないので、優しい自分を演出しながらも怒りを溜め込んでしまうので、精神的におかしくなってしまいます。何かに怒っている他人を見た時に、その他人のことが異常なほど許せなくなります。

また、悲しい気持ちになってはいけないと、それを押し殺せば、元気なフリはできますが、悲しみを癒すことにフォーカスが当たらないので、いつまでも悲しみは癒えません。他人が悲しんでいても、「そのくらいで悲しむな」と他人の痛みに寄り添う情緒を欠いた言動を取ってしまったりします。

そのため、そのマイナスな部分を肯定して、現状把握するからこそ、それに対して具体的な対応策を講じることができるにも関わらず、それを肯定せずに押し殺してしまうことにより、いつまでも適性な対処をすることができないので、心身ともに健康を害することになるのだと思います。

具体的な対処を考えると、疲れが溜まっていれば、きちんと休養を取ればいいし、それでも疲れやすいなら、整体や病院に行ったり、体質改善をすればいいんです。もしかしたら睡眠時間が足りてなかったり、ビタミン不足かもしれません。

もし誰かに対して怒りがあるのであれば、何か不満があるということなので、その不満を解消できるように、誰かに相談したり、ストレスを解消すればいいんです。もしかしたら、その人に期待しすぎなのかもしれませんし、自分が無理をして、その人に労力を使いすぎているだけかもしれません。怒りを肯定するからこそ、怒りが発生したら〇〇すればいい、といった対処法を身につけることができます。

また、もし悲しい気持ちがあるのであれば、それを癒せるように、いつもよりも自分に優しくすればいいんです。少し仕事をセーブして、趣味を充実させたり、旅行に行ったり、場合によっては、カウンセリングなどを利用してもいいかもしれません。

いずれも、それを押し殺さずに肯定するからこそ、いろんな対応策が、考えれば考えるほど思い付くんですね。

しかし、それを肯定できずに押し殺していると、問題が先送りになるだけなので、いずれは限界がきて、心身ともに不調となってしまい、その行き着く先が、適応障害やうつ病なんだと思います。(私は、適応障害・気分変調症の経験者で、現在は双極性障害の治療中で、寛解に近づいています。)

さらに、そういうマイナスな面を肯定できないということは、プラスな部分だけを意図的に演出するということなので、他人からすれば、いつでも元気なように映ったり、完璧主義だったり、プライドが高いように思われてしまう可能性が高いので、それが問題を深刻にさせるようにも思います。

ということで、自己肯定感を上げるというのは、そんなに綺麗なことじゃなくて、泥をすくうような、自分が蓋をしてきた臭いものを引っ張り出し、それを食べるようなことなので、かなり抵抗感がありますし、時間もかかるんですよね。

また、そのためには、幼い頃から植え付けられた思い込み、例えば「優しくなければならない」「感情的になってはいけない」「優秀じゃないといけない」とか、そういった自分に課している条件みたいなものを解く必要もあるので、なかなか一筋縄じゃいかないんです。

ただ、それをしていけば、きっと楽になれるし、生きやすくなるので、地道にやっていくしかないんじゃないかと思っています。

最後までご覧いただき有難うございました。




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