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我慢と放置は紙一重

例えば虫歯が痛い時。その痛みを我慢して歯医者に行かなかったら、どんどん虫歯は悪化して、痛みも酷くなります。

それを「我慢強くて偉い!」と思いますか。思わないですよね。むしろ「さっさと病院行って治せばいいのに」と、私だったら思います。

なぜかというと、虫歯の痛みは我慢していても、病院に行くといった対処は先延ばしにしているので、冷静に考えると、それは我慢でもあり、放置でもあるからです。

そして、病院で治療をしてもらう時の痛みを堪えるのは、目的があるので「忍耐」です。この使い分けを意識することが大切な気がします。

これをメンタルに関する病気に置き換えて考えてみます。

例えば、夜なかなか寝付けなくて、肩こりも酷く、朝は吐き気がする。いつも自分のことをダメだと考えるし、自己肯定感が低く、思い込みが激しい性格をしている。

そういう状況を「辛い」「悲しい」と思ってるだけで何もしなかったら、それは「我慢」をしていて、一見可哀想な気もしますが、「放置」しているという事実も忘れてはいけないと思います。

病院に行ったり、カウンセリングを受けたり、会社を休んで体調を整えたり、そもそもの生き方や考え方をシフトしたり、無限にやることはあります。

そのような対策や工夫をしないで我慢をしているだけでは、決して物事は解決しないと思います。「涙の数だけ強くなれるよ」なんて歌がありますが大嘘です。誰かに拉致られて拷問されて泣き続けたら最強になれますか。なれないですよね。

目的もなく、解決に導く行動もせずに、苦しみにじっと堪えることは、偉くも何ともないです。何度も言いますが、それは、我慢でもあり、放置でもあるからです。

また、誰かが助けてくれる、誰かが愛してくれる、誰かが優しくしてくれることなんて、初めから期待して、我慢をして待っているだけではいけないんですね。それでも、愛情不足のまま育つと、誰かに愛してもらうことを無意識に望んでしまうので、人生の苦しみに対して、受け身になってしまうという傾向性があるように思います。

ですので、いつかは両親を含めて、誰かに愛してもらうことを、優しくしてもらうこと、問題を解決してもらうこと、誰かに助けてもらうことなどを諦めることが必要になるのではないかと思います。他人に期待をせずに諦めることが大人になることの通過儀礼とも言えると、私は考えています。

結局、一番コスパがいいのが、それを全て自分で自分にやってあげる。自分に優しくして、自分を助けて、自分を愛する。そうすれば、そういうことをしてくれなかった親や周りの大人に対する怒りも鎮まりますし、他人に期待をしないので、良好な人間関係を形成することができます。それが、一番重要な対策だと思います。

こんな偉そうなことを言っている自分ですが、30歳目前で適応障害になり、その後、双極性障害になり会社を1年以上も休職しているし、躁状態の時に作った借金があるし、睡眠薬をオーバードーズしたこともあります。そういう時代を経て、今の考え方があります。

その時代は、そんな愛情不足の子ども時代を過ごさせた親のことを恨んだり、休職した罪悪感があり、休まないでTOEICの勉強をしようとしたり、寝れないのに睡眠剤を飲まないで夜更かししたり、いつまでも自分を攻め続けて自暴自棄になったりしていました。(希死念慮もなかなか拭えず、自殺する予定の公園に車を停めて半日粘ったけど、結局行動に移せなかった臆病者でもあります。)

そんな時代を2年くらい経て、ようやく医者に言われた通り、きちんと睡眠時間を取りましたし、自分を責めそうになる考え方を変えようとしたり、筋トレをしたり、本を読んだり、noteに書く中で考え方を整えたりしました。オーバードーズした後は、妻の協力のおかげで病院を変えることができ、お医者さんとの相性も良かったですし、認知行動療法もしてくれたので、それも効果的でした。治すための対処を実行に移すことができたんですね。

その結果、「愛されたい」「優しくされたい」「助けられたい」という願望に対して、「自分で全部やっちゃえば良くね?」という思考になりました。それにより、ようやく自立できた感じもあります。また、「全部自分が悪いわけじゃなくね?」と、全て自分が悪いと思う思考からも抜け出せたと思います。

これは心のどこかで、我慢をしているだけで、いつかは治ると思って放置していたから、しばらくの間、体調が悪い日々が続いていたのが、きちんと向き合って、ちょっとずつ対処を実行に移したらから、その苦しみが「我慢」ではなく「忍耐」に変わり、ストレスに対するレジリエンスが高まったのではないかと思っています。

簡単にいうと、「苦しみ」に我慢をしているだけで、その「苦しみ」を減らすための対処を先延ばしにして「放置」していたから、いつまでも苦しみは癒えなかったのですね。

その後、誰かに治してもらうことを諦めて、「苦しみ」を減らすための対処を自分自身で実行に移したことで苦しみが減り、尚且つ、「もっと人生を楽しみたい」という目的が生まれたので、生きる苦しみ自体は無くならなくても、「我慢」が「忍耐」に変わり、苦しみも耐えられるようになったということです。

我慢と放置は紙一重というお話でした。最後までご覧いただきありがとうございました。








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