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あわいのまにまに――忘れてはならないこと

 拝啓

 お彼岸を迎えるというのに、なんという暑さでしょう。
 とはいえ、河岸の桜の木は黄色い葉を落とし始めていました。秋は夕暮れ、と申します。確かに日差しの指す角度が変わり、日も短くなってきました。暑い暑いと言っているうちにも、季節は確実に巡りくるようです。

 お手紙をいただいてから早いものでひと月以上が過ぎました。お忙しい日々をお過ごしとのことでしたが、お元気でいらっしゃいますか。
 お返事が大変遅くなりまして、申し訳ありません。

 あれから「あわい」について思いを巡らせ、再び竹内整一の『「おのずから」と「みずから」——日本思想の基層』を読み直してみました。前回のお手紙では、どうにも腑に落ちなかったと記しましたが、読み直してみるとなにか次第に竹内氏の懸命さが伝わってくるようで、なるほど「たましい」のありかが、「おのずから」「みずから」の相関の「あわい」に存在するということが、まるでクレープの生地を重ねるように沢山の事例を重ねながら丁寧に紐解かれていることに気づき、やっと少し理解できてきたように思います。

 特に「やまとことば」をめぐる考察には「たましい」に触れた項があり、歴史や宗教の観点からも、日本人の「たましい」に関する意識が、それまでも「個人格」を持つようなその人固有の部分と、どうにも已むに已まれず遊離してしまうものとして捉えてきたものが、無常という「諦念」に触れることによりさらに大きな自然の一部としての捉え方によって補強されるに至った経緯が述べられており、それを竹内氏はこうまとめています。

 われわれの「みずから」は「おのずから」でありつつ、かつ、ないということであり、「たましい」とは、まさにそうした「おのずから」と「みずから」の「あわい」に働く何ものかのことである。

竹内整一『「おのずから」と「みずから」——日本思想の基層』より

 この引用だけだと、結論が漠然としているように、曖昧にさえも感じますが、考察を丁寧に読むと納得できる一文です。

 あなたのお手紙には『トムは真夜中の庭で』『あのころフリードリヒがいた』を読んだら「魂がなにか」ということがあまり気にならなくなった、とありました。

『トムは真夜中の庭で』と『あのころはフリードリヒがいた』を読んだら、「魂とはなにか」という問いは、あまり気にならなくなりました。定義づけするよりも、トムとハティの「あわい」にあるものは何か? 「ぼく」とフリードリヒの「あわい」に何を感じたか。いのちや意識の「あわい」に自分は何を見出すか。そこに関心が移ったのです。

あなたのお手紙より

 河合隼雄が生涯を通じて記していたことは、まさにそのことだったのかもしれないと私はお手紙を読んで思いました。

 私たちはつい、形而上的な物言いを避け、実体を探そうとします。言葉によって縛り定義することを好みます。定義するということはある種この世に「実体化させる」ということです。実存と言い換えてもいいかもしれません。 
 物事に明確な理由を求めたり、「ない」のか「ある」のかはっきりさせたい、「ある」のならば「実体化させて五感によって感じたい」欲求があります。
 証拠を示せ、エビデンスは何か。
 現代社会ではいつも問われずにいられません。常に「答え」があるものとして、「答えのない問」は「ないこと」にされたりします。

 しかし実際に「生きる」ということは曖昧なものです。同じ時、同じ場所にいて、何らかの被害を被っても、生きる人と亡くなる人がいます。「こうだから、こうなる」世界ではありません。ましてや心の中の領域に踏み込めば、同じ「状況」すら存在しません。同じ時代、同じ境遇でも思考や行動や言葉が違うだけで、全く違う生を生きていきます。私たちは気づいていようといまいと、本当は常に「あわい」に生きている――つまり「たましい」として生きているのだと思います。

 ところで『あのころはフリードリヒがいた』は、私は河合先生があれほどほうぼうで引き合いに出しているのにも関わらず、実は読んだことがありませんでした。『トムは真夜中の庭で』は読んでみましたし、『ゲド戦記』も(途中まで)読みましたが、フリードリヒは今回初めて読んだのです。そして、改めて衝撃を受けました。

 河合先生は『子どもの宇宙』(岩波新書)の中でこの作品に対しこう述べています。

児童文学には多くの子供の死が描かれているが、その中で、できるだけ多くの人に銘記していただきたいと思う、少年の死がある。これほど最後まで読み通すのが辛い児童文学はあまりないであろう。しかし、われわれは読まねばならないし、読んだことは忘れてはならないのだ。リヒターの『あのころはフリードリヒがいた』がその本である。これは、素晴らしいとか名作とか、形容詞を付けられるような本ではなく、ただただ、できるだけ多くの人に読んで欲しいと願いたい本なのである。

河合隼雄『こどもの宇宙』(岩波新書)「子どもと死」より

 チャンスは何度もあったのに、読まなかった――そのことを後悔するほどの衝撃でした。
 しかし、もしかしたら私には「今」だからよかったのかもしれません。問題意識の高まっていた今、最も読むべき時に読んだような気もします。

 この物語は、まず主人公の名前がわかりません。「ぼく」としか書いていない、このことに気づいたとき、つまりこれは「誰にでも起こりうる事態」として捉えるための作者の意図があったのではないかと思います。 
 ドイツにおいて、スケープゴートにされるユダヤの民。同じアパートに住む隣人で生まれた時から仲良くしてきた友との交流には確かに「あわい」がありました。

 世の中のうねりに飲み込まれていくふたつの家族の姿と、フリードリヒのあまりにも残酷な最期に言葉を失う物語。

 なかでも今回特に衝撃を受けた個所は、「ぼく」の父親がついにナチス党に入党し、フリードリヒの父親に「一刻も早く国外に逃げたほうがいい」と進言する場面でした。

 フリードリヒの父親は、「ユダヤの民は歴史の中で常に虐げられてきた、今回が初めてではない、それに耐え忍んで生き抜いてきたのだ、今回のことはすぐおさまることだと楽観している、私はドイツ人だ、命の危険まではないだろう、他の国に行ったところで、誰が私たちを受け入れる?今は中世ではなく現代なのだから、人間は少しは理性的になっているはずだから(逃げない)」というのです。
 私はこれには本当に驚きました。

 なぜなら、私は1年半前に戦争が始まったとき、こう思ったからです。

「この現代において本気で戦争を始めるなんて、21世紀にもなってあまりに前時代的だ。人間は進化し賢くなっているはずなのだし、そうでなければならないはずなのに」。

 あのころそう思った人は多かったと思います。これまでの歴史を学んで、戦争がいかに愚かでばかばかしいことかを散々熟知しているはずで、誰だって平和を願っているはずだ、まさか本気で戦争を起こすまい、とどこかで思っていたのだと思います。

 ナチスがユダヤ人に厳しい制限をはじめ、それが苛烈になり、隣人に「逃げたほうがいい」と諭されても、フリードリヒの父親は「人類は歴史に学んでいるはずだ、同じ国民をそんな理由で殺害するとは思えない」と思っていた――私がつい1年半前に思ったことと同じことを――。
 周囲が狂気に陥っているのを知りながら、強い正常性バイアスがかかっていたのかもしれませんし、国外に逃げられない人を匿っていた事情もあったのかもしれません。このときのフリードリヒの父の意図や本心は作品内では明かされませんが、たとえ方便にしてもフリードリヒの父親が国家の冷静を、人類の叡智を信じていたということが衝撃でした。

 この物語は昔の話ではなく「今」の話だと思いました。
 フリードリヒ一家と「ぼく」の家族の悲劇は時代を超えて私たちの「たましい」を震わせます。

 特に最後までフリードリヒを助けてあげたいともがいた「ぼく」の母を、「ぼく」の父が「家族のことを考えて騒がないでくれ」というシーン。爆撃が終わって防空壕を出て、希望的観測からフリードリヒは気絶しているだけだと思う「ぼく」の母。亡くなったことを確かめて隣人がフリードリヒを足で蹴るシーン。

 AかBか。白か黒か。○○人かそうでないか。
 「あわい」が奪われると、人間はこれほどに残酷になるのでしょうか。人に二者択一を迫り、曖昧さや考える余白・余地を奪うことは、まさに人から命のみならず「たましい」を奪うことなのかもしれません。

 人間の進化など幻想で、過去に学ぶことはない。学んだ人がいても、それが役に立たない。そんな世界が、今まさにやってこようとしているのかもしれない、いやいつだってそうなることはありうるのだと思うと、戦慄を覚えます。
 涼を求めてお化け屋敷に集う平和な国の若者たち。
 どんな怪談より背筋が凍るこの物語を受け止める「あわい」があるでしょうか。そんなことを考えました。

 あなたがいくつもの入り口から河合隼雄を読んでくださったこと、とても嬉しく思いました。あなたのこれまで出会ったことのない読書体験のきっかけになれたことが、とても光栄に思いました。

 ところで話は変わりますが、夏休みにほんの僅か実家に帰省した折、かつてよく読んだヘルマン・ヘッセをみつけ、再び心躍りました。帰宅して読もうとしたのですが、昔の文庫本というのは大変に字が細かく、老いた目に非情な集中力を課してきました。
 せっかく実家から『デミアン』『知と愛』などの文庫を持ち帰ってきたのに、今は電子書籍で『シッダールタ』を読んでいます。

『シッダールタ』は、私は若い頃、仏陀その人、ゴータマ・シッダールタの話だと思っていました。最初に読んだときは10代でしたので、仏陀伝のような気持ちで読み、その後読んだ手塚治虫の『ブッダ』との違いに戸惑った記憶があります。

 今改めて読むと、新しい発見が多く、様々な鱗が目から落ちていく思いがします。

 ちょうど『あのころはフリードリヒがいた』の時代、ヘッセはドイツからスイスに帰化しました。その少し前にはユングの弟子たちと交流し『デミアン』を書き上げ、スイスではユダヤ人女性と三度目の結婚をし、平和主義のためドイツからは白眼視されました。
 なにかしら呼ばれたような気もしています。
 呼ばれる読書体験もまた、面白いものですね。
 相変わらず、あわいのまにまに、たゆたっております。

 暑さ寒さも彼岸までと申します。
 お彼岸を過ぎて少しずつ暑さがおさまってくれることを祈ります。
 秋深まればまた読書の楽しい夜長が参りますね。
 秋の夜、あなたはどんな本を読まれるのでしょうか。
 思いを馳せつつ。

 かしこ
 みらっち こと  吉穂みらい















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