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魂の旅『旅をする木』星野道夫

「旅をする木」は、写真家・星野道夫さんの、最晩年の随筆集だ。

 1996年8月、星野さんはカムチャッカ半島で不慮の事故により帰らぬ人となった。

 ヒグマに襲われたのだ。

 この時の報道に、私も記憶がある。衝撃的な事故だったが、私の記憶の中にあるのは撮影中の事故により亡くなった、という紋切り型の報道だ。

 当時の私は自分の人生において少々迷子になっており、周囲の事象にたいする関心が薄かった。そして私は生前の星野道夫さんについてはあまり良く知らなかった。自然や動物を撮る写真家だということは知っていたが、著作を読んだことはなかった。

 私が改めて星野道夫さんについて知ったのは、ブログを始めたころに友人のナゴミさんから紹介されて読んだ本がきっかけだった。

 そのときに書いた記事がこちらだ。

 近年、山から里に下る野生動物が増えた。毎年、秋から春にかけての冬季になると、熊が出没したり熊が人間を襲うなどする事件が増えている。

 そんな折に読んだ2冊の本は、私に衝撃を与えたし、その中の1冊である『慟哭の谷』に出てきた星野さんの話にとても驚いた。そうだったのか、と思った。

 今は、随分年月が経ったからなのか、Wikipediaを検索すると彼の事故前後の様子が詳細に記されている。それを読んでまた衝撃を受けた。43歳と若過ぎたことや、その死の経緯に。


 彼は生前、写真集の他に三冊の随筆集を残している(死後の出版も含めるともう少し多い)。その中の1冊が今回読んだ「旅をする木」だ。亡くなる前年の1995年に上梓されている。随筆のいくつかは、教科書に取り上げられたり、試験の問題文などにも取り上げられているようだ。

 星野さんの文章は、活き活きとしてわかりやすく、自然の美しさを鮮やかに描き出す。世界のあちこちで地球の大いなる自然に触れる暮らしの話、結婚した話、アラスカに移住することに決めた話、若い時の旅の話、子供ができたこと、そして子供が生まれたときの喜び、彼をとりまく印象的な人々との交流の数々・・・

 そして表題の「旅をする木」。

 かつてアラスカが核の脅威にさらされた時に立ち上がったひとりの生物学者、ビル(ウィリアム)・プルーイット。彼が書いた『極北の動物誌』は、星野さんにとって「アラスカの自然を物語のように書き上げた名作」であり、彼が「宝物のように大切にしていた本」でもあった。

 その本の中にあった「旅をする木」で始まる一章を、星野さんは、ついいましがたそこを読んでいたと言った風情で描き出す。

 それは早春のある日、一羽のイスカがトウヒの木に止まり、浪費家のこの鳥がついばみながら落としてしまうある幸運なトウヒの種子の物語である。
星野 道夫 旅をする木 (文春文庫)

 ちなみに、イスカは「交喙」という鳥で、トウヒは「唐檜」という樹木だ。イスカに運ばれたトウヒの種子はアラスカの内陸部の川べりで長い時間をかけて大木となり、川の浸食によって倒れ、ベーリング海を北極海流に乗って、木の生えないツンドラ地帯の海岸に運ばれる。そして最後は薪となってその旅を終えるのだが、それはアラスカの大気となる新たな始まりでもあった。

 その、時間的にも距離的にも果てしない雄大な一本の木の旅に、星野さんは魅せられていたのだ。

 たまたま知り合いに会って、そのプルーイット氏が三十年ぶりにアラスカに戻ってきたことを知った星野さんは、このトウヒの物語とともに彼の人生とアラスカとの関わりについて思いを馳せ、随筆としてつづった。実際に、星野さんとプルーイット氏が出会ったかどうかまでは書いていない。

 大自然を物語のように語る、ということに関しては、星野さんもまた同様だったと思う。プルーイット氏に影響を受けたということもあるだろうが、とにかく彼の視線は常に目の前に広がる自然に注がれ、そこに物語と浪漫を感じ、魅力的な文章にして書き起こしている。

 しかし、彼の大自然に向けた視線を追いながら、私はどうしても「ヒグマに襲われたこと」を忘れることができなかった。この随筆集は彼が亡くなる前に読むべきだった、とすら思った。しかしそうした視点をもってして読むと、星野さんはかねてより、クマやヒグマとの付き合いが長かったことに改めて気づかされる。随筆のあちこちに、クマやグリズリーの話が散見されるのだ。
 それくらい、極北や山や森では身近な動物であったのだろう。もしかしたら、彼らに対する敬意と知識がありすぎたため、「そのとき」は、ほんの少し油断してしまったのだろうか、と思った。

 星野さんは野生動物の生活の営みの中に身を置いて生きていた。本は、こんなふうに始まっている。

 フェアバンクスは新緑の季節も終わり、初夏が近づいています。
 夕暮れのころ、枯れ枝を集め、家の前で焚き火をしていると、アカリスの声があちこちから聞こえてきます。残雪が消えた森のカーペットにはコロコロとしたムースの冬の糞が落ちていて、一体あんな大きな生き物がいつ家の近くを通り過ぎていったのだろうと思います。
星野 道夫 旅をする木 (文春文庫) 

 十五年のアラスカ生活を振り返るところから始まるこの随筆。

 何も止まるものはないように、人の暮らしもアラスカの自然も変わってゆくでしょう。人間と自然の関りとは、答えのない永遠のテーマなのだと思います。
星野 道夫 旅をする木 (文春文庫) 

 思い出と旅、生活を行きつ戻りつしながら、たくさんの大自然と人の物語を味わえるこのエッセイは、不思議なほど清々しく、そしてなにかとても儚いような気がする。

 今回私が心惹かれたのは、16歳でアメリカに単身旅をしたという「十六歳のとき」という文章だ。
 16歳で、横浜から船に乗り、ロサンゼルスを皮切りに、メキシコや、カナダまでも足を延ばす2か月の旅。バスを乗り継ぎ、途中ヒッチハイクもするという、いわゆるバックパッカー旅だ。
 誰も本気で取り合ってくれなかったこの旅への思いを受け止めて、送り出してくれたのは父親だったという。

 我が家の息子は来年16歳になる。
 正直、このような旅に、彼が熱烈に望んだとしても快く送り出す親にはなれない。息子は超インドア派のサブカル系なので、まず間違いなく行くとはいうまいが。
 「可愛い子には旅をさせろ」とは言うものの、星野さんに冒険を許したお父さんの懐の深さと愛情を、この章に感じた。
 そしてその経験が、星野さんをどれほど豊かに育てたかを思った。

 文庫版の解説には、友人であった作家の池澤夏樹さんが解説を寄せている。受け入れがたい星野さんの死から三年後の文章で、やはりこの随筆集にどうしても彼の死を重ねてしまう心証が描かれていた。

 アラスカに魅せられてアラスカを深く愛した星野さんを悼みながら、いっぽうで「旅をする木」に星野さんを重ね、計り知れない大自然のことわりによる理由があったのだと自らを納得させているようだった。

 ところでこの本は、星野さん亡き後、バックパッカーの間でバイブルになった。

 旅人は、母国語の本を交換し合うことがあるそうだ。そんな中で、この「旅をする木」をリレーすることを思いついた人がいたらしい。本が渡ったら、巻末に日付と名前、本を受け取った場所を書く。その中の一人がこの本の表紙の「木」に一本の線を引き「旅をする本」として、旅人の間を手から手へ渡った結果、地球を何周もするほどになったという。

 2016年に、そのことを取り上げたBSドキュメンタリー『星野道夫 没後20年“旅をする本”の物語』が放送され、その結果、2017年にはひとつのプロジェクトとなり、本は今も、日本中を旅しているらしい。


 この本には俳優の蒼井優さんや故三浦春馬さんも魅せられていたようで、三浦春馬さんが影響を受けた本・愛読書として紹介しているインタビュー記事が残っている。

 プルーイットの『極北の動物誌』から影響を受けた星野さんが書いた『旅をする木』。それがまた数多くの人に影響を与え、没後25年を過ぎて今なお、実際に本が手から手へ渡って旅を続けている。

 星野さんの魂の旅は、いまもまだ続いているのかもしれない。

 星野さんは「十六歳のとき」の中で、生まれて初めての一人旅を振り返ってこう言っている。

 その日その日の決断が、まるで台本のない物語を生きるように新しい出来事を展開させた。それは実に不思議なことでもあった。バスを一台乗り遅れることで、全く違う体験が待っているということ。人生とは、人の出会いとはつきつめればそういうことなのだろうが、旅はその姿をはっきりと見せてくれた。
星野 道夫 旅をする木 (文春文庫) 

 星野さんは、全てのものに同じ時間が流れていることを殊更に大切にしていた。今私たちがこうしている間にも、大海をゆうゆうと鯨が行き、潮を噴き上げているかもしれない。日々の暮らしの中でそのことを意識できるかどうかは天と地の差ほど大きい、という。

 今まさに「旅をする木」が旅をしていることを思い、また「旅をする本」が世界をめぐっていることに思いを馳せる。

 私もまた、こうしてこの本に出会えた。
 あなたもいつか、出会う日が来るかもしれない。
 それを浪漫と言わずして何というのだろう、と思う。






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