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『20年後のゴーストワールド』第1章・私のシーモア(10)なんとなく、アンチ

「明日、中村くん(仮名)がサポートで出るライブがあるんですが、良かったら行きませんか(笑)」

10月のある日おじさんからLINEが来た。
翌日はたまたま何もない休日だった。

中村くんと言うのは浅井のバンドのメンバーのギタリストだ。中村と言ってもチン中村ではない。
中村はもともととても飛び抜けてギターの上手い人で、母体である浅井のバンドの活動とは別に、売れっ子メジャーミュージシャンのサポートギターとしても引く手数多で忙しくしていた。はじめて中村を観たのは15年前くらい。浅井や他のバンドメンバーと同じく中村はまだハタチそこそこの大学生だった。その時から才能が輝いていて、いつかこんな未来が来るとは思っていた。むしろ遅かったくらいだ。浅井のバンドは地道に活動を続けていたが、なかなか売れることはなかった。

「観に行きたいです!」
速攻でおじさんに返信した。
中村のギターは好きだが、近年の華々しいサポート活動まで追えてなかったので、とても観たかった。

「良かった(笑)自分とてもタイミング良いですね(笑)」

翌日おじさんに連れられてZeppの某会場まで行った。
待ち合わせに現れたおじさんは私がその日着用していたのと似た雰囲気のカーゴパンツを履いていた。

「今日のパンツ似てますね」

「俺ね、服は全部GU」

「……」

私は働いている店の服を私服で着てきた。私が勤務するアパレル店はアラフォーが中心層のファミリー向けの量販店だった。自分も安価な服なのだが、年齢を気にする私は服だけは社販で買わねばならなくてたまたま年相応だった。おじさんと会う時はお店の服を着ていけば間違いなかった。おじさんが履いていたのはユニクロやGUで売り出しているカーゴパンツよりダボダボしたパラシュートパンツだった。おじさんのオーバーサイズな服のシルエットによる見た目に対して感じた違和感は、服屋の感性で当たっていたのだった。全身ブランドものでキメキメの人より一緒にいて気楽かもしれないが(キメキメの人の精神性も好きだが)やはり不釣り合いだった。GUも売れてるのが納得の良くできた価格帯以上の服が多いけれど、50代の人が全身GUだとサイジングも生地感もやはりその白髪とは釣り合わない。せめてうちの店の服を着たら良いのにと思った。

Zeppまで電車でけっこうかかり、その道すがらおじさんと色んな話をした。おじさんは私の好きな今や国民的ロックスターと同じ男子校の出身だった。おじさんはそのことを知らなかった。

会場に着き、ゲストで入れてもらえたが、おじさんからはそのことは内密に、SNSにも投稿禁止令が出された。おじさんは会場で浅井のバンドメンバーや、知り合いには会わないようにとずっとソワソワしていた。私は犯罪者みたいな扱いをされた。今も村井と関係が続いているならまだしもそれははるか昔の話であるし、浅井をきっかけに会うようになったのだから、変にコソコソしなくていいのに。おじさんが私の他に狙っている人がいるなら話は別だし、それならそれで協力するけど、そういうわけでもなさそうだ。私はちゃんと好きで観に来たのに悲しかった。

浅井のバンドじゃとても立てない大きなステージで、大物ミュージシャンに囲まれて生き生きと中村は輝いていた。中村にとって大きすぎるステージではなかった。彼はあそこにいるべき人だった。それを目の当たりにした。それを目撃する機会をくれたことに関してはおじさんにとても感謝している。が、おじさんはライブの終わりを見届けることなくいそいそと「そろそろ出ましょうか」と私を促して外に出た。もう少し観ていたかった。どうしても私と居るところを知り合いに見られたくなかったらしい。そこも私の気持ちは汲んではくれない。

「中村くん、格好良かったですね。あのステージの感じを観てしまうと、もう元のバンドをこれからも頑張れというのは酷な気がします」と私が言うと、

「そぉお?俺はまた浅井とやってる中村くんを観たくなったよ!」

しばらくおじさんは浅井のバンドを観てないので、その感想なのだろう。同じものを観てもあきらかな感想の温度差に、やはりこの人とわかりあうのは難しいのかもと思った。もしかしたらこの日は一緒にライブを観て専門家ならではの私には気づかない指摘をしたり、おじさんの良い面が見られるかもと期待していたが、むしろまた残念な気持ちになった。

帰りに吉祥寺で飲んだ。
今回は私がよく行く中華料理屋だ。吉祥寺の打ち上げの定番は「中華街」という中華料理屋だが、他にも穴場のお店がある。ギラギラしたお店の外装のインパクトに一瞬入店を怯む気持ちが生じるが、とても美味しくてリーズナブル、喫煙もできる(私は嫌煙者だが)

おじさんもお店が気に入って、また次もここに来ましょうなどと言って、また黒霧島のソーダ割りを飲んでいた。

「君さ、年のこと気にしてるって言ってたけど、今もこうやって頑張ってキレイにしてるんでしょ。俺の知り合いに50代で、自分のこと下の名前で呼んでるツインテールのおばさんが居るんだけど、君はそういうイタさはないじゃん」

私は自分が年相応に生きてこられなかった情けなさから、自分の歳を言えなくなっていた(第4話「年齢は記号」参照)

「イタい」って他人に向けて使うんだ……私は自分の歳も言えなくなった自己肯定感皆無の自分のことは自意識過剰で「イタい」と自覚はあるし、自分に向けては言うけど、他人に向けて言うことはない。それもなかなかにショックだった。全身GUの50代が人のことを棚にあげてそう言っている。イタいと言ってるやつがイタい。

そもそも私が苦悩しているのは、見た目の問題じゃなく(職業柄見た目も大事だけど)年相応に生きてこられなかった内面、人間の中身の部分だ。おじさんの話はいつも少し論点がずれている。自分が良いこと言ってる風に話を持って行きたくてそうなっている傾向がある。そしてショックは続く……

「周りの人が人生進んでいる中、年相応でない自分が情けないですが、今の自分にとってバイブルのようなお守りのような漫画があって……」

「あっそれ、いつも君が(SNSに)あげてるやつだよね。ああいうの好きなのヤバくない?」

「……(はっ?ヤバい?)」

またおじさんの言葉がスローモーションで聞こえた。
おじさんの発言にとっさに防衛反応が出た。
ヤバいには良い意味もあれば良くない意味もある。
安野モヨコの『ハッピーマニア』の続編『後ハッピーマニア』において、ショックな出来事にとっさに脳内にかわいい動物を思い浮かべて自我崩壊を防ぐ、という描写があるがそれと同じ現象が起きた。私は目の前にある好物の卵とキクラゲの炒め物の、ごま油によってテカってる鮮やかな卵の黄色い色を見つめて何とか気を落ち着けようとした。

私は好きな漫画を色々SNSにあげているけど、最たるものは梅子さんの漫画だった。

「それってどういう意味ですか?」とおじさんにはっきり言えば良かったと今でも思う。怒りを通り越してドン引きして声が出なかった。

「ヤバい」も「キモい」や「エモい」と同じく、便利な言葉だ。安易に使用してそのなぜキモいのかなぜエモいのかが説明されずになんとなく「みんなこの感じわかるよね」で共有されて、話がそこで終わる。そこで何故そう思ったのか深掘りしていくと、あなたの「キモい」と私の「キモい」は実は相違があることもきっとあるだろう。ぼんやりしておくことで平和な場合もある。しかし便利なゆえになんとなく使ってしまうことで断絶を生む場合もある。現におじさんがなんとなく言ったであろう「ヤバい」に私は傷ついた。安易に返すならそんなこと言うおじさんの方が「ヤバい」し、この文章は昨年の出来事を振り返って書いているので、昨年よりかは思考も整理されているが、昨年のもっとぐちゃぐちゃな気持ちで大晦日に私はおじさんにこの言葉をぶつけることになる。

「ヤバいですよ」

ライブハウスで知り合ってたまにお話する方の中にも、私のSNSを見て、あの漫画すごいね!と声をかけてくれる人が男女問わず居た。私はただただ好きで投稿しているのだが、そう言って声をかけてもらえるのは嬉しいし、好きなものの話を誰かとしたいがためにSNSをやっているようなものなので喜ばしいことだった。心理描写がすごい、一気読みしたなど口々に皆さん言っていた。表面上でも自分の好きなものを気にかけてくれる、そういう交流があったので、私の好きなものを一切無視で好き勝手言ってるおじさんがより浅ましく見えた。

「他人事とは思えない私の悩みのほとんどは梅子さんの漫画に描かれています。細かな心理描写とその言語化が素晴らしくてこの漫画を読めば、私の苦悩もわかってもらえる気がしています。とても才能のある方で、見る見るうちに売れっ子になって……友達と言ったらおこがましいけど、もともとは同じバンドのファンで知り合いました。今はもはや私は大ファンの一人です」

「ふう〜ん。なんだ友達だから応援してるんだね。なら良かった」

「……(なら良かった……?)」

おじさんにとって梅子さんや私は敵なんだろうか。おじさんは何を思って「ヤバい」と言ったのか。ここでは「ヤバい」と言われた私が「ヤバい」おじさんの、何故「ヤバい」と言うに至ったかを考察したい。異論は真摯に受け止める。むしろおじさんから私の考察よりもマシな異論がくることを望んでもいる。

単に自分の知らないものは悪という感じなのだろうか。こちらが合わせる以外おじさんとは会話は成り立たないので、合わせる女は良いのだろうけど、おじさんはすごいと思われたいので、おじさんの理解を超えた言葉を持つ女に嫌悪を持っていそうな気がする。ただでさえ身近なミュージシャンさえもアホ呼ばわりして貶す人だ。女が頭良かったら都合が悪い。俺より頭が良い=論破されそう=わきまえない女=(ほぼ無意識にミソジニーの構図を無理矢理一言でいうと)ヤバい、になる。おじさんが自覚できているのはそれくらいのなんとなく嫌いな感じだとは思うが。今はおじさんに合わせているように見える私が、漫画に感化されてそのヤバいに至る公式の人になってわきまえない女になりかねないのが嫌なのだろう。

以前、ミッキーマウスが苦手だという話をSNSでしたらおじさんに咎められたことがある。ディズニーが嫌いな女がいること自体おじさんにとっては理解不能なのかもしれない。(嫌いというほど嫌ってもいないし、いざディズニーランドに行ったらそれなりに楽しめるけれど、別に好きなわけではないというレベルで、私は他人のミッキー好きは否定しない。おじさんだって歌下手なバンドは嫌いというのがあるみたいに私だってミッキー嫌いでもいいじゃん、別にと思う)

おそらくおじさんの中で
ミッキーが嫌い=キラキラ女子に反する=理解不能=非モテ女
の式が成り立っていそうだ。
キラキラ女子にそぐわない、男の幻想を壊す私の非モテっぽい女の叫びが理解不能でなんか嫌、みたいに思ったのかもしれない。

おじさんの感覚でいうと(あくまで想像の仮説)、男に合わせることをしない=わきまえない=自分の言葉で主張する=非モテ女の叫び
というような短絡的な感覚で私の好きなバンド、おとぼけビ〜バ〜も「ヤバい」に分類され排除してしまうんだろうと思う。
おとぼけビ〜バ〜(おとビ)の同じ曲のMVを観て男は面白がって(極端だけどおそらく上記のおじさん的感覚で)女は泣いたというエピソードがとても象徴的だ。
男は自分に合わせて自分を引き立てる便利な女が好きすぎる。

それに加えておじさんは女性の「女子校ノリ」に抵抗があるのかもしれないと思った。おじさん自身はそこまで自覚的ではないと思うが。おじさんは男子校出身だ。梅子さんのファンは私も含め「女子校」出身が多い。私は中学共学から高校は女子校に行って、バカな子供ノリの男子から離れられて清々した記憶がある。ホモソーシャルのノリが苦手な人の反対のように決して安易にはくくれないけれど、「女子校」ノリが苦手な人もそれは存在するだろう。

言ってしまえばおじさんのような人は、女子校出身の者に多い「ヤバいやつウォッチャー」のかっこうの標的である。現実でもSNS上でもヤバい人を見つけたらとことん調べてしまう、変な好奇心を私たち女子校出身者は持ちがちだ。女子校における男性教諭は色々わきまえていないと、生徒一同から総攻撃をくらう。ただでさえ女子ばかりの空間で異物なのに、どういうわけか先生というのはクセの強い人が多く、その時からヤバいやつウォッチャーの眼は自然と鍛えられたと思われる。
それも本当に悪い方面にヤバいのか、いや実はヤバいと思う中にも何かあるかもととことん観察する。

私はまさにもともとは「ブックレットの中の人」としておじさんに敬意の眼差しを最初は少し持っていたものの、最初のDMをもらった時から「ヤバいやつウォッチャー」のスイッチが入っていたのだろう。
(第2話「私を構成する42枚」参照)
最初のメッセージで本人は面白みや親しみやすさを出そうとしたのだろうが冗談でもいきなり「結婚するしかないね」はない。幼稚園生しか言わない言葉だ。50歳のおじさんが言ってるのだ、まだメッセージリクエスト許可もしてなかったDMで。おじさんはウォッチし甲斐がありすぎた。不毛なやり取りに自分が傷つくとわかっても、傷つきながらもどうしてもウォッチしてしまう。映画『ゴーストワールド』では最初ヤバいやつとしてシーモアをヤバいやつウォッチャーしていたイーニドがだんだん敬愛に変わるのとは真逆の現象だけど。

男女の心の奥底でわかり合えないことを梅子さんも丹念に漫画に描いていた。

気づいているようで、気づかないフリをしていたこと、
気づいているようで、自分の中でうまく言葉にできなかったこと、心のもっと深淵の部分。

ずっとモヤモヤしていたことの一つの答えがそこにあって読んで泣いてしまった。

女性でも自覚なく、男性に合わせている人もいれば、
女性でも自覚があって、男性に合わせている人もいる。男のバカなところを認めてわかり合えなくても共存していくのが女の仕事、それができない女はバカ、と思っているような悟りは開いていても視野が限られている人から見ると私の文章はなんと戯けた子供っぽいことを言っているのだろうと思われるだろう。そんな見苦しいこと言ってるからずっと独りなのよと。男のバカなところも受け入れて一人前の女になれる、世の中意外だけど、未だにこの考えの女の人も多い気がする。また、男兄弟が居たり、男を産み育てた人はまた違う意見もあるだろう。男性で女兄妹がいる人は女性に理解がある場合が多い、とも言われるがそれも一概には言えず女兄妹がいるからこそ拗らせている人も多いように感じる。私が地雷に感じる男性はむしろ姉や妹がいる人が多い。こんなに女心がわからないおじさんにも女兄妹がいる。家庭内の女に甘やかされて、それがデフォルトになってしまっているパターン(決して悪口ではなく、それぞれ家庭のやり方があるし、父親像も影響がある)その拗らせはなかなか厄介で根深いものがある。嫁姑関係が上手くいかない原因の一つでもある。私はひとりっ子なので、より見えてない部分や許せない部分も多いと思う。しかし、かつては「弟が居そう、男兄弟が居そう」と言われることが多かった。ひとりっ子からしてみるとそう言われてもその感覚が謎すぎるのだが、その時は男子に寛容な女子として他人から見えていたのかもしれない。どこまで自覚的かはわからないけど、離婚する人の多くは、そのわかりあえなさに気づいてしまったのだと思う。

おじさんは極端な例だが、理解度がないことをバカにするのではなくて、話し合えるのが一番だけど、それでもわかり合えないことだけをわかり合うしかなかった時、そういうものだから仕方ないと思うことは一つ自分の悲しみを減らせるし、悲しみの処理能力が早くなって心を守ることができる。前向きな諦め。その上でわからないなりに気持ちを汲もうとしてくれる人がいるならば、そこでお互い良い気持ちをやり取りする努力を怠らずに続けられるのであれば、それが自分の人生に必要な人で側にいて欲しい人なのだろうと思う。(今回は男性は云々と主語デカめに話してしまったが、おじさんのヤバさが際立っているだけで、知り合いの男性陣は別にそんな「ヤバい」人はいないのだけど、ヤバくない人は大抵パートナーがいる。そうでなくても素敵で尊敬している方もいる)

私がドン引きしているのも気にかけずおじさんは言う。
「君が村井くんとデキちゃう前に、俺たち付き合えば良かったね。そうしたら君も村井くんのことでこんなに悩まなくて良かったし、今頃俺たちにも子供が二人くらいいてもおかしくないよね」

おじさんは私の気持ちは一ミリも考えられないみたいだった。

脳内BGM
おとぼけビ〜バ〜「アイドンビリーブマイ母性」

作中の梅子さんは大好きな漫画家の冬野梅子さん

『まじめな会社員』(一話が動画で読めます)
梅子さんから受けた影響ははかりしれない。
影響を受けすぎて、好きな言葉や刺さった言葉がリアルで実感のあるものが多くてナチュラルにこの文章でも引用しているおそれがあります。小ネタ諸々の注もつけたいところであります。私がこの文章を無事に書き上げることができたら、この回はある意味伏線になりそう……がんばります。

梅子さんは先日コミックデイズで連載の『スルーロマンス』が最終回を迎えて、本日(6/10)その話が無料公開に!皆さん是非読みましょう!連載お疲れ様でした!私はこのストーリーがあるから今後も生きていけると思ったくらい感動してガン泣きしました。


おじさんがSNSが見たのはおそらく私が投稿したこういうの(毎回漫画から受け取り考えるものが大きかったので、思考を整理するためにもメモがわりのストーリーをあげていました)
漫画に出てくるスナックのお客さんのおじさんたちが全員、私がここで書いてるおじさんと通じるものがある。

一応こちらはフィクションで書いてますが、今回文中に出てきた実在の固有名詞、冬野梅子さん、おとぼけビ〜バ〜は今のこの世の生き地獄で幽霊になりかけている私の心の支えです。

この物語はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
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