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連休と睡眠

仕事が忙しすぎて2日連続で鬱の薬を飲み忘れた。依然として寝込むほどの辛さはない。仕事。目的と立場。人との交流、役割、頼りにされること。これが私の精神状態をかなり支えている。

仕事が忙しすぎてnoteを書く時間がない。厳密にいうと、思想をつかまえておく時間がない。「あ、書いておきたい」と思うことが仕事中にふと浮かぶことは多々あるが、その瞬間にnoteを開いて記事にしていかないと、目が覚めた瞬間から夢の記憶が薄れていくのと似ていて、時間とともに想いの熱さは褪せていく。「今度のnoteでこれ書こう」と思ってタイトルと、メモ程度のことを書いて保存しておくが、翌日にはもう一体何が書きたかったのか忘れている。

さて、ゴールデンウイーク。派遣社員の私は来月の収入がぐんと減ってしまうし、1週間近く稼働が止まることを見越して4月は息切れするくらいに仕事が忙しかったし、ゴールデンウィークなんかいらないと思っていた。でもやっぱり連休っていいもんだ。時間の余裕ができたことで思想する余裕が出て来た。この連休に、ジーンズとスニーカーを買いに行く計画はコロナで断念。そのかわり、社会貢献しようと思ってずーっと気になってた生理用品の寄付をしてみようと思っている。

連休中とはいえ、忙しさでじっくり読み込めなかったメールの再チェックや、連休明け早々に片付け始めなければならないタスクの整理などで、なんだかんだ一日数時間は仕事をしている(いわゆるタダ働きにはなるけれど)。

それにしても明日の予定がなにもないってなんて幸せなんだろう。それが毎日続いていた無職時代は地獄だったが、今は仕事もある。あと数日、何も予定がないなんて極楽だ。自由を愛する私なので、数日間は自由に生活していいよと言われたら幸せな気持ちになってしまう。

さあ、その自由を何に使っているかというと、仕事以外はひたすら睡眠なのである。とくに趣味もない私は布団の中にいるときが極上の幸せなのだ。翌日起きる時間が決まっていないなんて、こんな幸せあるだろうか。食事も食べ終わって腹も満たされた。窓の外は大雨が降っていて、雷が鳴り響いている。私は布団に身体をすべりこませ部屋を暗くし、目をつぶった。エクスタシーを感じるほどの快感である。雨音と雷がBGMである。

連休、コロナで外に出られなくても、人に会えなくても特に苦にならないインドアな性格でラッキーだった。朝10時頃目が覚めても再び夢に墜ちてゆく。次に目が覚めたらもう14時や15時。起きたくない。

一日を寝ることで終わらせてしまうことに対して、もったいないという思いすら捨ててしまった。寝たい。その欲求を心ゆくまで満たしている最高の贅沢を今、満喫しているのだと思うと、充実感で満たされるぐらいだ。恐ろしいことに、こんなに寝てもなお、18時台ぐらいからまた睡魔が襲うのだ。その欲望に抗うことなくベッドに横になり、気づくとまた眠りに堕ちている。

私のこの過眠状態が、私がただの怠け者だからなのか、鬱的な傾向が影響しているのかは、わからない。趣味もない、やりたいこともない私は、ただただ逃避という名の睡眠に快楽を覚えている。「生きながら死んでいるようだ」と言われたこともあった。アルコール中毒の人はゆっくりと時間をかけて自殺をしているのだと聞いたことがある。眠れるときに眠れる限り眠り続けようとする私はあるいは生きることを放棄しようとしているのかもしれない。

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