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完璧な人 第4話


陽春でも足取りが重い。
コーヒーを汲みに給湯室へ向かう。

海斗、と呼ばれて振り向くと
兄さんが立っていた。



長期海外出張帰りの割に
肌艶が良い。
いつだってこの人は
強靭でしなやかだ。


「どうしましたか、社長」

つれないな、お前は。
そんな高い位置から
俺を見下ろして
役職で呼ばないでくれ。

と、
俺よりだいぶ低身長の
丸顔で人好きのする
かなり歳の離れた兄は
嬉しそうに言う。


「ここは会社でしょう、兄さん」

「だがその会社でしか
 お前になかなか会えないだろう?


 海斗、お前の開発した
 ほら、何だっけか
 陶器の小洒落た
 ボードゲームシリーズ」


弟の作った商品名くらい
覚えてくださいよ、と呆れるも
興奮した兄は構わず話を続ける。



「イタリアの3社、フランスの2社と
 成約して来たぞ。
 国内でも空前の大ヒットだ。
 今年度のインスタ映え番付入り 
 間違いなしさ。

 あれが大きかったな、
 刑事ドラマの記憶探査シリーズに
 お前が売り込んで
 毎回使ってもらえたお陰で
 大ブレイクだ。」


いやぁ、ジョニーズの
Sexy Area の松川くんに
使ってもらえるなんて
ラッキーだったよな、と
年甲斐もなく興奮する兄は、



「兄ちゃんは誇りに思うよ」

そう言って俺の背中を
バンバンと叩く。


「ありがとうございます。
 それで、他にご用件は」

「やれやれ、お前は相変わらず
 社交辞令も何も無いな。
 クールで裏表のないそんなところ、
 俺は好きだけどな。

 とにかく話がある」


社長室に来るように促され
連れ立って中に入り
重厚なドアを閉めると
兄は口を開いた。


「来期より
 お前をホールディングの
 本部長に任命したい」


は?
俺はまだ20代ですが。
経験も能力も未熟でしょう。

と、及び腰の俺の答えに
被せるように兄は続ける。


「俺は副社長に推薦したんだが、
 会長、父さんが
 まだ若いお前を
 潰してしまうことを恐れてな。
 まずは本部長だ。


 だけどな、20代の社長でさえ
 この国には掃いて捨てるほどいるさ」

明るい日差しの差す
窓際に佇み、
余裕の姿勢を崩さない
この優秀な社長に反論する。


「それは中小や
 スタートアップの話でしょう。

 それに、俺には古狸どもの
 機嫌取りなんて出来ませんよ。
 上辺だけへつらうのは
 苦手です。

 社長だってお分かりの
 はずでしょう」


「まぁそう言わないで
 やってくれ」

相変わらず和かな
笑みを浮かべたまま
兄は続ける。

「古狸たちもあれなりに
 脈々と続く我が社や伝統を
 守ろうという思いはあるのさ。


 伝統なんて皆、古来より
 この有象未曾有の泥々した
 人間臭い思惑を養分にして
 残って来たものだろう。



 それ故に美しいんだ、
 そう思わないか。



 しきたりやら人間関係やらの
 胸糞悪いところで
 立ち回るのは
 俺の得意分野だ。



 海斗、お前は嘘がつけない
 お前のままで構わない。



 だが、
 この動きの速い不安定な時代に
 お前はお前の視点で
 新しい風を送り込む役を
 引き受けてはくれないか。


 伝統は
 そのままでは廃れてしまうが、
 長男として産まれた俺は
 これを守ることには長けていても
 現代流に変えていく才能に
 恵まれていない。


 お前は伝統を守りつつも
 新しいアイディアを加えて
 甦らせることが得意だろう。

 俺にもっと力を貸してくれないか」


この兄には幼少の頃から
敵わない。



いつだって愛想の無い俺を
笑顔とそつない立ち回りの
バリケードで守り
愛情を惜しみなく
与えてくれた人だ。


考えてみます、と
言った俺に、既に
了承の答えを貰ったような
満足そうな表情で
兄は頷く。


「それともう一つ。
 お前、今彼女はいるのか」

嫌な問いかけが来たな。

髪をかき上げて
勝手にドサリと
独特の匂いが残る本革張りの
艶やかなソファーに身を預ける。


「いいえ。

 振られたばかりです」


「はあ⁉︎
 お前を振る女なんているの⁉︎」 



首をすくめて苦々しく言う。


「恋人がいるのを知らないで
 想いを告げてしまいました」


拓実と凛は
仲が良いとは思っていたが、
親友またはきょうだいのように見えたから
見抜けなかった。


凛より拓実が
3歳下だという事実も
俺の眼を鈍らせた。





年齢に対する偏見は
持っていないつもりだったのに、
実際は俺の視野だって
俺が嫌うイデオロギーによって
知らず知らずのうちに形成された範囲から
数ミリも脱していない。


俺には拓実が持つような
爽やかさも愛想も無い。

兄が言うような
現代の潮流を見極める能力も
まだまだ足りない。


駄目だな。
少しは変わらなければ。



兄は横目で哀れむように
俺をチラリと見やって、続けた。

「まあ、なんだ
 傷心中か。
 失恋の痛みは恋愛で治せ。
 ちょうどお前に似合いそうな
 可愛い子がいるんだ。
 紹介させてくれ」


ふーっ、と
大きなため息をついて
俺は言った。

「それが本題ですか。
 父さんの、差金ですか」

「いや決して
 堅苦しいお見合いではないさ。
 2人だけの気軽な合コンだと
 思ってくれればいい」


お見合いとどう違うんですか、と
呆れる俺に
笑顔を崩さず
穏やかに兄は言う。 



「窯元の娘さんなんだが、
 働き者の美人だ。
 趣味で編み物なんぞをしていて
 今どき珍しいタイプだ」


「編み物......」


「何だ、お前いつも
 こういうタイプは
 完璧に見えるから
 苦手だ、と言っていたが
 やはり嫌か?

 窯の知識や経験もあるから
 話も合うと思うぞ。

 お前には本当は
 この子みたいな清楚な感じの人が
 似合うと思っているんだが...」


いえ、と
最後まで聞かずに話した後、
また一つ、ふぅ、と息をついて
今度は俺が話し出す。


「分かりました、
 会うだけ会ってみますよ」


「お、珍しいな。
 お前少しは丸くなったんじゃないか」


点灯せずとも明るい部屋の中、
薄い青が広がる窓の外に目をやって
まるで独り言のように、言った。

「いえ、完璧な人間なんて
  何処にもいない。
 それが分かっただけです」




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