BIZIO MRAGIO••• 創造への進化 1.
はじめに
弛まぬ、創造とは・・・
この記事では、絵画や文学、そして、詩について、日頃から、思っている事や、感じている事を書いていこうかな、と、思います。
一口に、創作とか創造とか言っても、一体何が創作で、何が創造で、何がアートで何が芸術か、と、思いませんか?
此処では、人が何かの衝動に駆られて、表現することを創作、それよりも、もう少し大掛かりな計画性、企画性や意思や思想のあるものは創造、或いはその集合体を制作とし、そのなかにあって、一般的に、アートと呼ばれているものは、視覚的、技術的な要素を伴う表現と言うことだけでなく、勿論、建築等の造形物や音楽やダンスや工芸、料理などもアートでしょう。
それでは、芸術とは?
魂が揺さぶられるくらいに、人を感動させ、長く愛され、恒久的に、或いは神の領域にまで達するような、表現や創作、創造のことでしょうか?
実は、私にも、まだわからないのです・・・。
しかし、確かに、素晴らしい芸術というのは存在し、人が創作、創造している事は、確かな事です。
其の、源とは?
この、BIZIO MIRAGIOは、其の源を探ることを
一つの指針として、人の中にある、弛まず動き続けている、源が何かを、皆さんと一緒に、考えていけると良いかな、と、思います。
“苦難を超えて、栄光へVol.8”で、予告したのか、この記事ですが、その時に書いた様に、BIZIOとは、エスペラント語で、弛まぬ連動運動、つまり、進化と意訳してますが、MIRAGIOは、蜃気楼、つまり、幻影の意味で、創造と意訳します。
いよいよ、其の初回になります。
此処では、絵画や文学、そして、詩を通して、どの様な事に、どの様に感動し、どのように表現して、どんな心情になったかについての経験と、実感、また、
優れた芸術作品や文学作品、創作、創造されたものを通して、深く内面に培われ、創造をインスパイアされるサイクルの中に、弛まず、進化し続ける、創造という未来を探っていければ、と、思います。
其れが、もう一つの記事サブ•タイトルの、”人生に於ける、美学について考える”に通じていきます。
さて、本日は、私の経験談から、スタートします。
物心ついた頃から、私は、一体、自分は何者で、何処から来たか、と言う命題に、突き当たりました。
当時、子供心に、深く傷付いた出来事があり、其の事がきっかけで、ある日、突然、覚えたてのひらがなで、詩をかいたのです。
勿論、詩という表現方があることなど知る由もなく、ただ、言葉を並べただけでした・・・。
其の内容は、死をテーマにした、詩でした。
当時親は、随分と心配して、丁度、時折我が家を訪ねてきていた遠縁の人に、その詩を見せて、相談したそうですが、その人は、「テレビかなんかの影響じゃないの・・・。」と、言って、取り合ってくれなかったそうです。
小学生の低学年頃から、読書が始まり、最初は、芥川龍之介を皮切りに、川端康成、谷崎潤一郎、三島由紀夫等、凡そ子供が読むものではないと思われていた本を読んでいました。
勿論、年相応の、偉人の伝記や冒険もの、少女小説等や探偵小説も、同時に読んではいましたが・・・。
ある日、哲学という学問があることを本の中で知り、そのことを、学校の先生に質問したら、「お家の、お父さんに聞きなさい。」と、言われ、帰ってから、父に聞くと、
「例えば、芋虫が、何考えているのかを考えるのが、哲学という事かな?」と、分かった様な分からない様な答えが、返ってきました。
其れから、二学年進んだ頃に、今度は、先生からの質問で、「哲学とは、どんなことを学ぶ学問でしょうか?」と、質問があり、私は、父の言った事が半信半疑ながら、此処で試す機会とばかり、父の言ったとうりに、答えました。
先生は、否定せず、「ふむ、お父さんの仰ることには、一理ありますが•••。」と、言われたあとで、
「実は、先生も、皆んなには、説明できません。」
と、言われた後、「私も、皆と、一緒に考えていき、皆んなの中から、このことについて、興味を持たれる人が出る事に、期待します。」と、仰いました。
私は、その時に、自分の命題が、見つけられるのは、どうやら、この学問にあるらしき見当をつけましたが、学校では、それらしき本は、見当たらず、結局街に出て、図書館で探す事になりましたが、当時小学生の私には、哲学書は理解できず、今みたいに、子供向けの解説書もなく、仕方なく、文学全集をよんでいましたが、其の中でも、芥川龍之介の文体に惹かれました。
特に、短編の中の会話に、大人の会話の中にある、ペーソスやアイロニーを感じて、自分の周りにいる人とは随分違うなぁ、と、ひたすら感心しておりました。
短編を沢山読んだ記憶があります。
しかし、今では、そのストーリーを全く覚えていないのです・・・ただ、覚えているのは、個性的な表現と、文体と言葉の美しさの記憶だけです。
それは、どの作家にも共通して言えています。
つまり、心に残る作品とは、その固有の表現が、何ものにも捉われずに自由に、尚且つ、独自の捉え方で表現し、その基準が、独自の美意識にある、事に気が付いたのです。
自由と美、これを美学の宗とすれば、その他の概念も、自ずと構築していけるのではないかと思ったのです。
最後に、この記事を書く時に、やたらと気になった、芥川龍之介の短編があります。(私も、まだ、読んでいません。)
その作品は・・・”蜃気楼”と言う作品です。
読んで、感想を言うとネタバレになりますので、興味のある方は、読んでみてください。(私も、これから読みます。)
最初に、この記事を書くに、相応しい、最初のレコメンド作品である予感がします・・・。
これから、ご一緒に、弛まぬ創造をめぐる、旅に出かけましょう。
Mio
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