見出し画像

彼女のクトゥルフ Ⅰ 2018/07/13

しばらく脳の具合があまりよろしくない。陰鬱モードに頻繁にスイッチが入って夜もうまく寝つけない。いつも夜中まで起きている。それからリビングのソファで仮初めのような入眠。すると大抵いやな夢を見て、すぐに目が覚めてしまう。しかし具体的にどんなふうな内容だったのかは毎回すぐに忘れてしまう。そういうことがずっと続いている。

この日もいつものように悪夢にうなされた。そこから脱出を果たしたこの世界はまだ夜明け前で、身体が異様に冷えていた。ほとんど凍えそうなくらいに。窓を開けっぱなしにして何も掛けずに寝ていたせいだろうか。日中はあれだけ暑かったのに、いまベランダから入ってくる風はとても冷たい。あらためて朝まで数時間でも眠ろうと寝室へ。するとベッドで横になっている彼女が声をかけてきた。

「……ねえ……クトゥルフの……あれ……」

彼女が何を言っているのか、よく分からなかった。ムニャムニャと不明瞭な寝言。しかし「クトゥルフ」という単語だけ、はっきり聞き取れた。

「クトゥルフって、何?」

「……だからクトゥルフの本とか経典……あるでしょ? ……それ。いま持ってきて……ずっと飼ってるのに名前……調べて確認しないと……」

「いや、そんなの」

そんなもの私は持ってない。クトゥルフの本とか経典って、それはネクロノミコンのことか? そんな太古の邪神とか災いを呼び込みそうなもの家に置いときたくないよ。そう突っ込む暇もなく彼女はまた寝入ってしまう。あとは静かに寝息を立てるだけ。暗闇の寝室に彼女のホラーな寝言だけ残された。

……しかし待てよ。よく考えてみると、それはあったかもしれない。思い当たった私は本棚を探してみる。

さすがにネクロノミコンは出てこない。ちなみにネクロノミコンというのは狂えるアラブ人アブドゥル・アルハザードという100%怪しげな太古の魔術師の残した魔道書で……なんてクトゥルフ神話の設定を振り返るのにもうってつけの、こんな本が出てきた。

雑誌ムーの別冊ムック本『クトゥルフ神話大全』

かなり年季が入っていて、いまとなっては貴重なものかもしれない。すこし前に板橋の飲み屋で常連客にもらったものだ。

「いいからいいから。これ持って帰って。クトゥルフとかそういうの、どうせ好きなんでしょ? 僕はもうこれ中学生のときから何度も読んでるから。ほら持っていってよ」

そうやって半ば強引に手渡された。なんで分かったのだろう。そんな話したっけ。たしかに私はクトゥルフとかそういうの、かなり好きなのだ。だからありがたく頂戴した。

もらった翌日にパラパラめくってみたきりだったが改めて読み返すとイラストも豊富だし内容も充実している。荒俣宏など作家陣が寄稿したコラムも読み応えがある。「ラブクラフトの書いていたものは文学というよりはゲーム小説であり、クトゥルフ神話は1920年代のドラゴンクエストのようなもの」という記述には大いに納得する。そうした考察をこの本が発行された時点(90年)において明解に展開していた荒俣先生はやっぱりすごい人なのだなとリスペクトが強まった。

夢中になって読んでいるうちに夜は明けていて寝室で目覚ましのアラームが鳴る。それで彼女が目を覚まし、まだ寝ぼけているような顔でリビングにやってきた。

「もしかして、ずっと起きてた?」

「いや、ちょっとは寝た」

「それ、なに読んでるの?」

「……さっきクトゥルフの本がどうとか言ってたの、自分でおぼえてる?」

「あ、言った。私、クトゥルフみたいの飼ってるじゃん? だから種類とか確認したくて」

なんのことはない彼女の見た夢の話らしい。ちゃんとベッドで寝ていた彼女も不気味な夢にうなされていたようだ。ところで「クトゥルフみたいの」って一体どんなのだろう。

「アメーバみたいな、ちっちゃいのね。それがプチプチして可愛いから水槽に入れてこっそり飼ってたの。分裂したり色んな形になったりして、なんだかクトゥルフぽい不定形。すごい可愛い」

アメーバ状のクトゥルフぽいクリーチャーのどこが可愛いのだろう。そこが疑問ではあるが、とりあえずムック本のページをめくってみる。クトゥルフ神話の主要キャラクターをイラスト付きで紹介しているコーナーもあるから、それらしいものも見つかるかもしれない。

「……こんなのとか?」

「あ、これ……ぽいな。いや、これだ。ほんとにこんなの!」

ウボ=サスラ(外なる神) 一定の形状を持たないまま、地球が誕生したのとほとんど同時に存在し続けている。知性は持たないが、あらゆる地球の生命のおおもとを生みだした。

「……これを飼っていたわけですか」

「うん。よく懐いてた」

イラスト化されたものを見ても、これをペットにしたいとは思えない。

「見てよ、こんなことも書いてある。ものすごい壮大なアメーバの神みたいな設定なのか」

遙かな未来、最後にはすべてがこのウボ=サスラの元に帰すことになると予言されている。

「……こんなのペットにしてる君自身は、どういう存在になるわけ? やっぱりクトゥルフの眷属で旧支配者とか、それとも旧神の側?」

「そういう設定はよく知らないんだけど、きっとすごく偉い。とても偉大なんだと思うよ、私って」

そう言ってから彼女はシャワーを浴びにいった。昨晩は寝汗をよくかいたらしい。可愛いらしいペットだったといっているが、不気味なクリーチャーが出てくるのはやっぱり悪夢ではないか。

夢というのは決して馬鹿にできないものだ。オカルトやスピリチュアルの信奉者は言わずもがな、フロイトにユングといった精神医学の巨人も夢を気にして夢について語り夢に支配される。夢はエゴと超エゴや集合無意識のスペクタクル、神秘であり啓示である。つまるところみんな夢が大好き。不可解な夜の夢、そこに人は意味や解釈つまり物語を見出そうとする。

なんでも夢を見ているときの人間は、もう一つの現実に意識とか魂がシフトしている状態らしい。そんな話も最近なにかで読んだ。あと夢のなかにいながら「これは夢だ」と自覚するいわゆる明晰夢、それを以前の私はよく見たものだからネットのまとめ記事など熱心に読み漁った。そういった情報に感化され、より一層ややこしい夢を見るようになってきた気もするのである。

クトゥルフ神話でもまた、夢は重要なモチーフとなる。『未知なるカダスを夢に求めて』なんかは完全にそういう話で、これはラブクラフト作品でもかなり好きなもので繰り返し読んだ。そういえばカダスの話にも出てくるランドルフ・カーターは……とまたムック本をめくりはじめたところで彼女が浴室から出てくる。

「パン! パンが食べたい。焼いたパン。よく焼いたパンが私は好き」

急に空腹を訴えてパンパン騒ぎ出す彼女。私は食パンを切ってトースターにかけてプレーンヨーグルトには蜂蜜を混ぜる。コーヒーのお湯を沸かし、それから目玉焼きと生野菜サラダもつくることにした。最近ほぼ外に出る予定もない私が朝食を用意する習慣になっていた。

「焼いたパン美味しい。あとサラダも意外といけるね」

そういって手早く朝食を食べ終わって身支度を調え、いつものように彼女は出勤していく。

「じゃあ火元とか戸締まり気をつけてね」

「大丈夫だよ、たぶん外出ないし」

玄関先で彼女を見送った後、私は部屋に掃除機をかけた。それでもうなんとなく義務は果たしたという気になって再びソファに寝転んでムック本を読み始める。

……やはりクトゥルフ神話は面白い。ひねくれて偏見に満ちあふれた(当時は)売れないアメリカ人作家が作り上げた嘘八百の人工神話体系。それにどうしてここまで心引かれるのだろう。中1の夏休み、ラブクラフトのアンソロジーを図書館で借りて初めて読んだ。読んでいる途中うたた寝をして、得体の知れない悪夢にうなされた。どんな内容だったか詳しくは思い出せないが目を覚ますと寝汗をびっしょりとかいていた。「気味が悪いな」と思いながらも、その世界観にどっぷり浸っていった。それを思い返す。

これから必要になる気がしてスマホを操作、あらたにクトゥルフの関連書籍をAmazonで注文した。イラストが載っている方がいいだろうとを購入。

これはKindle版もあるのだけど物理書籍、しかも古本にした。限られた本棚の領域を圧迫するので彼女にはいやな顔をされそうだが、そもそも彼女が「クトゥルフ図鑑貸して」なんて寝言で頼んできたのだ。これならその要望にも適う。

それから東雅夫著のの文庫も欲しくなる。いくつかレビューを見ると評判もいいようだ。

しかし今回は見送る。なんといっても私は失職中もいいところで貯金も刻々と目減りしている。せめて出費を抑えなくてはいけない。そう思いつつもブックオフなんかで目についたSFの文庫だとか怪しげな文芸書を片っ端から買ってしまうのだから、どうしようもない。いつか創作に役立って元が取れればいいと自分に言い訳しつつ未読本が増えていく。それで彼女にいい顔されるわけがないのだった。

引き続きソファに寝転んで例のムック本を読み進める。

だんだんと自分が彼女の夢のなかで飼われるウボ=サスラのような不定形のアメーバになってきたような気がしてくる。そして夢といえばこの世界はクトゥルフの見ている夢という話もあったような……いやなかったか。それは自分で勝手に作った設定なのかもしれない。とにかく最近の暑さには思考も曖昧になって社会人らしい態度も知性も次第に溶けて失われていく。

大きな窓の向こうにはいつもの街の建物。まるでガラス瓶とか水槽ごしに外を眺めているような気がしてくる、クーラーを効かせた夏の部屋。

数年前に出会ってから様々な話をして親密になるにつれ彼女はなんだか伝奇ぽい人外の例えばクトゥルフみたいな存在くさいなという印象も深まっていった。あとこのクトゥルフのムック本をくれたのは彼女と付き合ってから通うようになった小さい飲み屋の常連客でとても気のいい人だけど普段はなにをやっているか謎で得体が知れないような雰囲気もありどことなくインスマウス顔であるようなそもそもあの飲み屋自体が……止めどなく考え出すうちに不気味なムードに包まれる。

そこで気分を変えようと戸棚から麺棒を取って耳掃除。最近は耳かきが癖になっている。そこに職場に着いたらしい彼女から電話。

「ベランダの植物、ちゃんと水やった?」

その指摘通り、水やりを忘れていたことを白状してベランダに出る。朝からもうかなり暑い。

「あとゴーヤ、また雌花が咲いてるんじゃないかな」

ゴーヤのプランターを見てみると、ネットに絡ませたツルの上のほうに新しい花がいくつか咲いていた。花びらの下のところがぷくっと膨れているかどうかで雄と雌を見分ける。確認してみると、たしかに雌花が一つあった。

「それ受粉させてね」

ここはマンションの六階で昆虫がやってきて自然に受粉するということもない。だから綿棒を使って人工的に受粉させる。

「でもいま手に持ってる綿棒は使っちゃ駄目だよ」

どうして耳かきしてたのが分かったのだろう。やはり彼女は人外で偉大な存在なのかもしれない。

「花粉に耳垢が混じって、またへんな受粉する」

今朝の生野菜サラダにも入れた前回の収穫物。そのことを彼女は言っているのだ。

「あなたの出来損ないが、また実っちゃうから」

私の耳にゴーヤが入り混じったようなもの。それは私のように全身まで育たないクトゥルフ的な断片だったので熟れすぎる前に収穫した。今朝のサラダにそれを混ぜてみたらゴーヤの苦味と柘榴を混ぜたような独特の風味と生臭さ、そして沖縄料理のミミガーに近い食感。なんとか食べられなくもなかったが、あまり美味しいとは思わない。綿棒を新しく取ってくることにした。



お読みいただき、ありがとうございます。他にも色々書いてます。スキやフォローにコメント、サポート、拡散、すべて歓迎。よろしく哀愁お願いします。