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宇宙の中の結婚

メディテーション(瞑想)は、アメリカではやたら流行っています。ビリオネアやベストセラー作家などのインフルエンサーたちで、推奨してない人を探すのが難しいぐらい。

セレブではスティーブ・ジョブズ、オプラ・ウィンフリー、レディ・ガガ、フォード会長、等々……。

しかも、メディテーションを禅と結びつける人が多いんです。黙想は、キリスト教でも立派な必須項目なのに……。

私はクリスチャンで、ミッションスクール出身。中学・高校では、「黙想会(後に錬成会)」という名のメディテーション合宿が毎年ありました。

アメリカは、クリスマスが祝日なほどのキリスト教国。なのに、仏教徒に限らず瞑想をなぜか東洋ふうにしているのです。私もキリスト教の黙想は好きでなかったので、アメリカ人の気持ちはわからないでもありません。

黙想合宿は、チャーターバスで行く地方の山荘で。授業の代わりに神父さまやシスターのお話をきいて黙想するだけなので、ラクといえばラク。山荘のごはんは美味しくて、みんな大喜びでした。

それなのに……黙想は苦痛。シスターたちが黙想中に船を漕いで(居眠りをして)いるのを見つけるのを、唯一の楽しみにしていました。

今思えば、シスターたちは黙想会の準備で何日も無理をなさって、お疲れだったのかも。でも若い頃はピュアで、聖職者の欺瞞にしか見えなかったんですね。

その点、禅寺ではお坊さんが「集中が途切れる人はいないか」と、竹刀を持って見張っていらっしゃる。「無我」に焦点が置かれていて、宗教や信心深さは二の次なのが人気の理由かもしれません。

誰でも名案が突然「ひらめく」って、ありますよね。メディテーションで雑念を減らすことで、ヒラメキを起こりやすくする効果はありそうです。

個人的には、瞑想からのヒラメキでピンチを救われたことも何度かあります。まともに考えていては浮かばない、とんでもない案が飛び出すところが面白いです。

心理学や自己啓発では、アメリカからの輸入概念をそのまま教えている日本。なのに瞑想は、アメリカほどには広まっていませんね。

なぜでしょう?「日本人は忙しすぎる?」「竹刀で『喝!』と打たれるイメージが悪い?」どれも、あまり説得力はありません。どうしても「宗教が暮らしに根付いてないこと」が、一番の原因に思えます。

瞑想によって、誰しも「よりよい未来に導いてくれる存在」にアクセスしたいはず。

それは「宇宙」「(各宗教の)神」「ハイヤーセルフ」「真我」「守護霊」などなど、呼び名は違えど、人知を超越した存在。

ところが育った環境に宗教がないと、そうした存在は「怪しいスピリチュアル」に見えがち。私も小学生の頃、同級生の男子たちから「アーメン・ソーメン・冷や素麺」と、散々からかわれました。

宗教が根付いてないといえば、日本の結婚がそうです。七五三は神社、お葬式は仏式なのに、結婚式はキリスト教式。もちろん個人の自由なのですが、馴染みのない神様の前で式を挙げる方たちは、結婚を「非日常のもの」と捉えているように見えます。

ところで、昨日2024年4月8日は、ニューヨークでは金冠皆既日食(Golden Crown total solar eclipse)。次回は2079年とのことで、私にとっては人生最後の金冠日食です。

少々雲が出ましたが、太陽が新月のように細くなっていくところと、金星の影がかかったところをキャッチ。宇宙を感じられる体験でした。

Once in a lifetime (人生一度のチャンス)と思う人は多いらしく、テレビ中継先のアーカンソー州ラッセルヴィルの原っぱでは、ウェディングドレス姿の花嫁が何人も。中にはこの日を7年待って結婚式を挙げるカップルもあったそうです。

日食前結婚も非日常ではありますが、「毎日お世話になる太陽のもとに」ですから……。

やっぱり「日本人にとっての結婚は非日常」との印象はぬぐえません。「結婚は人生の墓場」と言われたのも、墓場が非日常のため。

終身雇用時代のひところは「永久就職」と言われたぐらい、夫選びは幸不幸を分ける非日常のイベント。今より既婚の比率が高かったところを見ると、ヒラメキがないまま結婚した男女は多いでしょう。

私もそんなひとり。「この人だ!」とピンと来たという話は、羨ましい限りです。ですが、飼い犬に関しては「この犬だ!」とヒラメキに打たれました。

まるで金冠皆既日食のように、小さなペットショップの薄暗い片隅にいたその犬の背後に、眩い後光が射していたのです。その直観通り、犬は11年7か月の生涯をかけて、私の家族に陽光のような愛を注いでくれました。

結婚しろプレッシャーが大きい日本では特に、女性にとっては夫が太陽に見えることもありがち。実は結婚して日が浅い頃、年長の友人からそう諭されて、思い当たるものがありました。

光や温かさを求めるあまり、夫たる太陽もこの宇宙のシステムの一部であることを忘れてしまいます。どこにでもある恒星のひとつではなく、非日常で絶対的な存在に見えて……。

これでは、妻たる自分は太陽のエネルギーを頼りにその周りを回る、引力に囚われた存在。それは思い込みで、実際にはふたりの個人がいるだけなのですが……。

太陽も地球も、夫も妻も――広い宇宙から見れば、あまねく働く上位の力に操られた存在。光源の太陽といえども、星々の位置次第では光も温かさも供給できない「囚われた存在」にすぎないと、皆既日食は教えてくれます。今回の日食では、気温が5度下がる計算だそう。

老子の”道徳経”には、瞑想と宇宙についてのこんな一節があります。

第六章

空の精神的現実はいつも存在する。

それを受動性の神秘と呼ぶ。

その入口は宇宙の根源である。

止めることなく、それはいつまでも残る。

汲み出しても尽きることはない。

http://www.ginzado.ne.jp/~okoshi/rousi.html

カトリックでは、洗礼、終油など七つの「秘蹟」があり、結婚はそのひとつ。

たまには星の巡りに想いを馳せながら、結婚の答えを求めて瞑想してみるのもいいかもしれません。